尾鷲隧道
三重県

 

 
 尾鷲隧道と三浦隧道の間にもう一つ存在した
のが、この相賀隧道です。
 この界隈のいわゆる「藤太郎」ブランドの旧隧
道たちの殆どは、現役のトンネルの脇に控えて
おりますが、唯一この相賀隧道のみ新トンネル
を有しておりません。
 尾鷲市街と紀北町街を繋ぐ国道42号線。交通
量もさることながら、尾鷲隧道を頂点にしての山
越えルートとなっており、勾配が結構あります。
さらに道幅もそれなりに広く取ってある為に、各
車両の巡航速度が高い!何トントラックであろ
うが、下りなら爆走して行きます。そんな道すが
らの何と中途半端な場所にあることか、この相
賀隧道は。。。
 一度、下りから右折でアタックしましたが、対
向車との折り合いが悪いのと、背後から迫る車
の勢いも手伝って、スルーしてしまいました。。。
 再トライは上りから、後続車両が離れている
スキを狙って、写真の位置へ直角左折!(入る
幅は結構狭いですので、直角!です。)
 スキマはこの程度です。。。せま。。。
 上流側にもう一箇所入り口がある訳ですが、
今回はこっち側からの突入でした。
 入り口付近はアスファルト敷きで、駐車できる
スペースがあります。その先はダートとなってお
ります。
 あるサイト様情報では、通り抜けができたとか
。。。半信半疑でちょっと車で向かってみました
 砂に埋まった橋の先に見える坑口!
 (車は先に突入させています。。。)
 相賀隧道です。。。が、コンクリ巻き???
 辛うじて見える扁額が。。。相賀?隧道と読め
ます?
 内部は。。。おお!レンガアーチです。
 よかった。
 左に曲がりつつ描かれるレンガーアーチは
一際芸術性を感じます。見事やなあ。
 アーチが奥からレンガ、切石、コンクリとなって
いるようです。
 一番外側のコンクリを後から増設しているよう
に見受けられます。崩落の危険からの補修だ
とは思いますが、もったいないなあ。
 ここにも銘板がありました。ありがたいですね
え。この時代の銘板はなかなかお目に掛かれ
ません。
 起工 大正貮(2)年(1913年)9月
 竣工 大正5年(1916年)7月

 設計者   三重県技師 岩井 藤太郎
 施工者 三重県技手 天野 久
 石工 西村市蔵


 のようです。
 
 延長 82.2m
 限界高 4.0m 幅員 3.2m


 が追加情報。
 紀北町方面坑口より。
 人が暮らしていたような形跡があります。
 アテンザ君のハイビームでフラッシュ代わり。
中央のアーチは素掘りとなっております。
 それにしても、路面は結構ガレが深いところ
がある様子。これ以上車での進入は止めてお
きました。

 
 尾鷲側坑口にやって参りました。このあたりも
きれいなレンガアーチとなっております。
 路面がコンクリ舗装されていましたね、今頃
気が付きました。
 尾鷲側坑口最接近。。。なんか路面やばくな
いですか???
 いやー車で来んでよかったと思いました。
 排水設備周りの侵食が特にひどいです。
 尾鷲側坑門ですが。。。をを!やった!
独特の面構えが健在でした!よかったあ。
 尾鷲隧道、三浦隧道と全くと言って良いほど
同じ面構えです。 
 尾鷲側の扁額。「相」はまず読めんなあ。
 尾鷲側の路面の状況は相当危険であると
思われます。通らないほうがよいです。
 それにしても廃されて尚、生き続ける藤太郎
隧道。今では造られなくなったレンガ隧道のす
ばらしい芸術品、いつまでも生き続けてほしい
と思います。