淡河川疏水編
山田川疎水編はこちら
2013年4月訪問
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) |
2013年4月。琵琶湖疏水関連で調べ物をしていた時の ことです。 ふとしたことから淡山疏水というものに出くわしました。 淡山疏水とは明治から大正時代にかけて実施された 淡河川疏水事業と山田川疏水事業の二つの水利事業 によって成立した疏水です。 淡河川疏水着工は1888年(明治21年)、竣工が 1891年(明治24年)。 延長はなんと26.3km、隧道も28か所と桁違いの規模 です。 近代土木遺産にも登録されており、淡河川疏水はB ランクです。登録数は現在16か所だそうです。 そして何と言っても…構造が! 煉瓦トンネル(石ポータル) これは見に行かなくては!!! というわけで「宮様の石橋」の宮川さんをお誘いして 現場に急行しました。 |
早速やってきました淡河川疏水の取水口! 取水口は神戸市北区淡河町にあります。 現場には案内板が取り付けられておりました。 |
|
まずは頭首工に向かいましょう。 早速左の暗渠部が気になりますが、取り敢えず頭首 工に。 |
|
これが淡河川疏水の頭首工です。 。。。。。。。。。。。。。。コンクリートですな。。。 ちと残念。 案内板によれば、この頭首工は1891年(明治24年)に 造られた施設で、当時は石積みだったようです。 それが1955年にコンクリート製に改修され、1993年には 取水樋門、土砂吐が改修されたそうです。 |
|
上流側より。 後年大規模事業によって完成した東播用水の看板 が掲げられています。 手前に取り入れ口がありますな。 そして右奥の取水樋門に。。。 |
|
水利使用標識もありました。 |
|
取水樋門も。。。やはりコンクリートです。残念〜 この時期はまだ水を流さないようで、樋門はぴったり と閉じています。 |
|
下流側を見ると。。。おお!? 煉瓦がみえるぞ!? |
|
おおお!改修されたと聞いてましたが、煉瓦が残ってるぢゃありませんか! しかも、2連切石アーチです!これはすごい! |
|
一瞬コンクリブロックにも見えましたが、れっきとした 切石のようです。 |
|
下を覗いてみると。。。これまたおおお!煉瓦アーチです! 初っ端から逸品の登場です! |
|
しっかり煉瓦アーチです。 中央の切石は装飾的になっています。 |
|
取水樋門の煉瓦アーチですから短いのは分かります が、それでもかなりの短さですねえ。 |
|
向かって左側の樋門。 わざわざ2連にしたのはどういった理由からなんです かねえ。 |
|
振り返り。 奥の欠円アーチが気になりますよねえ〜 |
|
取水樋門からすぐ。 左側は土砂吐と思われます。 で、水路蓋の先には。。。短い隧道だか暗渠なんだか が見えます。 |
|
ほほお。。。煉瓦に見えた欠円アーチですが、違うよう です。 |
|
ふーむ。。。 鉄板みたいですねえ。 内部はどうなってるのか。。。 |
|
ありゃ〜 側壁コンクリート、欠円アーチはセントル巻きになって います。 後年改修でしょうが、その前は素掘りだったような 気がします。 |
|
吐口です。 うむ。やはり素掘りだったんでしょうな。 ここは、 (仮)第1号暗渠としときます。 |
|
疏水はここから26km超続いているらしいのです。 うーむ、気が遠くなるな。。。 |
|
疏水は畑の右側に沿って続いています。 | |
北大池から注ぐ川を跨ぎます。 水路橋ですな。コンクリートですが。 川を渡ってから道路手前で右に折れ、暗渠化します。 |
|
ここから県道38号線を潜るわけですが、河川はBK です。 で、見えますでしょうか。左手の空きスペース。。。 |
|
水門の遺構が。 以前はここまで開渠だったのではないでしょうか。 で、この先は。。。??? 立地的にここの調査ができませんでした。 ここは次回追調査対象です。 |
|
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) |
印は水門遺構の場所です。 地図では疏水と川が一体化していますが、実際は 異なります。疏水は県道を渡るか真下に残るか分かり ませんが西に進み、左上の水路表記に繋がります。 |
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) |
さらにそこから西に1km弱。 こういう気になる表記があります。 が残念ながら改修済みでした。北側にある国道428号 線を跨ぐ水路橋も改修済みです。 写真はありませぬ。 失意の中さらに西進。。。 すると!いい物件が登場します! 以降、 その2 へ続く! |