尾鷲隧道

三重県


  


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                   2008年6月訪問

 
 三重県南部の主要都市である尾鷲市。
 北へ向かえば紀北町、そして伊勢方面に
国道42号線は延びていきます。その国道42号
線、尾鷲市と紀北町境には現役ばりばりで毎
日大量の車両を捌いている尾鷲トンネルがあ
ります。
 その隣には、地図上では堂々と車道の表記
があり、今でも旧道として紀北町から尾鷲市街
に抜けられる道であるかのようですが。。。
 紀北町側から現行尾鷲トンネルを見た写真、
左側は真新しいコンクリ吹きつけの法面や、
鋼鉄の落石防止柵が設置されており、道なん
てどこにもない!ように見えますが。。。
 
 しかし、柵の内側に回ってみますと、
 奥にはくらーい穴がありそな雰囲気で。。。
他のサイト様の情報ですでに「廃」なのは
知っていましたが、こんなに法面補修は受けて
いなかったような。
 ちゃんと残っていました。よかったです!
 ここに来て、法面が大規模補修されていた
ために埋め戻されたのではないか、ととても
不安になっておりました。

 今でも何も変わらずその威容を見せ付けて
いただけます。ヘタな封鎖措置も採られること
なく、「入りたければ勝手にすれば」的に構え
ています。
 ただし、内部は真っ暗、落石の危険大、こう
もり大量と、常人を寄せ付けぬ雰囲気が、ある
意味封鎖の役割を担っているのかも知れませ
ん。
 何と言ってもその特徴は迫石にあります。
 アーチ下部は長さの異なる切石を配し、上部
はとんがりのある切石により構成されていま
す。実は、ここ尾鷲市や北牟婁郡に残る隧道
群は同じ様式を採用している場合が多いです。
 同時期、同施工者の手による建造が成され
たのでしょう。

 扁額は風化が進んだ為か判別できません。
 内部はレンガが見事なアーチを描いていま
す。うっすらと靄がかかり、冷房のようにひんや
り顔をなでてくれます。
 起工 明治44年(1911年)10月
 竣工 大正 5年(1916年)4月

 設計者   三重県技師 岩井 藤太郎
 (道?)工者 三重県技手 天野 久

     石工 藤田 六(林?)(朧?)

 何とかここまで判別しましたが。。。
 設計者の岩井藤太郎氏は結構有名のよう
で、他にも設計した隧道がいくつかあります。 
 紀北町側坑口振り返り。
 完全に現道から隔離された状態になってい
ます。
 レンガ巻きは入り口付近のみで、内部の大
方は素掘りのままです。覆工などもないので
そこかしこで岩が剥離して落下しています。
 壁面には。。。電線跡?でしょうか、或いは
ランプを配していたのか、両サイドに見られま
す。
 尾鷲側坑口です。
 こちら側は現道と幾分離れた所に口を開けて
おり、比較的静かです。

 
 左手にはレンガ装飾が見事な退避口のよう
なスペースがあります。まあ退避口ではなくて
道路関係者用荷物置き場といったところでしょ
うか。現代的な自転車が放置されています。
 しかし、洞内にこういった装飾物があるのは
珍しいのではないでしょうか。
 坑口間近。緑の侵食は大きく、何も手を入れ
られていない、自然なままのように感じます。
 こちら側も威容は変わらず、立派そのもので
す。総切石造りは頑丈なイメージが強いです
が、レンガでここまで頑丈なイメージを与える
隧道もあまりありません。帯石や迫石、要石な
ど、要所に切石を配している所がポイントでしょ
うか。
 。。。。。。。。
 尾鷲隧道。。。と読めなくはない。。か??
いや、読めんな。。。
 尾鷲市街への道は完全に自然に還ってお
ります。
 歩きや自転車で尾鷲、紀北間を行き来する
方が多くいればこの隧道込みの道も整備する
意義があるかもしれませんが、あまりに山深す
ぎで、紀北町街に出るのに相当距離があるこ
とから、あまりに非現実的です。
 このまま余生を過ごしていただくのが、一番
状態良く保存されるのかもしれません。
 

  

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