その12
2014年9月訪問
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いい加減このシリーズも終わらせないとイカンです な…もうかれこれ半年以上前のレポートをまだやって ますw すみません… しかし、遂に終わりが見えた! 残り3洞でございます。今回で最終回に致します。 黒立煉瓦隧道の次に向かうは…ここも煉瓦! 遠州5本目の煉瓦隧道でございます。 中々の高密度。素掘りと煉瓦が混在する地域も 珍しい&超羨ましい! |
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![]() こちらが現在の敷地隧道。 扁額下に「竣功三十九年三月」と書かれています。 銘板もあり「施工 乗松建材合資会社」とあります。 この隧道もすでに竣功から半世紀が経過していま す。 |
![]() そして!こちらが初代の敷地隧道です!西側から来ると、現役と隣り合わせに存在します。 この初代は、現在は歩行者専用となっております。 敷地隧道 隧道データベースでは 1903年(明治36年)竣功 延長34m 幅員3.4m 高さ3.5m 全国道路トンネルリストでは 1963年(昭和38年)竣功 延長37m 幅員3.6m 高さ2.5m いやあ、かなりばらばらですなあ。トンネルリストの昭和38年というのは、同リストの現役の竣功年度と同じになっています。 新設と同時に改修したってことでしょうか。 そうすると、明治36年が正しいことになりますね。檜坂隧道、巖井寺隧道の明治38年よりも2年早いことになります。 |
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ちゃんと扁額があります。 青田隧道以外の4洞は全て扁額がありました。 明治28年の長兄青田さんは、初期の竣功だけに まだそういった意匠が確立されていなかったんでしょ うか。この隧道は青田隧道から8年後の隧道という ことです。 |
![]() 長手を差し込んだ変則5層巻きに見えますが、本来のアーチ環は3層巻きだった模様です。要石もあります。 帯石の形状は先の4隧道のどれとも似ていません。 |
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最大の補修がこれですな。 小口1層、長手1層、併せて2層の煉瓦タイルが貼ら れた分厚いコンクリートアーチにて補強されています。 人道用ということで思い切った補強に踏み切った 模様です。少々残念… しかし、従来のアーチ環を残していてもらえるんで ありがたいですな。 |
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内部です。 こんなにも現代的なコンクリートアーチトンネルに 生まれ変わってしまいました。 |
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西側の現道への取り付き。 現道はすぐそこです。 |
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一方の東側坑口。 こちらは少し旧道が続きます。 |
![]() 東側坑口です。 おお!こちらの方が全体をはっきり見ることができます。 ぱっと見、すごい巻厚の煉瓦隧道に見えますな(笑) 青田隧道以外の4隧道は、基本的に扁額有り、要石、帯石、迫石のスタンスは変わりません。 遠州煉瓦隧道の基本スタイルはこれ、といって間違いないようです。 |
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扁額もばっちり確認できます。 素晴らしい! この扁額には左隅に空きスペースはありません。 |
![]() 煉瓦隧道の基本スタイルと言ってもよいこの面構え。 いいですね〜 |
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![]() 因みに、この隧道の上部で伐採作業が行われていました。山の上に人が居るのがわかります? 20mを越えるような木にロープを投げかけ、そのロープ一本で木の上に上がっていきます。 ツリーイングという木登り技術です。私も木に登って枝を伐採するような仕事をしていますが、特殊な一本梯子などを使用 して登っていきます。 この技術いいっすな。会社で導入できればいいな〜なんて。 すみません、脱線しました。次、行きましょう。 |
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次は、素掘り隧道に戻ります。 場所が非常に曖昧なんですが、余所様のブログに てこのあたりだと思われます。 ああ、確かにこの辺だった記憶が… |
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車を広い所に停め、徒歩にて集落内の道を入って 行きます。 |
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民家が途切れるあたりから道が未舗装に。 知っていなければ絶対に来ない場所ですな。 |
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ダブルトラックもいつしかこのような状態に。 完全な廃道ですな。 |
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一応車道規格の道は残ってます。 よ〜こんなとこにある隧道見つけたな… |
![]() 植生に覆われながらも道筋をはっきり捉えられます。 いい廃景なり! |
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…と… ちょっとした広場で行き止まりな雰囲気に… ありゃ? ちょっとばかし迷い、皆で道の捜索を開始。 …程なく… |
![]() っぽい道筋を見つけました!掘割となる道筋…しかしその道は完膚なきまでに廃化しています。 いいすねえ、この感じ。この遠州オフで最大の廃物件ってな感じです。こうやって山に分け入って出てくる隧道が意外に少ない 遠州ブランド。逆に言えば、市街地と共存する物件が異様に多いってことですね。 こういった廃物件が市街地の傍にある例は、関西ではなかなかありません。 |
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掘割が途切れ、山の斜面にぶち当たります。 そこには何か暗い影が見えるようですが、いかん せん倒木や笹藪が酷い… もうちょっと接近すると… |
![]() おおお!本当にあった!しかも一発で貫通しているのが分かります。 凄いですね…この遠州オフでは片側閉塞物件は1件だけでした。しかも人為的な閉塞。どんだけ強いんだ… |
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振り返り。 かつての車道の面影はもうないですな。 知ってなければ絶対に辿りつけない道ですな。 |
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覗き込む3人衆。 中はどうなってますか〜? |
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潜り込んでいく3人衆。 追いかけましょう。 |
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隧道坑口の上にこんな穴が。 これはダイナマイト充填用? 拡幅しようとしていたんでしょうか。 |
![]() 内部は床面に堆積物があるからか、かなり天井が低い状態です。 上部を拡幅しようとしたのも頷けます。 |
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振り返り。 中から振り返ると意外に大きく開口しています。 閉塞の心配は暫くなさそうです。 |
![]() 少し引いて。 綺麗な洞内ですねえ。思ったほどの堆積物はなく、本当に天井が低いようです。 明らかな人道ですな。 |
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![]() あまりいい写真がなかったので、少し進んで振り返りの映像です。 なんか上部に丸い穴が開いてますね。なんじゃこりゃ? |
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そして反対側に。 こちらの方が土砂の流入が多いですな。 それでも閉塞は暫く先のようです。 本当に閉塞しませんね〜 |
![]() こちらが反対側の坑口です。両側とも方角がいまいち分かりませんが、ゼンリン地図ではこちらが北側、 入洞側が南側、と思われます。 左からの流入が多いですが、すでに雑草が生えています。暫くこの状態を維持している模様です。 で、引き画像はありません。ここから先は植生が凄くて引くに引けない状態。背後は完全廃道です。 |
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![]() 最後に入洞側、南側の坑口前の植生を払った後の画像を。 こうして見ると、ばっちり坑口が視認できます。まだまだ市街地に近いとはいえ、今回の物件の中では最も山奥にある 物件と思われます。よく発見されたものです。 こういった類の隧道が今なお、ここ遠州に数多く残されておるのではないでしょうか。 |
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さあ!遂に最後の物件です。 菊川市から始まり、掛川市、袋井市、森町、磐田市 と巡ってきましたが、最後は浜松市天竜区! 天竜区!?土地勘のない人間にとってはかなり 違和感のある区です。 浜松市は政令指定都市。区が静岡市の3区より はるかに多い7区もあります。静岡市の葵区もそうで すが、ここ浜松市の天竜区も相当な山間部を有して おり、長野県とも接しています。 うーむ…一時の市町村合併の煽りでしょうが、こう いった所は全国至る所にありますよね… まあいいんですけど。伝統的な土地名称が消えて しまうのは惜しい部分もあります。 そんな天竜区ですが、今回訪れたのは最南端。 天竜区の玄関口です。 |
![]() 北行き一方通行の車道。ここを北側から徒歩にてアプローチします。 もう目の前に今回最後の物件が見えております。 |
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![]() 遠州最終物件も煉瓦締め!いやあ、今回6本目です。素掘りも多いですが煉瓦も多い!素晴らしいですねえ。 オーソドックスな煉瓦坑門ですな。 |
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扁額が緑の侵食を受け、見えません。 「羽」だけが分かりますね。 |
![]() 巻厚4層の煉瓦半円アーチ。要石付き。笠石帯石もある基本的なスタイルですが… ここで、特記!竪積みがあります!カーソルを合わせて頂きますと、竪積みが現れます。 竪積みは上の2か所の外にもう2か所ありました。 車道の竪積みは、私にとっては檜坂隧道に次いで2本目です。 |
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内部はがっちり補強されています。 片側分の車道と、チャリだときつそうな歩道が設置 されています。 |
![]() オール補強で終わるかと思われた洞内ですが、中央付近に結構な延長で煉瓦アーチが生きていました! これは嬉しいですね〜 |
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振り返ればこのような状態で途切れております。 |
![]() アンダーから。 竣功当時の姿がそのままであることがよく分かります。 |
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![]() ここは煉瓦の色合いが残っていますね。 しかし大部分が退色しています。排気ガスのせいでしょうか? |
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南側坑口方面も補強が始まりました。 中央付近のみ煉瓦アーチが残っています。 |
![]() 南側坑口です。こちらも内部補強以外は原型を留めています。 隧道名は 鳥羽山洞門 隧道ではなく、洞門表記です 隧道データベースでは 1942年(昭和17年)竣功 延長150m 幅員1.8m 高さ2.3m 全国道路トンネルリストでは 1901年(明治34年)竣功 延長138m 幅員3.7m 高さ3.0m かなりのばらつきがあります。 隧道データベースの昭和17年と延長150mというのは、現役国道のものと思われます。幅員、高さも明らかに違います。 全国道路トンネルリストのデータの方が信憑性がありますな。 ここで、これまで見てきた煉瓦6隧道の竣功の順番をみますと… 明治28年青田隧道→明治34年鳥羽山洞門→明治36年敷地隧道/黒立隧道→明治38年檜坂隧道/巖井寺隧道の順番 ですかね。 立て続けに建設ラッシュです。他にも煉瓦隧道が静岡県にはあるようですが、それはまた次回… |
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扁額にもきっちり鳥羽山洞門の表記が。 洞門、いいですね〜 |
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こちら側にもしっかりと4ヶ所に竪積みが。 その拘りに拍手! |
![]() ぽつんと山奥に取り残された煉瓦隧道。今尚原型を維持しつつ現役で車両を受け入れています。 末永くこの状態を維持して頂きたいですな。 遠州オフ2014 完 2015に続く!予定… |