第一部 加太地区編
男良谷砲台その2
欠円アーチの水路隧道を抜けると即、海に 出ました。 この海に面してもいくつか遺構らしきものが 確認できます。 まずこの石積みの突堤みたいなもの。 |
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角度を変えて。 これは何でしょうかねえ。先の方に両側へ向け て階段が設置されています。 |
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一方、山側を見上げると、何やらコンクリ構造 物が。 |
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ちょっと引いて撮影。 どうもここの山肌は崩れてしまっているようです。それによりあのコンクリ構造物も途中で消失している模様ですな。 海に向けて巨大な滑り台のような構造物があったのではないか、と想像します。 その根拠はこちらの資料より→http://www.nwn.jp/kakokizi/20071212/itimen/itimen.html ※ニュース和歌山2007年12月12日号の紙面からのweb抜粋 ちと氏より情報提供 資料から、このコンクリ構造物は水雷の発射座設備の一部ではないかと思われます。 水雷投射施設というのが海面にあったみたいですがそれは確認できません。 一方、右手奥には石積みの壁面がまだ残っているみたいですな。 |
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行ってみると、ほぼ完全な状態が残っていま した。 これは。。。水路でしょうか。ダストシュートみ たいな傾斜になっています。 |
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振り返り。こうしてみると、石積みの突堤しか確認できませんな。。。 海辺はこの辺にして砲台跡に戻りましょう。 |
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この階段を登ればあっという間に砲台跡に。 | ||
階段を登ったら、ご覧の別の階段で少し降り ます。 右手には「海へ50m」のポールが立てられて います。 そして、そのまま90度回れ左! |
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すると目の前に棲息掩蔽部が。 この男良谷の棲息掩蔽部は石積みでできています。深山第一砲台の煉瓦造りとは全く異なりますなあ。 アーチ部分は分厚いコンクリート製です。これは当初から煉瓦アーチではなかった気がします。 |
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。。。随分簡素です。。。 煉瓦製の精緻な棲息掩蔽部を期待していたの で少々残念です。 |
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狭っ。。。 ドーム状のコンクリート部屋。。。まるで監獄 です。。。 |
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目一杯下がってもここまで。 こじんまりとしてます。 |
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2つある棲息掩蔽部の間、ご覧のような石積み により嵩上げされた空間があります。 上部へはこれまた石積みの階段が左から、 右からはスロープが設置されています。 |
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上部の空間はどうやら砲座のようです。 が、現在は植生が酷く、深山第一砲台のよう に跡を確認できません。 |
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2個目の棲息掩蔽部。 コンクリートアーチが異様なぐらいでかいです。 元からコンクリートを使用して造られたのでしょ うか。 内部は一緒なのでパスします。 |
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左手には2か所目の砲座跡が。 基本同じ造りをしています。 ちょっと上がってみますか。 |
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床面はもはや土に還っていて何も痕跡を見つ けられませんが、側壁部はしっかり石積み、 及びコンクリートの構造物が残されています。 |
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両サイドが切り石積み、奥側(海側)がコンクリ ートになっています。 切石もコンクリも謎の切れ込み入りです。 他特にないので、下に降りましょう。 |
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2か所目の砲座より左。。。 実はそこに今回最大のターゲットがおります。 そいつこそ。。。 |
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キタ〜!!!!!!! こいつこそ紛れもない煉瓦隧道!!!他サイト様で拝見してから夜な夜な夢に出てきた?極上物件! 何故にこんな所に煉瓦隧道が〜 |
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見事なフォルム! 坑門は切石の乱積みって感じですが、アーチは煉瓦で巻厚4層!隅石で脇もがっちり! そして極めつけの要石! |
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もうちょっとアップ。 どこに続く穴なのか。。。? |
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むむむむむ。。。 何か書いてあっても不思議ではない要石の 仕様。。。 旧北陸本線小刀根隧道の要石とほぼ同じ です。かの要石には「明治14年」と書かれていま したが。。。 こっちは何か書いてあるようなないような。。。 |
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隅石にも拘りがありますな〜。 |
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そして内部。 整然と煉瓦が並びます。そして一般的な煉瓦隧道と同じパターン、側壁イギリス積み、アーチ長手積みです。 床面がなんか変わってます。そして洞内は右に。。。 |
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お馴染みの振り返り。 当時はここからどのような景色が見えたのでしょうか。 |
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床面はコンクリートですな。 そしてこの穴ボコ。。。枕木が埋まってた!? のか? 何なんでしょう。何かをトロッコ等で運び入れて いたのか。。。 |
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さらに振り返り。 いいですね〜、この流麗な煉瓦のラインがたまりませんな!多少の歪みはご愛嬌です。 |
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そして右へ流れた隧道の行き付く先は。。。 !?土砂!? |
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なんてこった。。。 こうもりさんが棲息する最深部は土砂に塗れ ていました。。。 しかし隧道が崩落した様子はありません。 |
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どうやらすぐ先が何かの施設になっていたようです。そこから大量の土砂が流入しています。 人為的なのか自然なのか。。。 ところで帰ってから写真を見直して、右手にアーチ環があることに気が付きました。なんでこんな所に。。。 しまったな、確認したかった。次回訪問時に見てみたいと思います。 で、この奥に何があったのか、その答えは前出のニュース和歌山の記事に地図付きで載っておりました。 http://www.nwn.jp/kakokizi/20071212/itimen/itimen.html それによると、どうやら水雷の発射座というのがあった模様です。ここから発射された水雷は海に突き出していたスロープ を経由して海面にあったであろう水雷投射施設に達していたのではないでしょうか。 で、この隧道の入口から見て正面に水雷格納所なるものがあった模様です。この記事は訪問後目にしたもので、水雷格納 所も機関室も未確認です。これも次回訪問したいと思います。 兎に角この流れでいくと、やはり隧道内の床面のあれは枕木で間違いないと思います。要するに水雷格納所から発射座に 水雷を運ぶのにトロッコを使用していた、ということでしょうな。 |
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最深部より振り返り。 ここからは入口は見えません。 しかし水雷を通していた隧道とは(推測です が)驚きです。 |
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戻ってきました。 戦争由来の煉瓦アーチ隧道というのは自身 初めてです。 そして次回。。。この隧道を凌駕する物件を 発見するのであった。 以降、その3 に続く! |