上田和隧道/瑞祥洞


和歌山県


上田和隧道篇

  


                                                   

             2016年2月訪問


 有田川沿いに眠る、八幡第四発電所の取水堰堤と導水隧道を堪能した後にやってきやのがここ。
 有田市の有田川を挟んで南側、野地区や千田地区を流れる高山川の排水隧道が2本ある、という情報を得て
やってきました。
 高山川は有田川支流河川で当然有田川に注ぐ訳ですが、低地の為排水性が悪く古来から水害に見舞われることが
多かったそうです。そこで考案されたのが隧道。2本あり、一本が上田和隧道、もう一本が瑞祥洞という立派な名称を
付けられたトンネルです。
 地区は狭いため、千田漁港の駐車場をお借りして、徒歩にて隧道を探索致します。


 まずは上田和隧道の方です。
 こちらは江戸期の竣功だそうで、コンク
リート改修されているという話です。
 まずはこちら側、吐口をチェックします。

 …やっぱりね…
 ここはもう海が目前の場所。
 こんな所に隧道の口が開いているとは
思えませんでしたので、これは想定内です。
 実は上田和隧道の吐口はここではありま
せんでした。
 隧道吐口は、地図の通りでもう少し奥。
 ここにもともと坑口があったようです。

 地図の場所にやってきました。皆が既に寄って行っています。何かあるようです。

 おおお!まさかの扁額が残存!
 こういう形で保存されているとは思いませんでした。水路はこの真下を暗渠で海まで続き、隧道はすぐこの先から
のようです。

  カミ  ダ  ワ
 上田和隧道 有田市長 中本重夫 書

 由来書もありました。ありがたいです。

 「古文書によると天保時代千田村、野村、山地村の田地凡そ81町歩は低地のためたびたび水害に見舞われ農作業に
大きな被害を被っていた。
 見かねた当時の庄屋役付総代が藩に掘り抜き穴の工事許可を願い出て着手したのが天保9年(1838年)6月である。
 工事詰役人は、日高郡小池村の
「白井九蔵」→白井久蔵の誤りでは。が担当し4年7ヵ月と銀213貫540匁を以て
天保13年(1842年)12月完成した。
 ここに
穴総延長172間6分4厘(約312.73m)、高さ平均8尺(約2.42m)、平均5尺(約1.52m)の
「上田和隧道」が誕生したのである。
 なお、この工事に心血を注いだ
「白井九蔵」→白井久蔵は、天保13年9月に病により、69才で千田で没した。
 以来150年間の長きにわたって、地域の排水に大きく貢献してきた「上田和隧道」も地域の状況の変化に伴い、排水能力
の改善を図るために、平成3年(1991年)12月農林水産省補助「農村総合整備モデル事業」の集落排水整備工事として
着手した。
 総延長353m、総工事費3億7500万円、総工事日数658日をかけて高さ、幅共に、2.2mに改修され従来の2倍の排水能力
を備えた改修工事は平成5年(1993年)8月無事完成した。
 ここに先人のご苦労と、平成の大改修にあたりご協力をいただいた県、施工業者、並びに地域の多くの関係者に対して
深く感謝の意を表する。

 平成5年10月吉日
 有田市長 千田排水トンネル推進委員会」

 かなり詳細なことが分かりました。
 振り返って漁港の吐口を見ます。平成3年着手の大改修により今の吐口までの約40m部分が暗渠化され、一部車道と
なっています。
 吐口はこのような状態ですので、呑口側に回ってみたいと思います。
 呑口はここです。
 およそ300mの排水隧道の呑口を確認
です。

 呑口側にやってきました。ここは隧道が開口状態であるようです。

 振り返るとここも暗渠化。県道20号線までのは暗渠化され、車道に利用されています。

 ありました!上田和隧道の呑口です!
 扁額が見えますが、アーチ部分は水門により見えませんね。

 隧道呑口坑門上にこのようなスペースが。
 突き当り下部が当初の隧道の呑口だったんではないでしょうか。

 中央には石碑が。傍の木製看板は既に文字が消えています。
 左手には吐口にもあった由来書が掲示されています。
 どうやら墓石のようです。
 中央に戒名が。
 右側に、俗名
 日高郡小池村 白井久
(←九?)
 左側に明治16(天末?)9月造之
 周旋人 當○ ○中

 隧道掘削に尽力された白井九蔵氏の
墓石のようですね。
 で、肝心の呑口坑門ですが、やはりこの
ような状態に。
 これは平成の大改修時に増築された坑門
のようです。
 ということは奥に江戸の名残がある?
 ………
 少しお邪魔しました。
 やはり内部はコンクリアーチ。
 しかし、もう少し内部はどうなっているの
か…

 おおお!素掘りです!素掘りの洞内が残っていました!

 天保期のスペックは高さ平均2.42m、幅平均1.52mであったのが、平成の大改修では高さ幅共にとも2.2mになった
ようです。高さは変わらずで、横幅を広げたようですね。
 で、コンクリアーチにはせず、素掘りのモルタル覆いを採用したようです。

 ここはちょっと横幅が広がってます。もともと歪んでいた洞内を真っ直ぐにしたのかもしれません。
 洞内アーチにはアンカーが打ち込まれているようです。崩壊防止ですな。

 右側の方(旧流路と思われる)が天井が低かったようです。
 由来書の平均8尺(2.42m)というのも怪しげですねえ。改修で安定した高さになっておるようです。

 江戸期の掘削ということもあって、真っすぐ掘られていないようです。
 改修時にもさすがにそこまでは対処できなかったみたいです。

 本当に蛇行しています。右に行ったり左に行ったり…

 延長300m超ということもあり、やはり長いですねえ。
 江戸期に300m超の隧道掘削はかなりの大事業だったんでしょうねえ。

 水面に反射する洞内がいい雰囲気です。

 洞内が綺麗に整形されています。

 またアンカー打ち込みが出てきたところで…

 コンクリアーチに変わりました。

お!明るくなってきました。

 どうやら隧道はここで終了のようです。
 ここからは暗渠のようですな。 

 はい。大改修後の隧道吐口はここのようです。
 当初はもう少し奥、素掘りが残る部分よりももう少し手前が吐口だったのではないでしょうか。

 ここまできたら突き抜けてしまいます。

 一旦右に折れて…

 左に折れたところで光が見えます。

 出ました。現在の暗渠吐口でございます。

 無事完抜け成功です。
 上に佇むのはひろきさんとおろろんさんです。

 側壁はよじのぼれないので、海際一杯まで歩いて抜けました。長靴ぎりっす…

 
カミダワ
 上田和隧道 1842年(天保13年)12月竣功
 延長約312.73m(分、厘は計算に入れず)、高さ平均約2.42m、幅平均約1.52m

 1993年(平成5年)8月改修竣功 延長353.0m 高さ2.2m 幅2.2m

 吐口、呑口坑門共にコンクリアーチ改修、内部素掘りモルタル覆い


 上田和隧道は174年の時を経て立派に現役でございます!

 それでは、次の物件、瑞祥洞に向かいましょう。