2018年2月再訪
こちらも8年振りの訪問となりました。 当時はこのような植樹も無く、 「ご自由にどうぞ」状態でした。 |
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植樹の影響で、全体像の撮影に難儀しましたが、何とか撮影。ちょっと土砂がアレですが… フォルムは尾鷲隧道と全く同じです。精緻な造りですね~ |
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ただ違う点があるとすればこれ、扁額の揮毫 ですかね。 ものっすごい読みやすい字体で書かれていま す。 分かりやすくていいんですが、難読な尾鷲隧 道の扁額の方が箔を感じます。 |
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紀伊長島方面の坑口です。例の構造物が尾 鷲側ではなく、今度はこちら側にあります。 |
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振り返り。 ここも遊歩道化をお願いしたい箇所なんです がねえ。 しかし、内部を見ると… |
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例の構造物の外に銘板が2つあります。 | |
右側の銘板は おでこに 「三浦隧道」(…と思われる) 下部に 「起工 大正4年6月」 「竣工 大正6年3月」 左側の銘板は 「岩井 藤太郎」 部分しか判読できません! まあ他の隧道の銘板からある程度は推測 できますが…(石工は分かりませんね…) |
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尾鷲隧道のものとは少し意匠が異なります。 2層の欠円アーチに |
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尾鷲隧道とほぼ同じ造りです。何に使ったの でしょうか。本当に珍しいですね。 |
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起工 大正4年(1915年)9月 竣工 大正6年(1917年)3月 設計者 三重県技師 岩井 藤太郎 (道?)工者 三重県技手 天野 久 のようです。銘板が残っているのは非常に ありがたいですね。 |
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300m越えの素掘り隧道はやはり怖いです ね。そこかしこで崩落跡が残っています。 潜入するなら、ヘルメットなどの装備は必要 です。 |
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この辺りは左手の洞内がいびつな形をしてお り、丸太が数本斜めに置かれています。 これ。。。左手は大きく崩落したのではないで しょうか。もともと右手のようなアーチをしていた と思われる左手側。崩落してその姿を失い、さ らなる崩落を防ぐために丸太で支えているので はないでしょうか。こわ。。。 |
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南側坑口までやって参りました。靄がすごい です。坑口付近に土砂の流入が多くなってい ます。 |
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南側は。。。かなり荒れています。向かって右 側の法面が崩れており、緑の侵略も大きいた め、その全容を見ることができません。近く埋ま ってしまう危険もあります。 |
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現国道が側にありません。 北側で寄り添っていた新旧隧道ですが、南側 は、幾分離れてしまっています。 であるからして、その旧道は荒れ放題で廃さ れた年月を非常によく示しています。 |
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とても近くに現国道があるとは思えない光景。 その姿は山中奥深く眠る廃隧道そのもの。 見事な技術で穿たれた隧道。竣工から91年 経って尚、その姿を見せてくれることにひたすら 感動せずにはおれません。 |