由良要塞煉瓦構造物群


和歌山県/兵庫県


第一部 加太地区編
男良谷砲台その3

  

 事前のネット調査では確認できたのはこの
隧道まででした。
 
 隧道閉塞。。。当然反対側の様子が知りたく
なります。
 てなわけで右側砲台跡付近から裏側に回り
込むことにしました。
 この行動が思わぬ発見を生むことに。。。
 裏側へのアプローチは結構難儀しました。
 海沿いの、背丈をゆうに超えるぶっとい笹?の
群れをかわして裏側に。。。
 何もない。。。海の傍に出ることも難しく、ゆる
ゆると隧道想定地を過ぎていきます。

 そんな時、ふと左手に石積みの水路が目に
入ります。人工物だ!
 即刻水路に降り立ちます。
 海方面に向けて暗渠になってますな。
 内部を確認。。。
 するとえらい急傾斜で水路は落ち込んでいっ
てます。
 この落ち込みの方向は海。。。
 。。。そう、海岸沿いの岸壁で発見したあの
ダストシュートみたいな石積み。
 ここにどうやら繋がっているようです。
 飛び込んだらここに放り出されることになりま
すな。
 しかし水路にこんな手の込んだ施工をすると
は。。。

 その水路からふと前を向くと。。。むむむむ!?なんか見える!
 なんじゃ、あれは!?
 急いで正面に回ります。

 ぐはっ

 
なんじゃこりゃああああああ!?

 今までに見たことがないオール煉瓦の遺構が現れました!
 うっひょーーーーーーーー!テンションMAX!

 こ、これは。。。本当に見たこともないフォルムです。
 アーチトンネルというよりは、建物の佇まいです。
 それにしても巻厚がえげつない。欠円アーチですがその巻厚が驚異の
連!
 8連は山陰本線の(仮)高内西橋梁とタイ記録です。
 しかし要石付きは初めて。しかも8連に合うサイズの要石なんでかなり長方形です。
 坑門というか、両サイドの柱は丁寧なイギリス積みとなっています。
 その両柱に4か所、扉を付けていたであろう蝶番跡が付いています。
 当時は門があった模様です。

 うーむ、美麗である。
 よく見るとアーチ環一番下は縦半分にした「羊羹」、羊羹を横半分にした「半羊羹」を交互に並べている感じがします。
 厳密に言えばいわば、7.5連巻きって感じですな。
 8連にするより面倒なんですが、装飾というよりは何か構造上の制約なんですかね。
 坑門前から振り返り。
 右側石積みは残るものの、瓦礫が多い!
 当時の状況がイマイチ分かりません。
 恐らくここから真っ直ぐ通路が伸びていたん
だと思いますが。
 この方向だと、あの隧道の先、埋没している
と思われる発射座があると思われます。
 建物と思われた総煉瓦の物件ですが、入って
みると。。。
 おお!?隧道状になっとる!
 途中から3層巻きのアーチとなって、右に折れ
ています。
 床面は、先に見つけた隧道と同様に枕木跡が
残っています。

 入口からの振り返り。間口は広いですな。両開きの扉が付いていたと思われます。
 もう少し後退して。
 天井に半月の切石が挟まっています。
 配線?の金具もあるような感じがします。
 うーむ。絶妙な流線型ですね〜。
 しかしさっきの隧道といい、ここもそうですが、
敢えて曲げる必要あったんですかねえ?
 右にほぼ90度カーブした先はすぐ出口。
 しかしこの方向。。。海側ですよね?

 反対側坑口まで来ました。
 左手に穴が2つ空いてますが、切り込みというよりは抉り取られた感じです。
 外は土砂が左手から押し寄せてますな。。。
 では外に出て坑門の様子を確認しましょう。 

ぐおおおおおお。。。

なんじゃこりゃ?????! パート2

これまた見たことないフォルム!
庇のように突き出たアーチ環の巻厚は6層。その外回りには。。。これは迫石と呼ぶべきか笠石と呼ぶべきか。。。
アーチ環の続きと判断するなら迫石ですが、坑門のトップと考えると笠石になりますが果たして。。。
兎に角こんなフォルムは見たことありません。

 庇?のアーチ環の奥にはまたもや3層巻のアーチ環が。
 しかも庇のアーチと中央が一致せず左にずれています。庇は後付け???

 この全く整合性のない両アーチ環。。。
 しかしながら、このズレがまたいい雰囲気を醸し出しています。

 さて。。。この施設が何なのか。そのヒントがまたもこの資料に↓
 
http://www.nwn.jp/kakokizi/20071212/itimen/itimen.html
 この資料によると、「頭部庫」から「電灯座」に抜ける隧道ということで。。。
 「頭部庫」も「電灯座」も何の施設なのか分かりませんね〜。ここの坑口から外はテラスみたいになっていて、どこにも
行けません。「電灯座」って、海や海岸を照射する設備を備える施設ってことでしょうかねえ?
 ノー情報での煉瓦ラッシュにテンションMAXで
したが、もしかしたら他にも何かあるのでは?
と思い、さらに探索を続行。
 
 2本の煉瓦隧道よりもさらに南側、海側に小
高い山が出てきます。
 その小高い山の内陸側にご覧のような遺構
が出てきます。
 んん?なんぞ、これ?
 山肌に沿うように、両側に石積みが設けられ
ています。
 そして。。。その上空に何かしら怪しい凹み
が。。。
 その凹みは。。。凹みではなく、穴!!!!
 なんとなんと素掘りの穴が開いています。
 相当に入口が崩落しているようで、このアング
ルは当時の坑口より大分高い位置のようで
す。
 相当剥離しやすそうな天井に気を付けつつ、
降っていきます。
 振り返り。
 結構な急斜面です。
 底に降り立ちました。
 ここが当時の床面と思われます。
 結構大きな空間が広がっています。なんなん
だ、ここは。。。
 また振り返り。
 ずいぶん降りましたな。。。

 
 ぽっかりと口を開ける謎の空間。
 何かの設備を造ろうとしていたのでしょうか。

 ちょっとブレブレですな。。。
 なんとこの掘りかけ隧道、分岐があります。正面は行き止まりのようですが、左は。。。?

 左。。。むむむ、ここも行き止まりでした。
 残念ながら長大延長隧道ってわけには参りませんでした。が、なんか遺構らしきものが見えますな。
 なんじゃこりゃ?
 これだけでは何の遺構なのかさっぱりわかり
ませんな。
 掘削に関係するブツでしょうか。
 そして奥ですが、完璧な掘りかけです。
 真四角に削った跡が、発破というよりかは
手掘り感を醸し出しています。
 そして正面の方ですが。。。
 なんかひしゃげたような坑道になっています。
 正面最深部。。。むむむむむ。
 非常に微妙な状態。。。
 これは、崩落で埋没している可能性が。。。
 予想通り、上部に少し隙間があります。
 ずりずりと限界まで覗いてみると。。。うーむ、
 完全に埋まってますな。
 その先があるのかどうかは分かりませんで
した。
 最深部より振り返り。
 うっすら明かりが反射していますな。

 さあ、脱出です。
 こんなに崩れているのによく隙間が残ったものです。
 お蔭で内部を調査することができました。
 で、この穴がなんなのか、そのヒントがまたまたコチラに掲載されていました。

 http://www.nwn.jp/kakokizi/20071212/itimen/itimen.html
 そこの地図に出ている「今回発見された砲台用トンネル」がここのことです。
 砲台用トンネルの掘削中に終戦になったんでしょうかねえ。
 因みに分岐隧道の正面側が崩れたように
なっていたので、反対側の様子を見に、山を
登ったんですが、反対側は断崖絶壁。。。
 とても見に行けたもんではありません。。。

 ここからでも沖ノ島、地ノ島、中央の小さい虎島を確認できます。
 ここからも砲撃をできるようにしようとしたんでしょうか。
 これで男良谷砲台探索は完了です。一部未探索と思われる場所は次回訪問しようと思います。