鷲の川隧道


和歌山県


  

 すみません。。。ピンポイントな場所は把握できて
おりません。。。恐らくこの辺りかと。。。
 この隧道ネタはむねぞうさんから頂戴しました。
 ありがとうございます!
 
 和歌山県日高川町を南北に細々と伸びる県道
196号(たかの金屋線)。分断されたり、重複された
りで、なかなかに自己主張の薄い県道ですが、こ
の県道の道端に看板があるそうなんです。
 そう、隧道名の書かれた看板が!
 激狭県道をにょろにょろと侵入します。この先は
県道ではなく、林道に変化するようですが。。。
 
 むお!こ、これか!?
 。。。をを!いきなり発見!

 〜三十木(ミソギ)矢之助〜
 江戸中期、中山中組の大庄屋であった井原
矢之助は、三十木の里に屋敷を構えたことから
三十木矢之助とも呼ばれた。豪放磊落な人柄で
知られ人望を集めた矢之助は、日高川の水路
開発改良工事
など公共事業に一生をささげた。
ある公共事業に取り組んだ際、代官に咎められ
て打ち首となり、38歳の若さで生涯を閉じた。
天和3年のことである。彼の偉業は後世に語り
継がれ、民話となって現在の日高川町にまで
口承されている。
 以上日高川町観光案内郷土の偉人より抜粋

 水路開発改良工事、その中の1つにこの鷲の川
隧道があったようです。
 隧道は2つ。1つは約8m。もう1つは約5mあった
ようですねえ。よっしゃ、いっちょ探索開始!
 水路という話ですから、やっぱり農業用疎水を
思い浮かべます。
 だったら川べりにあるんでしょうなあ。。。
 杉林の下に鷲の川の流れが見えます。
 降りる所は。。。
 あった!体のいい下り道が付いています。
 早速下ってみましょうか。

 
 すぐに降りられました。
 写真は上流方面を向いています。
 鷲の川の清流ぶりに癒されます。。。はああ。。。


 何気なく振り返ると。。。ぐおっ!!!
 いきなし発見!
 車道とは反対側の、本当に川べりに。。。穴が。。。開いとる。。。がな。。。

 川べりに開いている小さな。。。ホント小さな穴が。。。開いております。。。
 掘り方はかなり荒っぽい感じですが、床面は結構
フラットです。
 。。。しかし、小さすぎやなあ、これじゃあ入ること
はできませぬ。。。
 内部フラッシュ映像です。
 おお!結構綺麗に整形されています。
 なんか枝が横に這わされてますが。。。?

 。。。しかし、これってどうやって掘ったんでしょう
かねえ?やっぱり這い蹲りながらノミとかで掘削
したんでしょうかねえ。

 この隧道の手前に水路の筋がありますが、すぐ
に川と合流してしまいます。
 たて看板には”頭首溝”が入り口付近にあった
かも。という表記がありました。
 頭首溝(工?)とは、用水の取水口の設備を指す
らしいので、ここになにかしらの遺構があっても
おかしくなかったのですが、残念ながら何も発見
できませんでした。
 取水方法は自然流入だったんですかねえ。
 よく見るのは、堰で水を滞留させて取水口に水
を取り込む方法ですねえ。
 そう、立梅井堰のような。。。
 さすがにこのミニマム隧道は潜れないので、外側
から迂回します。
 。。。おっ、あっさり2個目が登場!反対側が余裕
で見えます。。。
 ここが看板で言う、つなぎの部分4mでしょうか。
 確かにコンクリートで補修されたようですねえ。
 1本目隧道の下流側坑口です。
 きっちりコンクリートで補修されたつなぎ部分、
斜めに口を開ける坑口。うーん、いっちょまえの
佇まいですなあ。

 鷲の川一号隧道 延長8.0m
 竣工は1600年代半
ばでしょうか。

 そう考えると、350年近く前の隧道ということにな
りますねえ。。。すげえ!
 下流側から覗き見。。。
 うーんカーブしているからか、両側ともに光は
届いていませんねえ。
 いやあ、やっぱり狭いですなあ。。。

 うーむ、素晴らしい廃景!
 コンクリート時代まで数百年間は使用されていたんでしょうねえ。三十木氏の功績はでかいですなあ。
 続きまして、2本目の隧道でございます。
 まっすぐだからなのか、けっこう短くないですか?
 下流側に回り込みました。
 1本目と違って、穴の形が少々いびつですなあ。
 縦長に掘られた洞内。。。ホント狭いっすねえ。
 だからどうやって掘ったの?

 うーむ、縦長。。。
 そして、短っ!っていうイメージです。どうも天井部分が下流側でいくらか崩れてしまっているようですねえ。
 200年以上もこの穴は水を通し続けてきたので
しょうか。。。
 
 鷲の川二号隧道 延長5.0m
 竣工は1600年代半
ばですかねえ。
 この2つの隧道以降、水路の道筋がぷっつり
と消えてしまいます。ただ、ずっと下流まで追いか
けたわけではありませんので、もっと何かが残さ
れているかもしれませんが。。。

 思いかけず江戸初期の穴物件を探索できて、
非常に有意義でした。