2008年6月訪問
尾鷲隧道から国道42号線をさらに北上、紀北 町には、三重県技師岩井藤太郎氏設計の隧道 がいくつか存在します。 その前に、実は尾鷲隧道の少し北側に 相賀隧道があるのですが、これは次回レポ報 告致します。(当時存在を知らずスルーしてまし た。。。) 写真は国道42号線の現役トンネルである、 三船トンネルです。旧隧道は「三浦隧道」です が、現役は「三船」、因みにJR紀勢本線にも 同じ場所にトンネルがありますが、このトンネル の名前は「三浦トンネル」のようです。なぜ現役 は「三船」に変わったのでしょう? |
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考えても分かりませんので、とにかく旧隧道 を見に行きましょう。 現役トンネルと旧隧道はほぼ平行して存在し ており、北側坑口に関しては本当にお隣同士 で、すぐ見つけることができます。その点では 尾鷲隧道と似ています。 |
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三浦隧道です。 まさに尾鷲隧道とウリ二つの威容です。 同じ設計技師以外には成し得ない姿形と言え るのではないでしょうか。 三浦隧道 1917年(大正6年)3月竣工 延長315m 有効高3.8m 幅4.3m という記録が残っています。 尾鷲隧道は大正5年とされていますので、こ の隧道の方が後にできたようです。 |
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扁額もしっかり残されています。 | |
胸壁にイギリス積みのレンガ仕様。他の坑門 パーツは切石造り、意匠も凝らした立派な隧道 です。 |
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内部は早々にレンガアーチが消え去り、荒々 しい素掘り&ノー覆工の洞内に変貌します。 穴は大きいですが、国道隧道であったとは思 ない姿です。三船トンネルが1965年竣工のよ うですので、48年間も現役だったことになりま す。 |
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北側振り返り撮影。左側には尾鷲でも見た 独特のスペースがあります。 |
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尾鷲隧道とほぼ同じ造りです。何に使ったの でしょうか。本当に珍しいですね。 |
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起工 大正4年(1915年)9月 竣工 大正6年(1917年)3月 設計者 三重県技師 岩井 藤太郎 (道?)工者 三重県技手 天野 久 のようです。銘板が残っているのは非常に ありがたいですね。 |
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300m越えの素掘り隧道はやはり怖いです ね。そこかしこで崩落跡が残っています。 潜入するなら、ヘルメットなどの装備は必要 です。 |
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この辺りは左手の洞内がいびつな形をしてお り、丸太が数本斜めに置かれています。 これ。。。左手は大きく崩落したのではないで しょうか。もともと右手のようなアーチをしていた と思われる左手側。崩落してその姿を失い、さ らなる崩落を防ぐために丸太で支えているので はないでしょうか。こわ。。。 |
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南側坑口までやって参りました。靄がすごい です。坑口付近に土砂の流入が多くなってい ます。 |
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南側は。。。かなり荒れています。向かって右 側の法面が崩れており、緑の侵略も大きいた め、その全容を見ることができません。近く埋ま ってしまう危険もあります。 |
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現国道が側にありません。 北側で寄り添っていた新旧隧道ですが、南側 は、幾分離れてしまっています。 であるからして、その旧道は荒れ放題で廃さ れた年月を非常によく示しています。 |
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とても近くに現国道があるとは思えない光景。 その姿は山中奥深く眠る廃隧道そのもの。 見事な技術で穿たれた隧道。竣工から91年 経って尚、その姿を見せてくれることにひたすら 感動せずにはおれません。 |