掲示板にまたもや驚くべき情報が舞い込んできました。 情報提供者は、かずっぺ氏。 千早赤阪村の隧道といえば、泣く子も黙る千早洞。大阪 府唯一無二の廃隧道。。。と、思っていましたが。。。 「至体通天」という名の手掘りトンネル??? 千早洞はそんな名前ではないし。。。 こいつは新たな隧道情報に間違いない!ということで、 かずっぺ氏に詳しい場所を教えてもらって、急遽訪れま した。 それにしても。。。あらゆる地図にも一切記載がないの です、この隧道。。。へたをすれば、そこに至る道筋すら ない地図の方が多く、挙句の果てに道筋表記が実際と 異なる地図もある始末。。。そんな場所にこの隧道は 存在します。。。 |
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車中から撮影したので、画質が悪くなっています。ご 容赦下さい。 このような、軒先すれすれを進んでいきます。完全に 生活道路であり、遠慮しつつ走ります。 |
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相当狭い生活道路を、かずっぺ氏に教えられた通り 進みます。。。むむっ、あのミラーのとこを左折のはず。。。 |
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むおっ、せまっ! 少し苔むしかけた細い坂道。。。3ナンバーでぎりぎり です。軽自動車専用道路って感じです。 |
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左の側溝に気をつけつつ登ってきました。 生活道路の裏道。。。この辺りに住んでいる方のみが 本来使うべき道なのでしょう。。。すみませんが、少し お邪魔します。 |
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今来た道を振り返り。 狭いほそーい。右下の溝は特に注意。。。 |
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こんな坂道の途中で道が分岐しています。 右は明らかな規格外の急坂。 。。。そして左。。。アテンザ君の視線の先には何か ありそうな。。。? |
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!!! いた!! こんなとこに潜んでいたとは。。。 |
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小さい。。。まず第一印象。で、封鎖されとるがな!が 第二印象。 見た目そんな古い造りではなさそうです。コンクリート 製の坑門、装飾というか唯一笠石が乗っているぐらいの 控え目な造りです。 地元の人々が主体となって造ったのでしょうか。 |
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で、肝心の扁額確認です。。。 やっぱり!!「至誠通天」と掲げられているようです。 ご紹介頂いた隧道に間違いありません! ※掲示板でご指摘があり、「誠」が正解であろうと判断 致しました。 よくこんな場所の隧道をご存知ですねえ。。。 でで、その4文字の下には重要な情報が。。。 扁額の下に落書きのように書かれた白い文字と同じ ことが書かれています。 「昭和36年(1961年)早春 大阪府知事 佐藤 義詮」 昭和36年ですから、やっぱりそれ程古いものではあり ません。(まあそれでも48年ものですが。。。) それはいいとして、最も驚いたのが大阪府知事が携 わっているという事実です。確かに記述の御仁はそのこ ろ大阪府知事の職に就いていたようですので、からみは 間違いないと思います。 千早赤坂村村長、というならまだしも府知事ということ に驚きです。何かそれだけの理由があったのでしょうか。 |
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側壁は乱積み石垣でできています。 大分植物の根が張っている感じがしますので、崩れそ うな印象はありません。 |
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うーん、何の目的で大阪府知事の名前までもらって 掘ったんでしょうねえ。 |
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内部を拝見。。。 きれいなコンクリアーチで巻かれています。 。。。が、その奥はアーチがない気がします。 中が見たい! で、よく見ると、反対側坑口は蓋をされていない気が します。 おし!反対側に行くべし! |
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振り返ります。 うーん、やっぱり狭いなあ。 できれば通り抜けたかったけどなあ。。。 |
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バックで民家のとこまで下るのはホネが折れそうや なあ。 左手の急坂を登ってから引き返すほうがいいかな。 取りあえず、徒歩で反対側に向かう手立てを探さない となあ。 |
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写真ではお伝えしにくいですが、相当な急坂です。 暗峠の最もきつい区間と同じレベルです。 コンクリの路面に横筋の切り込みが入っています。 明らかなスリップ対策です。 それだけして登らせる理由は? |
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っとに急勾配です。 左に弧を描いている道筋ですが、その手前、左手 に広場があるようですので、あそこで帰りUターンしよう と考えます。 |
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左カーブから一気に道幅が狭まります。 もうこれ以上うちの車での侵入は無理ですな。 そして、終点が近そうな。。。 |
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。。。あわわ。。。 なんと墓地に辿り着きました。 地元の墓地のようです。 向こう側に行きたいんですが、道はあるのでしょうか。 以降、後半戦へ! |