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全くのベールに包まれた、大崩落地点より先の白倉
林道。。。
これから一体どんな姿を見せてくれるのか。
くるまみち的には、ここからが本当の第二部開始となり
ます! |
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銚子川第二発電所から一体どのくらい歩いたのか。。。
第一隧道までが約3km。そこから大崩落地点まででも
3kmは下るまい。。。ということは都合6km歩き通し。。。
ああエゲツない。。。ここから引き返しても12kmの歩行
となります。私ら登山家ぢゃないっすよ???
しかし皆様疲れた素振りも一切見せず、全員この先にしか
目線は向いていません。兎に角今は先に進むのみ! |
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大崩落地点から程なくして。。。短い橋梁が現れました。
白倉林道では標準的なガードレール橋梁です。 |
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年季は感じられるものの、ビクともしない橋梁。それが
遠くない昔に利用されていたことを窺わせます。
不動橋 ふどうはし
1966年(昭和41年)10月竣工
えらく大仰な命名です。そんな重要な橋梁に見えない
んですが。。。 |
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。。。忘れかけていますが、この辺りはすでに、「第2
二ノ俣線」の想定地内に入っています。
不動谷対岸の二ノ俣線から索道によって、白倉林道の
どこかに取り付き、第2二ノ俣線となってさらに奥に進んで
いたようですが。。。
索道の設備跡が、この白倉林道上からは見出せませ
ん。一体どこから第2二ノ俣線なんだ。。。 |
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そんな折に見つけた、初めての遺構らしい遺構がコレ
です。
写真の写し方が悪く、よく分からない映像となっています
が、これ、手前のコンクリ部分が現在の路肩です。
木の向こう側にも崩れて残った路肩部分が見えると思い
ますが、コレ、石積みの路肩法面を成しています。
林鉄が通っていた時代の路肩ではないでしょうか。
林鉄跡を車道用に拡幅する際に、山手を削って、路肩を
なるべく内側に持ってくる傾向があるように思いますので、
これもその状態ではないでしょうか。 |
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先ほどから心なしか左右の植生の勢いが増してきている
ように感じます。しかし路面には植生がほぼない状態の
ため、歩くのに支障は全くありません。 |
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むむむ!
林道脇に「異」なものを発見します。
やけに「赤」の映える灰皿、そしてやや古びた「集合解散
場所」表示のある鉄柱が刺さっています。設置が昭和57年
ということで、白倉林道が完全に車道専用になってからの
遺産でしょうか。
。。。しかし。。。「集合解散場所」とはどういう事なんで
しょうか。ここは第2発電所からでもすでに6km以上は
奥まった場所です。「どこから」集合して、「どこへ」解散す
るんですか???そんな疑問を皆さん感じておりました。 |
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今考えても答えは出ません。
先に進みます。
むむ!またもや橋梁か? |
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小さい橋梁がいくつも続きます。このサイズだと通り一遍
の姿形ですが。。。
雷橋 かみなりはし
1966年(昭和41年)12月竣工
必ず名称が付いていることが嬉しいですねえ。 |
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ここは連続して橋梁が続きます。
羚羊橋 かもしかはし
1966年(昭和41年)12月竣工
いまいち名前の付け方の法則が分かりませんなあ。 |
眼下には不動谷の川床が見えます。
一時よりも標高差が縮まっている気がします。徐々に不動谷自身も標高を上げているのでしょう。 |
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大崩落地点から特に変わらず続く白倉林道。どんだけ
奥まで続いているんだろうか。。。 |
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むお!
大崩落地点から初めてのガレガレ区間の登場です。
支流からの土石流でもあったのか、大分川床が削れて
いる感じです。 |
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幸い水の流れはないようです。
暗渠となるべき場所は瓦礫で蓋をされ、桁橋上にも瓦礫
が流れ込んでいます。 |
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暗渠の上です。この大きさの瓦礫が小石の流れが如く
積もっています。
その当時の惨状を窺い知れます。 |
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暗渠から先は路盤が流失していました。
もう一発でかい土石流が発生すると、暗渠も消滅して
しまいそうです。 |
ところで、ここで重要なポイントに気がつきます。
今暗渠の上に立っていますが、ここから先の路盤消失。。。その右前方に、何か路盤跡のようなものが見えませんか?
(カーソルオンで仮想ルート表示します)
このようなラインでかつての軌道路盤が走っていたのではないでしょうか。明らかにあの場所とここの暗渠とは接続する感じ
はしませんので、間違いないと思われます。 |
少し戻って側面を捉えました。
乱積みのような石積みで路肩を固めているのが分かります。橋台だったであろう部分の石積みも残されて
います。 |
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この大荒れの状態から、よくぞの遺構の残りっぷり。
この先でも何か見つけられるだろうか。。。 |
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只今の時刻 10:29
想定転回時間 12:00 まであと1時間31分!
この先どこまで進めるのか。。。
以降 その3 へ続く! |