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この靄がかった空気と湿った路面。。。朝靄の
ようですね。。。
実を申しますと今回の探索は4号が一番最期の
探索でしたが、ネタの都合上前後致しました。
この後もストーリー上風景が前後することがあ
りますが、あらかじめご了承願います。。。
さて、1号、2号は大又林道ではなく、佐渡林道
にある、ということですが、地図には一切隧道の
表記がありません。
この佐渡林道は大又林道よりも道幅が広く、
軌道跡の面影は一見見受けられません。 |
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1号より2号が手前にあるのは自明の理なので
すが、まずは現役で存在するとされる1号隧道ま
での道のりをご紹介致します。 |
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車道幅は充分に確保されている訳ですが、谷
側に軌道の跡と思しき遺構を時折見ることがで
きます。
例えばこの写真の中央をご覧頂きますと。。。 |
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谷側の路面補強の石組み跡が見てとれます。
軌道はずっとイン側、谷筋に沿ってラインがあっ
たと思われます。車道として拡幅の際には、山手
を削っていると思われます。
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反対側から見ても軌道ラインはもっと谷に迫り
出していたことを窺わせます。
手前には、明らかな軌道の遺構が残されていま
す。石積みは橋台で、木製橋が架けられていたの
かも知れません。 |
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谷側をインにしたカーブでは大抵この石積みが
残っています。
本当に相当谷沿いぎりぎりに敷設していったこと
が窺えます。かなりの難工事だったのではないで
しょうか。
軌道跡でよく見る転がる碍子が、電化されていた
ことを窺わせます。 |
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左は谷底、右は切り立った岩壁が聳える狭い区
間です。こんな所も切り開いて軌道を通していった
のでしょうか。すごいですねえ。 |
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今までで最もきつい谷側インカーブです。
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!!!
そのカーブの先にぽっかり空く穴の姿が!
地図にない隧道の登場です! |
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隧道見学の前に、ちょっと谷を振り返って目を
やってみますと。。。んんん?
瓦礫の中に明らかに人の手が入った木材組みの
跡が見て取れます。これは車道が出来る前の軌道
橋梁跡なのではないでしょうか。他にも木材が多数
転がっています。 |
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さて、改めて隧道でございます。
短いです。幅と高さは明らかに車道としての役割
を担わせられている仕様です。
確か場所はこの辺だったと思います。
しっかり確認してなかったので、結構怪しいです
が。。。 |
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明らかに跡付けっぽい坑門のコンクリ巻き。薄い
巻きですねえ。内部は素掘りのモルタル吹き付け
で補強はされています。 |
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反対側の坑口です。広さは十二分、現役車道
林道として全く違和感ありません。ナゼに池ノ宿洞
門はあんなに狭いままなのか。。。
地図を見ると、備後川林道、佐渡林道は同じ道
幅であるが、大又林道は一回り細い道幅表記と
なっています。そのことから、大又林道は支線であ
り、本線上に存在する1号隧道は拡幅され、3号の
池ノ宿洞門がそのままである理由の一つと言えそ
うです。 |
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ここにも説明板がありました。
1号トンネル:1935年(昭和10年竣工)延長17m
佐渡林道に現存。
2号トンネル:???
3号トンネル:1938年(昭和13年竣工)延長285m
大又林道に現存。池ノ宿洞門。
4号トンネル:1941年(昭和16年竣工)延長23m
大又林道にあったが、開削済み。
ここまで判明致しました。
1号から4号まで、6年程費やして完成させていっ
たようです。 |
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車道用として拡幅される前は、本当に狭くて短い
隧道だったんでしょうねえ。 |
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道路脇に打ち捨てられていた看板です。
これは軌道時代の看板なのでしょうか。想像も
含めて解読してみました。
8-3 一旦 停止
ふ 上 方 伐 採 中
み に つ き 伐 倒 手
き に 連 絡 の う え
り 通 行 の こ と
こんな感じではないでしょうか。
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この1号トンネルから先も延々と林道と軌道跡が
続く事が想定されますが、さすがに歩くにはムリが
あると思い引き返しました。
次回、遂に2号トンネルの状態が明らかに!
以降後半戦へ!(前回は後半戦が今回
としてましたが、すんません。。。) |