2日目 その3
2016年1月訪問
さて、お次は菊川市です。 ここは遠州オフ2014年最初に訪れた場所でもあり ます。 そう、ここは「牛渕隧道」がある場所です! 前回訪問時は9月。植生真っ盛りの時期もあり、猛烈 な藪でございました。ので、2代目隧道は確認できた のですが、その真上に存在するとされる初代隧道に は全く近付けず…リベンジを誓った現場でございます。 |
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しかし今回は1月訪問!植生が最も沈静化している時期でございます。 このチャンスを捨て置くわけには参りません!いざ、リベンジ! |
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やはり!夏場からの植生は全て枯れてしまっております。 それでも旧道にはびこるそのお姿…雑草は強し。 |
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こちらが2代目廃隧道西側坑門。冬枯れでもこの有様です。 カーソルオンで2014年9月の状況をご覧いただけます。 |
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前回はロクに鑑賞できなかった2代目牛渕隧道西側坑門。改めて見直します。 |
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いい感じですね!コンクリートポータルですが、2層のコンクリブロックアーチがあります。 そして、隅石部分にのみ切石を使用しています。そして読めなくなった「牛渕隧道」の扁額があります。 で、ここからが本当のリベンジです。この隧道の真上にあるという初代隧道…。冬枯れとはいえ、笹薮は衰え知らず… 相当な難儀を強いられそうです。 前回は東側からもアプローチしたんですが、竹などの伐採が行われており、集積が隧道を完全に塞いでいる状況で見ることは 叶いませんでした。今回も同様と思われるので、やはりこちら側、西側からのアプローチということになりそうです。…ふう… |
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各々思う所からアプローチ開始!…皆様々に悪戦苦闘しながらおよそ20分… ようやくその場所に降り立つことに成功! …って、穴、ないんすけど!? |
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振り返れば、往時の道の姿を少し垣間見ることができます。 完全に素掘り時代の物件ですな! …で、実は穴、開いてないように見えましたが、ほんの少し開口しておりました。 本当にぎりぎりの狭小穴…ずりずりとジャンパーを汚しながら潜入します… |
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降り切った後に見上げます。 おおおお…結構深いなこれ…戻れるの!? |
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引いてみるとこんな感じです。なんとか戻れそうですな。 しかしもう数年で西側も完全に埋没してしまいそうです。 さて、東側の状況を確認しましょうかね、と…!? |
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内部の惨状の前に真っ先に目に入ったのは対岸の光! あれれ!????東側開口しとる!???????? |
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あれま〜???なんでか開口してます。 結構ずたぼろになりながら西側からアプローチしたのに… まあ、それは置いといて、今は洞内の状況を… 見て頂いた通り向かって右側の天井が大幅に崩落しております。 全体的にもかなり崩れて床面が上昇している感じですが、この右側の崩れは最近のものではないでしょうか。 |
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新規崩落地帯を通過後振り返り。うーむ、やはり下の土砂とは時期が異なる感じがします。 |
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新規崩落地帯から先は落ち着いている感じがします。 で…おいおいおい…完全に、でっかく開口しちゃってるやないですか〜おかしいなあ? |
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またまた振り返り。右側に地層のいいラインができております。 |
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東側坑口付近はまた剥落が多い感じがします。 |
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いやあ、まさかのド開口でした… 2014年に見た時は見つからなかったんですけどねえ…。 |
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これが初代牛渕隧道の2016年1月現在の内部のお姿です。 いやあ、何とか隧道の体を保っていてくれました。 |
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東側坑口から難なく脱出!分かってればこっちから来たのに… 既にジャンパー、ズボンが泥だらけです… |
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伐採したてで山積み埋没していたであろう東側坑口。それが2016年になって、伐採木が枯れて小さくなり、そしてどのたかが 少し動かしたのかもしれません。隧道周りにあった伐採木が殆どありません。 兎にも角にも助かりました。 そして何とか初代牛渕隧道、攻略!リベンジ成功です。 |
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2代目牛渕隧道、左が山肌を開削して造られた現道。そして初代隧道は2代目坑門の上、3本見える木の左側奥にあります。 しかし初代も2代目もよく残っていてくれたものです。 現道開削場所がずれたのが幸いしたようです。 |
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さてさて次の現場です。 次は車道隧道ではございません。 場所は菊川市高橋から御前崎市新野にまたがる ここです。 ちょうど北側に車道の佐栗谷隧道があります。 |
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この隧道は西側しか開口しておりません。ので西側からアプローチ。 アプローチの道は泥濘んでいるので、長靴はあった方がよいです。 植生もそこそこで、冬場の訪問をお薦めします。 |
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煉瓦隧道です!遠州オフ2016初めての煉瓦隧道!お久しぶりです(?) サ グ リ ヤ 佐栗谷隧道 かつて存在した堀之内軌道という軽便鉄道唯一の隧道だそうです。(Wikipedia参照) 東海道本線堀之内駅(現菊川駅)〜池新田村(現御前崎市)までの区間を走行していたそうです。 ちょうど川原駅と新野駅間に存在したそうです。 1899年(明治32年)8月堀之内駅〜南山駅間が開業。この区間にはまだ佐栗谷隧道は入ってません。 1923年(大正12年)12月南山駅〜池新田駅が開業し全線開通。隧道もこの付近で完成したもようです。 |
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巻厚4層の煉瓦半円アーチ。坑門はイギリス積み。両脇にピラスターを備え、笠石も全て煉瓦です。 鉄道隧道にしてはかなり背が低い感じがします。何の情報も無くこの隧道を見たら、北側の車道佐栗谷隧道の旧隧道? と思ってしまいます。 軽便鉄道ということで車両のサイズもそれ程大きくなかったのでしょうね。 |
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パネル張りと見間違うほど丁寧な煉瓦積み。 唯一の煉瓦構造物ということで(←いや、本当の所は分かりませんが)相当気合を入れて造ったものと推察します。 |
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内部です。側壁はコンクリ補修を受けていますが、アーチ部分は鮮やかな煉瓦色が残っています。 いい感じです。 |
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振り返り。うーむ、やっぱり車道隧道って言われる方が納得できますな… |
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少し進むとちょっと白華現象が発生しています。 …で、奥の状況が…??? |
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おろろんビーム照射! おおお!奥は素掘り!? |
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なんと、奥は素掘りです。 鉄道路線なのに素掘り!?なかなか例を見ない事態です。 |
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振り返り。長靴レベルの水没があります。 |
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おおおお…なんという廃景か… 地層のラインが芸術的に走っております。しかし、ホント〜に鉄道隧道なの??? 床面にはバラストっぽいものは見られません。 しかし、右側の側面に待避所っぽい窪みがあります。これがあると鉄道っぽい雰囲気…にはあんまならんすな(笑) |
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はい、待避所、堆肥所…っと… ええええ!?深っ!!!? なんじゃこりゃ!?ただの窪みと思いきや、えらく深いやないですか!? |
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なんなんだ、これは… 取り敢えず逝ってみるしかありませぬ。 |
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丁字路っぽくなってますが、左は窪みだけだったかと… 右に折れます。 |
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すぐまた右に折れた…と思います… |
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えええええ?深い〜 なんじゃろなこれは?横坑にしては長すぎるし、こんなぐねぐね掘って本坑に辿りつけるとは思えません。 |
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んんん!?なんか先で右上にあがってるような…? |
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ホラ!なんかいきなり坂道になってますよ! これは外に出ようとしてるのか?しかしこの靄の状況からすると、かつて開口していたとしても今は埋まっている可能性大です。 |
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坂道を登った先は… |
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掘りかけでした… 埋まっているわけではなく、完全に掘りかけです。ってことは完全に横坑ではありませんな。 本坑から何かの目的で掘り進めた、と言わざるをえません。 路線廃業後に、何らかの目的で試掘を行ったのでしょうか。しかし、最後に登るのが理解不能です。 ズリも完璧に排出されています。うーむ、謎だ… |
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本坑に戻ってきました。 相変わらずの猛烈な素掘りです。当時、車内からどのような光景にみえていたんでしょうか。 そら恐ろしや…って感じだったのではないでしょうか。 |
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本坑はそろそろ閉塞が近いようです。 その前に2か所目の退避坑(1つ目は100人以上退避可能(笑))が見えています。あそこも…? |
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もう先にメンバーが入ってます。その光だけが本坑に。ということはまたしても… |
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まぢか…orz なんなんだ、本当に。謎すぎます。 |
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坑道は斜め右に折れ… |
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また斜め左に折れた後… |
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一個目の退避坑よりも早く、終了… こちらも閉塞ではなく、掘りかけです。 うーむ、全く意味不明ですな。 |
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2019年3月4日加筆 ごちさんから貴重な情報を頂きました。 ごちさんの祖父と父親のお話では、戦時中に避難用通路とし て掘り進めていたそうです。ジグザグに掘り進めた理由は、敵兵 が背後から狙撃しにくくするため、だとか… もの凄くリアルなお話です。確かに一直線だと本坑から狙撃を 受けやすくなります。また、曲がっていることで、相手も先が見えな いことから追いかけるのを逡巡するという効果もありそうです。 結局貫通する前に終戦になり、結果利用することなく終わったと 推察致しますが、本当に現実に利用されなくて良かったと思います。 ごちさん、情報ありがとうございました。 |
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2か所目の退避坑から本坑の閉塞地点に…。 |
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少し進んで振り返り。うーむ…覆いも何もなく純粋な素掘りです。 |
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おおお!煉瓦アーチが見えます。ということは東側の坑口は近いということですな。 その段階での閉塞… それにしてもこの素掘り洞内…何度も言いますが、鉄道隧道の洞内とは思えません。 |
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閉塞の東側坑口。 大量のゴミと共に封印されてしまった模様です。 |
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長手積みアーチの綺麗な煉瓦色が残っています。 側壁がコンクリというのは西側と同じです。 |
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奥を照らすと、煉瓦アーチが途切れています。どうやらあそこが東側坑口と思われます。 本当、ぎりぎりで埋められたんですねえ。因みに外側からは未確認です。 2019年3月4日加筆 これもごちさんの情報で、ご本人様が中学生の頃は開口していたそうです。およそ30年程前でしょうか。 台風による土砂崩れによる閉塞だそうです。 |
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東側坑口付近から振り返り。 現役当時、どういった姿だったのか知りたいところです。 |
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さてさて、遠州オフ2016、ついに最後の物件と 相成りました。 メインの掛川市からはだいぶ東に移動し、牧之原市 までやってきました。 ここにも鉄道由来の煉瓦アーチが存在します。 |
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小堤山公園に車を停めれば便利な一洞。この隧道自体、公園と泰盛寺の間付近を通過します。 遊歩道化されており、しかも県道指定です。静岡県道375号(静岡御前崎自転車道線)と申します。 その名の通り静岡市駿河区中島を起点とし、御前崎市御前崎下岬に至る60.9kmの自転車道です。 |
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小堤山トンネルといいます。こちらは南側。 竣功は1914年(大正3年)。 巻厚4層の煉瓦馬蹄型アーチを有します。赤みがかったイギリス積みの煉瓦坑門は、恐らく張り直しされています。 アーチ環は状態から往時のものではないかと。焼過煉瓦かと思いましたが、表面だけ色が付いている模様です。 笠石部の煉瓦も色が違いますが、これも張り直しされ、色が塗られているのではないかと。 内部は残念ながらコンクリート補強を受けています。 |
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ちゃんと説明板があります。 旧静岡鉄道駿遠線のトンネルでした。 軽便鉄道では日本最長クラスだそうで、藤枝市の大井駅から海側を迂回し、袋井市の袋井駅までの全長64.6kmもあった そうです。 案内板の通り、やはり坑門も補修を受けているようです。 |
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昭和40年頃の貴重な写真です。 | |
もう一か所案内板がありました。 |
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当方からの説明不要ですな。 |
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坑門脇には水路樋も残されています。 右側の煉瓦はオリジナルだと思われます。 アーチ環の煉瓦もオリジナルですね。 坑門の煉瓦の新しさが際立ってますね〜 |
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煉瓦と煉瓦の隙間の目地にもこだわりがあります。 これは丸くしているので覆輪目地(フクリンメジ)ですね。 ノーマルが平目地、目地を少し沈めると沈み目地、 三角にすると、山目地、逆に丸くすると逆覆輪目地などと いいます。 |
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内部は残念な光景に。側壁の煉瓦もダミーでございます。 イギリス積みにしているところはせめてものの配慮ですね。 |
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振り返り。ここを往時は電車が走っていたとは… |
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こちらが北側坑門からの景色です。 |
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こちらは北側坑門。補修の方法は南側と同じですね。 |
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補修がかなりされてしまっていますが、煉瓦アーチが残っていて良かったです。 以上が遠州オフ2016、2日目で回った隧道群の全てです。 この前が単独オフの1日目、この後が大崩海岸オフの3日目へと続いていくのでした。 これで漸く3日分のレポを投下することができました。8か月もかかっとる… 兎にも角にも、 遠州オフ2016 2日目 完 |