旧東海道本線 静岡県焼津駅〜用宗駅間
その4
2016年1月訪問
波打ち際に転がる煉瓦構造物。ここまで大きなものが、しかも鉄道の煉瓦構造物が残っている場所は そうそうないと思います。 自然の猛威をまざまざと感じることができます。 |
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アーチの面を残したまま瓦礫と化した石部隧道の坑門。 どうやったらこんなにも木っ端みじんになるんでしょうか。 |
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一枚目の写真の裏側です。側壁や内部の石積みが丸ごと引き剥がされています。 |
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これこそまさに木っ端みじんの瓦礫たち。どこのパーツかは見てすぐ分かりました。 |
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坑門の迫石部分ですね。 迫石は破断することなく、煉瓦のブロックに 張り付いています。 |
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石部トンネル2本と、その瓦礫たちを1枚の写真に収めました。 大崩壊はおよそ2回に分けて発生したようで、ちょっと前のサイトさんの写真とは崩落具合が明らかに異なります。 明らかに異なるのは、海側のトンネルに増設された坑門の状態です。現在は増設された坑門が丸ごと崩落していますが、 前は半分残存しておりました。 |
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パパンさんから頂いた焼津市50h記念誌の資料写真です。 増設部分の坑門が真っ二つになって海側に倒れ掛かった状態です。 あれからここまで崩落が進むとは… |
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海側初代目石部トンネル坑門増設部分の残骸と思われます。 楯状迫石のアーチ環、フランス積みの切石坑門、内部煉瓦アーチが綺麗に残っています。 そして各煉瓦の平の面にはいろいろな刻印が。 |
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↑漢数字か平仮名の「二」? 解読不能です↑ ↑釘のような形 ただの傷なのかどうか↑ ↑「廿三」23? 「卅七」37?↑ ○字に「T」 当時の煉瓦製造会社の社章や数量管理番号などでしょうか。特に「37」?の刻印など装飾的ですね〜 |
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石部トンネルから先の廃景。 ここにかつては鉄道路線があったとはとても思えない波打ち際。 そこには人工物が散乱しています。 |
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石部トンネルからすぐの橋台跡。ここは暗渠ではなく橋梁だったようです。 明治25年12月鉄道庁刊行の鉄道線路各種建造物明細録第一篇によると、初代石部トンネル(海側)の延長は 2864尺5寸(約868m)。そこから17m南に、3尺(約0.9m)の無名煉瓦アーチの記載があります。そのさらに南、11.4m先に 踏切道の記載もあります。しかしながら、この橋台に関する記載はありません。恐らく明細録の記録以降に追加建造された ものと思われます。山側の2代目が掘られた際に造られたのではないでしょうか。 橋台の石積みがフランス積みとなっており、装飾的ですね〜。海側トンネル増設坑門も同じフランス積みなので、同時期の 推測が成り立ちますね。 踏切道の姿は影も形もありません。が、無名煉瓦アーチはというと… |
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辛うじて残存しておりました。よ〜残ってくれてました! これが資料記載の3尺煉瓦アーチに間違いないと思われます。名前の記載がないのが非常に残念です。 無名なので勝手に、(仮)石部橋梁とさせて頂きます。 |
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坑門は喪失。激しい侵食に遭いつつもアーチの体を辛うじて保っています。2層の半円アーチです。 |
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内部には瓦礫が詰まっており、奥は閉塞。 山側トンネルが開設された際にこの暗渠が廃止され、フランス積み橋台の橋梁に変わったのではないでしょうか。 |
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真横から。重ね重ね、よく残存してくれておりました。 |
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少しだけ磯浜トンネル方面に足を運びます。 線路敷きは根こそぎ洗い流されており、瓦礫の山です。自然の猛威は凄まじい… |
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ここに線路敷きがあったはずなんですがねえ… ここまで洗い流されるとは… |
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これも焼津市50h記念誌の資料写真です。 廃線後に車道(バス専用?)として転用されていた模様です。 右奥に第一洞門の姿が写ってますね。 |
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もう一枚。これはどこのトンネルでしょう?石部トンネルの北側坑門でしょうか。 |
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噂の埋め立て処分場からの廃景。なぜここを処分場に選定したんですか〜orz お陰で磯浜トンネルの入り口は完全に埋没してしまいました。 |
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さてさて、石部トンネル坑門前の様々な遺構をすっかり堪能して満足していましたが、内部の探索がまだでした。 漸くこれから潜入です! ※写真には3人居ます。分かりますか〜?とのたまさんが廃景に染まってます(笑) |
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この瓦礫は場所的には山側の増設坑門と思われます。 坑門前面の切石が全て剥ぎ取られた形で横倒しになっています。 |
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アーチ部分が残ったまま横倒しになっているお陰で、なかなかできないアーチ立ち(笑) |
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上に乗って鑑賞なんてなかなかできません。 |
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剥ぎ取られた増設坑門。そこには増設前の坑門が顔を出しています。 迫石、要石、帯石、笠石のみのシンプルな坑門となっております。 |
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引っ付いていた増設坑門の煉瓦が残っています。 そして…かつてはこの海側のトンネル内部に入るのがかなり難しい状態だったようですが、現在はあっさり入ることが できます。 |
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めっちゃ整理整頓されています。昔はここにお住まいだった方の生活道具などが散乱していたようですが、今は 綺麗になっています。 |
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廃品の選別までしてあります。 どうでもいいですが、海側のトンネル側壁はフランス積みですな!珍しい! |
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こんな感じです。やはりイギリス積みよりフランス積みの方が私は好きですねえ。 |
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振り返り。往時は車窓からどのような景色を見ていたんでしょうかねえ。 |
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配電設備が付いていたんでしょうか。 | |
すんごい綺麗になってますね。右手に退避坑が。 |
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2層半円アーチの可愛い退避坑。 |
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すぐにもう一つの退避坑が…って、えええ???明るい? |
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なんと貫通しちゃっているではありませんか。 そう、これがレポその3に出てきた頭上高くにある穴への道です。しっかり2層のアーチで仕上げている謎の横坑。 これが第3の横坑になります。 |
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横坑の側壁までしっかりフランス積みです。その後は素掘りとなります。 |
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元々金網があったようです。 | |
眼下は…えらい場所に穴があるもんです… 人の出入りというよりは、ズリ捨て穴ではないでしょうか。 |
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ここからでもあのゴロン煉瓦を見ることが出来ます。 |
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狭い坑道です。トロッコでズリ出ししていたんでしょうか。 |
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横坑から本坑を望む。 |
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本坑に戻ります。今度は左側に退避坑が。 |
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山側にあるだけに、まさかの連絡通路?と 思いましたが、残念ながらただの退避坑です。 岩盤剥き出しですねえ。 |
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右に左に退避坑が続きます。 そして土砂の量が増えます。 |
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一定量嵩上げされた土砂とゴミ… 左に退避坑が埋まっています。 |
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アーチ環部分しか出てませんねえ。 | |
閉塞地点が近づいて参りました。 |
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多少隙間はあるものの、すぐに完全閉塞になるようです。 |
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最深部を確認する、左空母さん、右とのたまさん。 |
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最深部より振り返り。意外と長かったですねえ。 |
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そしてもう一洞。山側のトンネルです。こちらも被害は甚大です。 山側のピラスターだけが辛うじて生存しています。 |
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山側は増設された坑門ではなく、元からのもののようです。 海側が先に出来、後で山側が掘られ、ズレができた海側の坑門を山側とツライチにするために拡幅したのでは ないでしょうか。 |
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こちらも綺麗にされています。後年物ということもあり、こちらの方が安定感を感じます。 |
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振り返り。 |
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海側との大きな違い。そう、こちらの側壁煉瓦積みはイギリス積みです。 現在圧倒的多数を占めるのはこのイギリス積みで、フランス積みの側壁は本当に貴重です。 |
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山側は閉塞が早いです。 |
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その前に山側唯一確認できる退避坑です。 |
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3層の欠円アーチを持つなかなか立派な退避坑です。 馬蹄型の洞内に対して真っ直ぐに施工しています。 |
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盛り土が一気に増加します。この土はどこからきたのでしょうか。 推測するに、現在線の新石部トンネルを掘った際の残土かもしれません。 |
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最深部はこんな感じです。微妙に隙間があいてますが、それも僅かのようですので、奥には入りませんでした。 |
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最深部より振り返り。 探索範囲は海側よりもかなり短い状態でした。 |
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広い洞内!常々思いますが、これだけの量の煉瓦を組み上げる労力は計り知れないものがあります。 |
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いやあ、しこたま堪能できました。しかし全然飽きませんな〜。丸一日居ても大丈夫ですな(笑) |
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県道まで登ってきました。 そこに設置されている、昔はなかったという 案内板。 石部地区・鉄道愛好会の方々が設置した ようです。 |
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昔は降りるのも一苦労だったようですが、現在では2枚上の写真に写っているお二方でも見に行けるまでに 整備されています。 |
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最後に県道からのゴロン煉瓦。 いやあ、どこから見ても素晴らしい遺構です! さて、メインの探索は終わったわけですが、次は裏のメインといっても過言ではない物件。 前日、前々日の降雨がどう影響しているのか、心配ですが… 以降、 その5 に続く! |