中音水篇
その1
2016年6月再訪
前日にYori-yanさん邸にて至高の前夜祭を開催。 ご家族の方々の温かいおもてなしを受け、大満足の 前夜祭にさせて頂きました。 ありがとうございました! 前夜祭参加者は、おろろんさん、クイックさん、 むねぞうさん、ピカさん、アルプさん、私の計5名。 一夜明け、本日の探索のターゲットである音水林鉄 跡にアタックすべく集合した場所が道の駅はが。 ここで、探索からの参加である、はみ男さん、新顔の kazafu700さんをお迎えし、他、おろろんさん、クイック さん、私の計5名でのアタックとなりました。 一口に音水林鉄といっても、結構広大です。 音水林鉄はかつて山崎営林署が運営しており、 波賀町(現宍粟市波賀町)に、坂の谷6.7km、 上野9.0m、万ヶ谷2.5km、音水2.0km、中音水6.2km、 赤西10.8km、かんかけ支線2.6kmの計7路線があった 模様です(林鉄の軌跡より)。 その中で最も遺構が堪能できそうな、中音水に ターゲットを絞り、おろろんエクストレイルにて進軍。 林鉄跡へのアプローチポイントはここです。 |
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映像は一仕事終えて帰ってきた所です。 中音水へのアプローチには左からやってきて、ここで左折します。 道はすぐにダートに変わります。道はあまりよくありませんので、通行は車高の高いSUB車をお薦めします。 ※落石・倒木など多々ありますので、通行の際は自己責任でお願いします。因みに終点まで行くと転回場所がありません。 適度な広場で駐車することを推奨します。 |
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左に行けば引原川支流の中音水川源流。 今回行かない直進は音水川の源流となります。 因みにこの道は中音水林道というそうです。 |
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中音水林道最初の橋梁。なんの変哲もない桁橋 ですが、そのネーミングが秀逸です。 その名も、 「インクラ橋」 ご丁寧に振り仮名銘板もあります。いや、いらんや ろ…(笑) 1991年(平成3年)3月完成。その前の橋の姿を知り たいですねえ。 「インクラ」とは当然インクラインのことだと思われま すが…どこかにあったんでしょうか。 ここで名著、「林鉄の軌跡」の地図を見てみると… |
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「音水インクラ210m」というのがありました! まさにこのインクラにちなんだ橋梁名と思われます。 当然この設備は消滅していると思われますが、名残 はあるのかな…? |
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ありました!突き抜けるように続く広々とした斜面がはるか上空まで伸びています。 これが音水インクラ210mに間違いないと思います。 これを辿れば、上部軌道に行けると思いますが、探索を終えてへとへとで、とても行く気にはなりません。 「林鉄の軌跡」さんの地図には「踏査不能」と書かれているのが気になります。 |
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この斜面に一本、レールが突き刺さっていました。 | |
向かって右側の側面には、インクラインの斜面を支える石垣が。 素晴らしいですね〜。 |
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中音水林道は橋梁を越えるとすぐにダートになりま す。 何度も言いますが、車での潜入は自己責任で! |
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右の山肌を見ると、このような石積みの水路が。 これも林鉄時代の遺構ではないかと。丁寧な造りですねえ。 さて、入り口付近の話はここまでにして、そろそろ、探索前に時を戻しましょう。 |
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午前8時半。車両は中音水林道の中途に駐車させておくことにしました。 少し大きめの瓦礫が道を塞いでいたことと、ちょうどそこに待避所があったからです。 どかそうと思えばどかせたんですが、何となく深入りはしない方がいい気がしました。 |
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ここから徒歩にて進軍スタート! 最近関西でも熊の目撃、被害が多発しています。クマ鈴の携行は必須です!単独での潜入もやめた方がよいです!! |
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先程は落石がありましたが、総じて意外と安定した道を維持している中音水林道。定期的に整備されている模様です。 |
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遠い…デポ地が早かったのか、林鉄跡まで結構歩きます。 ここまでおよそ30分の道のりです。 で、突如現れたこの法面。実はこの法面と杉林の境目が林鉄跡だった模様です。 なぜ分かるのかと申しますと、帰りに逆に辿ってみたからなんですねえ。 |
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中音水林道はそこからすぐ。突如終点となります。ね、転回出来ないでしょ? |
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終点にはこのような案内標識が。 「引原川支流 中音水川源流」 入り口にあったのと同じ表記です。 で、矢印は斜め上になっており、踏み跡も何となく 上にあるようですが(辿ってませんのでわかりません) 林鉄跡はこの林道よりも下を平行に走っています。 |
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下を見てみます。 どうやらあの杉、ヒノキ林の境目が林鉄跡です。 が、アプローチの道筋が見つかりません。 やや滑り降りるように、各々場所を見つけて下って いきます。 |
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降り立った林鉄跡。道筋がしっかりと確認できます。 いい具合です。 |
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林鉄軌道の路肩はこのように石積みで補強されています。 中音水の軌道開設は1937年(昭和12年)。廃止は1960年(昭和35年)ということで、運用は23年。 廃止から56年経過していますが、石積みは今も林鉄跡を支えています。 |
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行きはすぐに林鉄跡を上ったんですが、ここで帰りに調査した、下り方面の様子をお伝えします。 ちょっとガレているものの、一応軌道跡は保たれています。 |
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このような石積みで守られた軌道跡も残ります。 しかし、この施工は新しい感じがします。 |
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石積みを過ぎて振り返り。 これは上部林道の法面補強として施工されたものと感じます。 そしてここを境に軌道跡は姿を消します。 |
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そう。この法面に飲み込まれます。 ここから下り、法面が消えたその後も軌道跡が復活 することはありませんでした。 恐らく林道開削時に埋まってしまったものと思われま す。 そしてどこかのタイミングで林道と高低差が0になり、 合流したのではないかと… |
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上りに話を戻します。 探索初っ端からいきなり道が悪くなります。 |
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倒木の滝。先が思いやられます。 |
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かなりガレています。 |
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しかし少し行くと、路盤が安定してきました。一同胸を撫で下ろします。 |
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そして!眼前に第一の遺構が姿を現しました。 ネットでも拝見したことのある、物件です。 |
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鋼鉄製のガーダー橋! こんなところにこんな重厚な遺構が残っているなんて、凄すぎます。 |
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コンクリート製の橋台に乗せられた巨大な鉄のカタマリ。 例えバラしたとしても相当な重量があると思われます。当然現場打ちのコンクリ橋台とは訳が違います。 どうやって運んだんでしょうか。トロッコ大連結で運んだんでしょうかねえ。 それでも、どうやって下したんだって話ですが… |
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濡れてなかったので、行けるかな?と思いつつ、 橋上へ。 頑丈なのは分かりますが、やはりこの細高さは怖い ですね… 一応、わざわざ渡らなくても下から来れますので。 |
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対岸より。本当に、どうやって架けたの??? |
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続いてもう一本。 ちょっと見えにくいですが… |
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これも橋梁です。 材質は鋼鉄ではなく、コンクリのようです。上には、ナント枕木が! |
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対岸より。コンクリ製のこの橋梁の方が分厚く、安定感があります。 |
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橋台は石積みとコンクリの併用のようです。コンクリ桁が乗っかっています。当然鉄筋入りでしょうね。 これは現場打ちなんでしょうかねえ。 |
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切石を空積みしています。無成形っぽいですが、なんとなく谷積みになっています。 いやあ、軌道敷き含めて美麗ですねえ! |
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ここまで軌道敷きが綺麗に残っているとは思っておりませんでした。 左側には中音水川の堰堤が見えます。 |
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鑑賞ポイントが沢山ありますね〜 |
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そして3本目の橋梁が! 以降、 その2 に続く! |