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林業宿舎を後にし、さらに奥地に。
距離はまだかなりあると推測されます。 |
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ほどなく橋梁が現れました。 |
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暫く車両は通ってないと思われますが、今でも
充分現役林道橋梁感を失っていません。
で、この橋梁、何の変哲もない姿からは想像でき
ないような荘厳な名称が付いています。 |
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すぐに読めません。。。
「紅壽橋」
と書かれています。
読みは「こうずはし」です。
谷の名称は南谷ではなく、父ヶ谷。
竣工は昭和43年10月です。
当時の林道開削の気合が滲み出ている名称
ですな。 |
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うーむ。
この橋から先、一段と残雪量が増えてきます。 |
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振り返り。
ガーダー部分はちょっと折れて架かっています
ね。 |
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日陰部分はどっさり残雪です。
ここ以降こういった残雪が頻繁に現れます。 |
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残雪の隙間に大きな穴ボコが。
残雪量が多かったら穴ボコを隠してしまって踏み
抜きそうですねえ。
おお怖 |
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路肩のコンクリート壁は活きていますが、林道側
の土砂が流出してしまっています。
コンクリ壁の崩壊も時間の問題と思われます。 |
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さらに先にはお地蔵様が。 |
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お地蔵様には「延命地蔵」と書かれています。
さらに「昭和四十九年七月十七日」と書かれて
います。
先ほどの紅壽橋竣工の6年後に祀られたよう
です。 |
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この辺りから新しい崩壊の後もちらほら出てきま
す。
何ならカラカラ。。。と時折小石が落ちてくること
もあります。
気を付けねば。。。 |
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崩落橋が無事だった頃でしょう、こんなにきっちり
補修されています。
勿体ないですねえ。 |
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そして!
偶然似たアングルで撮影していた6年前。
6年前はこんなにぼろぼろだったんですねえ。
よく修復したものです。 |
これも6年前画像。そして振り返り。
本当に復興真っ最中でした。 |
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これは現在の様子。
巨大なコンクリ擁壁で林道が守られています。
これは当初のままの施工と思われます。 |
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またまた6年前。
暗渠化した水路の場所で一致します。
当時は瓦礫がすごいことになってましたが、
すっかり取り除かれています。 |
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現在に戻り。
残雪の量も激増です。 |
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このようにみっちり残雪のところもあれば。。。 |
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このようになーんにもない場所があります。
日向と日陰の差が激しいですな。 |
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落石と残雪が入り混じります。
。。。と、ここで谷向こうに何かを見つけます。
。。。あれは!!! |
皆様、見えますでしょうか!(。。。見えねーよwww)
画面右側から3割、山肌上部から1割程の場所に目的のものが! |
サブカメラの光学命一杯ズーム!
。。。おお!見える!目的の隧道のアーチ上部が見えています。
。。。しかし。。。むちゃくちゃ遠いな。。。あそこまで歩くのか。。。
気合を入れ直し、前進! |
程なくして。。。
遂に分岐が現れました。忌まわしき6年前。。。ここで致命的なルートミスを犯し、隧道初心者はあの隧道を拝む
ことなくすごすご撤退したわけであります。
カーソルオンで6年前の映像が見られます。。。が、何も変わってないですな。
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現在地は下部の枝分かれの場所です。
地図で右手が外れ、上の写真では左が外れ
です。
6年前はそっちを辿っちゃったんですよねえ。
この道もかなり延長があり、限界近くまで登った
と記憶していますが、写真は一枚も撮ってませ
ん。。。
今回は「○」の方にお間違いなく!
因みに先ほど2本目の隧道を見たのはこの矢印
の位置からだったと思います。
地図ではそんな遠く見えないですが実際は。。。 |
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さあ今度は間違いなく右に下ります。
ここからは当方は本当に未知の世界です。
ここで時間は11時14分
8時32分徒歩行軍開始から2時間42分経過。
やはりかなり歩きますな。
あとどのぐらいでしょうか。2時間あれば行ける
かな?
以降、 その7 に続く! |