座主坊隧道


富山県


  


                       2012年8月訪問

 2012年8月、初めての富山合同探索にて険酷隧さんに、これまで大山の人車軌道隧道、(仮)牧隧道などなど、
 濃い〜い物件をご紹介頂きました。
 そして!当日最終目標物件!第3弾!
 
 
座主坊隧道!

 ZA☆SYUBOOOっすよ!ざしゅぼ〜!その筋の方なら絶対知ってる有名中の有名物件!
 当方も3年ほど前に仲間に連れられて訪問したことがありましたが、東側坑口のみ、写真もロクに撮っていない状況
でした。ので、今回は徹底内部調査です!
 さあ、件の隧道ですが、ひじょ〜に分かりづらい
場所にあります。
 座主坊隧道は県道の廃隧道です。が、普段
普通に生活していると、ず!えったいに目にする
ことはないでしょう。
 それもそのはず、この県道全くわけがわからん
のです。
 県道の名称は県道378号(松倉宮路線)といい
ます。松倉地区と宮路地区を繋ぐ県道ですが、
最近の電子地図では既に座主坊地区にて道が
消えてしまっています。
 さらに、富山県の最凶主要地方道として名高い
県道67号線は、北側から松倉地区に入った時点
で消滅し、複数の県道と重複?してはるか西方
で復活します。
 この県道67号線はこの県道378のルートと丸
被りなのでは?と思うのですが、何故か一般県
道が表に出ています。ここを通らなかったらどこ
を通るんだ。。。
 公には県道378号線。既にダートですw
 写真奥からやってきた訳ですが、奥は西側、
宮路地区方面です。
 そしてここから先は座主坊地区を経て松倉に
至る訳ですが、車道表記が消えてしまいます。
 現にここから先は杉林の急うね坂&コンクリ
路面で、杉の枯葉が積もった路面はFF2駆には
とってもきつい!
 現にアテンザくんは途中で登れなくなりまし
た。。。
 西側から東、松倉方面を望む。
 舗装はされますが、向こうのがとってもきつい!
 で、この先は県道ではなく林道みたいです。
 
 で、先ずは座主坊隧道西側坑口を目指すわけ
ですので、ここから先に東進致しませぬ。
 ここから左手に。。。?
 私は西側坑口には行ったことがありません。
 ので、ここ!?なの!?ってたじろいでいまし
たが、勝手知ったるお二方は脇目も振らず
突進!まじか。。。どうやらこっちが県道378号線
の正規ルートのようです。。。
 少しがさごそ。。。
 おお!視界が開けた!真夏ですがそれでも
道幅を感じられる程の植生しかありません。
 杉、ヒノキの高木が雑草の繁茂を抑えている
模様です。
 振り返り。
 アプローチにはびこる雑草は、まるでバリケード
のように県道を掻き消しています。
 知らなかったら林道区間がそのまま県道と
思ってしまいますが。。。
 ざかざか進みます。
 植生は低いものの、足元は決して平坦では
ありません。
 注意して進軍します。
 ほら、油断すると道が削れてなくなっていま
すよ!雨降り後なんで滑る滑る〜
 結構遠いですな。。。
 しかし、結構道を敷き直して使えそうなぐらい
両側の法面は安定しているように感じられます。
 高木効果ですな。
 まだっすか。。。と思い始めた頃。。。
 おお!?何か見えたぞ!

 
出た!!!!!
 人里離れ、ダート、そして途中消滅している県道隧道という特異な出自を持つ座主坊隧道。
 その西側坑口お目見え!当方は初対面でございます!うれしー

 座主坊ザシュボウ隧道

 全国隧道リストでは
 一般県道 女川座主坊宮路線 1948年(昭和23年)竣工 延長207.0m 幅員1.7m 高さ2.0m

 一方全国道路トンネルリストでは
 一般県道 松倉宮路線 1941年(昭和16年)竣工 延長207.0m 幅員2.5m 高さ2.4m

 竣工年度が7年も異なります。幅員、高さも大分誤差が。。。一体どっちが正解なんでしょう。
 実測しなかったのが惜しいですな。。。
 のっぺりとしたコンクリートの坑門。
 それが半分以上埋もれてしまっている模様
です。
 うーむ。車道としては大分狭くないですか?
 なんか高野山林鉄の湯川トンネルを思い出し
ます。

 うーむ、こっちは車道隧道なんですがねえ。
 もうちっとなんか装飾的なもんはないものか。

 
 そして内部。。。
 むむう。。。半分以上埋まってる=水没は結構
鉄板の法則ですな。。。まあ例外もあるけど。。。
 うーむ、満面の水没だ〜
 しかし心配ご無用!触れてませんでしたが、
3人ともウェーダーを完全着用です!
 どんな水没もかかってコイや!(←へそ辺りま
でにしてネ☆)
 最初の一歩がいつも苦戦します。
 そらそうです、踏み込むと泥濘にずぶずぶ足が
沈んでいくんです。
 底に足が着くまでは生きた心地がしませぬ。。。
 一歩目から足は底に着きません。探り探りで
2,3m前進。。。何とか行けそうです。
 振り返って西側坑門を撮影!
 うむ、思ったほどの水深はありません。
 それでも長靴では絶対無理です。
 膝丈を越えていたと思いますよ〜

 水面ぎりぎりショット!
 (写真は撤退時のものですので、逃げ出したこうもりさんがたくさん写ってます)
 そして水位は徐々に下がり。。。
 天井意外と高いな!とわかるぐらいになって
きました。
 そしてそして!ついに陸地が出てきました!
 これが純正の洞内スペック。
 まあ普通車ならなんとか通行できそう、ですか
ねえ。

 で。。。奥には。。。崩落の塊が。。。
 左端には水路があります。
 そして。。。右壁に怪しい文字が。。。

 「花子」と書かれています。うーむ、不気味
過ぎる。。。
 凄まじい崩落です。こんなに天井高いのに
8割近く埋没しています。
 あの先の空間はどうなっているのか。。。
 ふと右壁を見ると、ここにも文字が。

 「東谷村 座主坊−○山」

 東谷村は現在は他の町村と合併して立山町
となり消滅しています。
 ○の所が、ちょっと判別できません。。。
 崩落の先を照射!
 。。。!?な、なんだ?サイズ違いのアーチが
見える?

 早速瓦礫をよじ登ってみると。。。

 なんじゃこりゃ!?
 幅もそうですが、天井さえもさらにでかくなった大空間が出てきました!!?どういうこっちゃ。。。
 これなら10tダンプでもなんとか通れるかも!?
 そして。。。奥は完全閉塞か。。。?
 今入ってきた穴を振り返り。
 ねえ、明らかに穴のサイズが違います。
 しかも。。。このアーチの切り口。。。崩落のそ
れとは明らかに異なりませんか!?
 そう、重機で削り取ったような。。。? 
 天井の抜け具合も相当なので、崩落もあった
のでしょうが、それ以前に人の手で削っている
感じがします。
 なんなんだ。。。拡幅工事をしていたのか?
 しかもアーチの上部に深い空間が開いていま
す。この深い空間の下はコンクリートアーチで
す。崩落による隙間とは考えられません。
 拡幅途中だったのでしょうか。
 
 一方大きい方のアーチ。。。
 木材がコンクリートに癒着してますねえ。
 こっちもなんか削ったような状態になってます
ねえ。それか天井の崩落で削れたのか。。。?

 うーむ、広い!確か反対側の松倉方面坑口も小さかった覚えがありますので、内部の一部だけが広くなって
いるってことです。
 内部だけ広い理由は、離合をさせるため、というのがありますが、これはえらい中途半端な広さです。
 距離も無駄に長い気もします。離合スペースならこんなに長くせず、幅はもっと2台が楽に離合できるサイズに
すると思いますが。。。
 そして!側壁は切り石の谷積みですよ。。。
 珍しくないですか!?
 明らかに入口付近の施工方法とは異なる感じ
がします。
 うーむ、完膚なきまでの完全閉塞です。
 いくら崩落してもなかなかこれだけうず高く積り
ませんよ。。。
 閉塞地点から振り返り。
 この広い空間の理由が不明ですな。。。
 やっぱり最終的には全体を拡幅しようとしてい
たんでしょうか。
 土砂に混じって木材も多数確認できます。
 支保工として使用していたものでしょうか。
 そうすると、ますます拡幅途中って感じがします
なあ。
 うーむ、改めてえらいことになっています。
 中央下部にコンクリアーチが見えてます。この
ギャップが著しい。。。
 再び瓦礫をよじ登り、見下ろし。。。
 狭い区間の方が圧倒的に長いですな。。。
 
 と、ここで衝撃の遺構を足元に発見します。 
 !!!!!!!!!

 こ、これは。。。この土中に刻まれた長方形の
穴は。。。枕木跡!?
 !!ちょっと残ってる!
 木片に。。。犬釘2本!!!!
 間違いない。。。枕木跡だ。。。
 これが何を意味するのか。。。
 この隧道は車道隧道です。それは疑いようの
ない事実、のはずです。
 とするとこの枕木跡は。。。考えられるのは、
拡幅工事中にズリを排出させる為の仮設トロッコ
軌道。。。ということでは。。。?
 それ以外の仮説は見当たりませんが。。。
 実際の所は一切不明です。
 謎が深まる県道隧道。。。
 様々な謎を抱えつつ、宮路側の探索が完了
致しました。
 現場で見られるものは全て確認できたでしょ
うかねえ。
 さあ、今度は松倉側の探索を開始します!
 一回は入洞したことがあるとはいえ、今回は
徹底解剖です!

 以降 
後半戦 に続く!