京都府は綴喜郡宇治田原町、国道307号線にかつて 存在した3つの隧道。現役の隧道は「大福隧道」、 「奥山田隧道」の2つとなり、3つの隧道は消え去ったと 思っておりました。 現役2つの隧道も相当年季が入っていて、こんな道を 隧道上部すれすれで大型のトラックが通り抜けていきま す。この隧道より古い隧道が現存するなんて。。。 期待を胸にやってまいりました。 |
|
まずは「大福隧道」のそばにあるとされる、 「奥山田第一隧道」の捜索から開始しました。 「捜索」という言葉がふさわしく、かなり手こずりました。 上の写真から見て道路右手はすぐ山の斜面が見える ため違うだろう。では左か??右も竹やぶが広がり、 道路跡らしきものがない。 ちょうどマイカーの背後あたりからうっすら獣道が残って いたので、そこから進入を試みた。 |
|
とても車道跡とは思えない場所を、かきわけかきわけ 前進する。しかし確かに左手斜面は人の手が入っている 感じがする。現道とも平行している。ここしかないか。。。 |
|
奥が妙に暗くなってきた。不気味な程に。。。 | |
あった! 本当にあったよ。不気味に暗く静かに、現役を退いて 何十年か、自身本来の目的を失った今この瞬間も ぽっかりと口を開けておりました。 鳥肌立ちました。。。 |
|
下半分は土砂に埋まっているようで、小さくみえますが 高さは結構あるようです。離合はまず無理な幅ですが。 明治製とは思えないぐらいしっかりとした造り、現役で 存在していても不思議ではありません。 |
|
「明治45年3月竣工」はっきり読み取れます。 | |
「京都土木部」の銘板もありました。 | |
内部映像です。きれいなアーチを今も残しています。 奥には山積みのタイヤが。。。道は深めの水溜りに。。。 もったいない!!! |
|
こんな感じですよ。。。 | |
トンネル内部通過はほぼ不可能の為、「大福隧道」を 通過して反対側へ廻りました。 |
|
反対側はもっと難関です。現道を1段下がった場所に 旧道があったらしいのですが、鬱蒼と茂る草木と不法 投棄、ぬかるみ状態で環境最悪です。 草刈をしながらの進軍となりました。 写真は旧道から現道を見上げた感じです。 |
|
相当刈り込みました。何年か振りの人間の侵入でしょう か。 |
|
ありました!反対側。 こちら側のほうが全体を見ることができます。 凄まじい環境の中、さながら密林の遺跡に近い状態 です。しかしこの頑丈な造りは立派です。 |
|
内部はやはりタイヤまみれの水溜り。 | |
隧道から振り返ってパチリ。 こんな状態です。 |
|
扁額がありません。 「奥山田第一隧道」は完全に自然へ還ろうとしています しかし、造りは丈夫そうで、遺跡として残りそうです。 それにしても疲れた! 第二第三の隧道もこんな保存状態なのか。。。 以降、後半戦へ! |