淡山疏水隧道群


兵庫県

山田川疏水編

その10


  


                    2013年4月訪問

 第十二隧道から始まった山田川疎水探索、ここから
徐々にカウントダウンして参ります。
 さて、いかにも長そうな第十一隧道。
 潜入です。

 おおおお…いきなりの素掘り…そして…長い!
 対岸の光が点です。でもまあ、少しでも光があるのは心強いですな。
 振り返り。
 本当にすぐ素掘りです。

 安定しているように見えた洞内ですが、一部崩れているところがありました。
 崩れている箇所は僅かでした。

 水面に写るアーチがいい感じですな。
 途中コンクリ巻きになっている場所があります。
 これまた古いコンクリートですねえ。
 また素掘りに戻ります。
 さっきの箇所は崩れやすい場所だったんでしょうか
ね。

 第11隧道の最も広い空間です。
 なんなんでしょうか。待避所?(笑)
 ようやく東側坑口までやってきました。
 結構な延長でした。
 地図計測でおおよそ377mでした。
 11号隧道東側坑口。
 さあ、外はどうなってるんでしょうか。

 んんん?なんだこりゃ?
 コンクリ桁をずらっと疎水の上に並べています。

 と、その前に第11隧道の東側坑門です。
 蔦に覆われて扁額が見えません。 
   さて、石桁を並べた水路。
 この正体は???
 縁の上に立ってみると…

 おおおお!水路橋だ!
 水路体を保ったまま、水路橋になっておりました。意外な水路橋の登場です。

 総コンクリート造りですが立派なもんです。
 いいっすね〜
 水路橋から北側、つくはら湖方面の景色。
 県道はもっとつくはら湖寄りにあります。
 逆方向、南側はこんな感じ。
 水面が途切れてますな。 

 側面です。おおお…いいすね〜
 で、むむむむ!銘板がありますぞ!
 おおおお…いいすね!

 昭和21年6月18日被害
 復旧工事仝(同)年12月13(?)日竣功
 総工費22萬圓(万円)
 …
 最後に竹内氏、橋本氏の名前があります。

 1946年(昭和21年)に被害…終戦が1年前ですん
で、風水害による被害でしょうねえ。
 戦後の混乱期にあたって、半年のうちに復旧させた
ということは、それほどまでにこの疎水は重要であった
ということでしょうか。

 復旧前の姿が気になります。
 
 橋脚は3基あるようです。
 かなりの侵食を受けてますね〜
 真下です。
 侵食されつつも未だしっかりと疎水を支えています。
 南側です。
 がっしりしてますね〜

 最後に遠景を…
 結局橋梁名はわかりませんでした。恐らく何号橋梁とかでしょうけど…
 ネタバレしますが、水路橋はここだけですんで、
山田川疎水水路橋にしておきます。

 その水路橋からすぐ、もう次の隧道が口を開けています。

 出ました、第10隧道です。
 フォルムはもう言わずもがな、です。全く同じデザインですね〜
 おお、第拾隧道になっています。
 ここは「十」ではなく「拾」になってますな。

 第10隧道も内部は素掘りでございます。いやあ、難工事だったことは想像に難くないですな。
 西側坑門を振り返り。
 綺麗な画像が撮れてなかった第10隧道。
 通して全部素掘りでした。

 東側に到着です。
 地図計測では125mぐらいです。

 第10隧道東側、呑口です。いやあ、見事にクローンです(笑)
 そして、振り向けばすぐに次のクローンが…ふふふ…

 現在公開できる情報です。
 今回は11隧道内部から山田川疎水水路橋、第10隧道までをレポしました。
 青線県道表記が前回と随分違いますが、適当なんで悪しからず…


 以降、 その11 に続く!