金ヶ崎隧道編 |
|
|
福井県南部敦賀市、南越前町付近は日本
海ぎりぎりまで山が連なる交通の難所である
にもかかわらず、北陸と近畿を結ぶ重要なラ
インを担っています。
特に、鉄道では北陸本線、主要道では筆頭
に国道8号線が相当の苦心の末、この難所を
越えておりました。
現在は鉄道の北陸本線が、車道の北陸自
動車道がそれぞれこの難所を長大トンネルに
てクリアしていますが、かつての道筋を辿ると
難所ぶりがよく分かります。
まずは近畿に最も近い金ヶ崎隧道を訪ねま
した。敦賀市を南北に走る国道8号線ですが
、現在は敦賀バイパスと、従来の8号線の2
本により、大型トラックでも容易に通過できる
場所となっています。従来の8号線に現役の
「金崎隧道」(扁額には「ヶ」がありません)が
ありますが、その真上には、もう一つの金ヶ崎
隧道が眠っています。 |
|
旧道は通行止めとなっております。
この地は、戦国史上有名な「金ヶ崎退き口」
の地であり、左手に向かえば金ヶ崎城跡にも
行く事ができます。
今回は歴史探訪ではございませんので、行
き止まりから先に進みます。
|
|
通行止めから振り返り。
右手奥に駐車場があり、日が日なら観光客
で混雑するのでしょう。 |
|
左手法面上の斜面は崩落危険地区に指定
されており、通行止めの原因はここにあるの
でしょう。それにしても狭いですね、天下の大
動脈国道8号線だったとは思えません。 |
|
すっかり廃道化した道の先に、出てきました
敦賀市街から程近いこの場所に今も口を開け
て、待っていてくれました。 |
|
坑門は総切石の重厚な造り。超定番の装飾
全て備えております。ただ、坑口に関しては
少し面白い形をしており、釣鐘型という感じが
一番似合う形状です。。 |
|
「吉祥洞」でしょうか。はっきりと読み取れま
すが、左側に掘ってあるであろう竣工や筆者
の銘がよく見えません。 |
|
内部です。アーチは長手積みのレンガ仕様
で、釣鐘の形もよく分かります。
古い工業用配管が通されており、廃道となっ
てすぐ工業用に転用されたようです。 |
|
内部から敦賀市街へ向けて撮影。
既に周囲は緑で覆い尽くされています。 |
|
路面は乾いており、歩くのに支障はありませ
ん、変色しているものの綺麗なアーチを今も
しっかりと残しています。 |
|
車体の右前面を中心に押し潰されたような
形の軽自動車が、朽ちて残されていました。
がけ崩れなどに巻き込まれた車なんでしょう
か。。。 |
|
北側坑口に辿り着きました。
最早道と呼べるものを見出す事もできぬ
鬱蒼とした森が目の前に広がっています。 |
|
反対側は緑に覆いつくされています。
現在は全く利用はされていないことは明白
です。 |
|
扁額はかなり状態よく存在しています。
どうも、現役の金ヶ崎隧道といい、「ヶ」を
付けたがらないみたいです。
隧道名の左側には、
「明治19年11月」竣工の記載がありまし
た。 |
|
北側坑口以降は、セメント企業の敷地内と
なるため、行っておりません。
金ヶ崎隧道の探索は以上とし、
次の目標、「阿曽隧道」に向かいます。 |