|
|
|
三重県は南部に位置する尾鷲市と熊野市。
それぞれが両輪として山間部と込み入った
海岸線に挟まれつつも南部の発展を支えて
います。
両市の山間部を貫く大動脈である国道42号
線。海岸線を縫うように走り、昔ながらの漁師
町を支える国道311号線が、両市のメインスト
リートになっていますが、その両市を結ぶ第3
の道が存在します。車が通行できる道はこの
3つしか現在ありません。かの矢ノ川峠など
いくつか峠道が存在しますが、車は通れませ
ん。(地図では、の話ですが)
この第3の道、当然国道でもなければ県道
でもなく、殆ど交通量のない林道として存在
します。ちょうど尾鷲市と熊野市の境に隧道
表記が地図帳でも電子地図帳でも載ってお
り、特段の思いもなく隧道トンネル巡りの一
通過点として熊野市側からやってきたので
すが。。。
そう、何か様子がおかしいのです。。。 |
|
真新しい舗装を施された林道が、地図と異
なるルートを行こうとします。アテンザ君のカー
ナビでも、左に大きくカーブしつつ隧道に突入
するはずのルートから外れて、まっすぐ進み
空を飛んでいきます(ナビ画面では。。。)
なんだこりゃ???と思いつつ、この辺で
曲がるはずやろおお?と思いながらふと左
に目を移すと。。。
???????
|
|
あああ?!!
ナンだこりゃあ?と思わず声に出して叫んで
しまいました。
ななななんと、明らかに廃隧道と化していま
す。どーいうこった。第3の車道閉鎖か?それ
とも、真っ直ぐの道が何らかの形で尾鷲側に
繋がっているのか??
(後で踏査したところ、峠を越えて市の境を
跨いで尾鷲市に続いています。が、この隧道
尾鷲側と顔を合わすことはありませんでした。
また、この林道の本筋は尾鷲側途中で工事
中となり、通れませんでした。支筋があったの
でそっちを通れば県道70号線に出られるの
かもしれません。どっちにしても隧道を廃して
、あえて峠越えをさせる場所をよととは見たこ
とがありません。普通逆でしょ?) |
|
という訳で、思わぬ所で廃隧道内探索と
相成りました。
それにしてもこの面構え、結構男前です。
迫石に要石を施した立派な隧道じゃないです
か。
山形の廃道様HPの全国隧道リストでは、
S9年(1934年)竣工、延長430.4m、高さ
4m、幅4m だそうです。 |
|
扁額がはっきり見えません。隧道名ではな
い気もします。
帯石はなく、笠石はある?かな?
一度補修の手が入っているかもしれません
|
|
坑門はしっかりしているように感じましたが、
内部は意外と損傷を受けています。コンクリ
アーチ所々穴が開いて、瓦礫が散乱してい
ます。 |
|
熊野市側坑口を振り返り。
浅い水溜りが広範囲に広がり、見える光景
はもう何年も廃隧道をやってますって感じを
見せ付けています。
すでに廃隧道の貫禄たっぷりです。いつ廃
化したのでしょう??(地図帳、電子地図、カ
ーナビ全員が「ここは現役林道である!」と
断言しているのに。。。) |
|
内部はよく見る素掘りで、一応コンクリで
覆工されています。路面は元からダートだっ
たように見受けられます。
当時は林道全体がダート道だったのかもし
れません。 |
|
水の侵略が道幅全体に広がります。長靴で
よかった。出口が上部から見え始めています
どうやら、隧道中央部分が高くなっているよう
ですね。 |
|
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、水
溜まりがなくなる箇所から、左右とも道幅が
広がっているのが分かります。いわゆる長め
のトンネルでよく見る離合スペースが設けら
れておりました。
両側の隧道坑口からは、隧道真ん中が高く
なっているために対向車が確認しづらいんで
しょうねえ。この離合スペースは非常に助か
っていたのではないでしょうか。 |
|
素掘りに残る部分的なコンクリ壁の補修跡
現役時代の補修跡でしょうか。 |
|
尾鷲側坑口に到着です。やはり延長400m
オーバーは結構長いです。周囲は湿気たっぷ
りで、靄がかかっています。 |
|
尾鷲側坑口です。熊野市側よりも廃隧道感
さらに増し、です。人間界と自然界を繋ぐ隧道
という感じですね。 |
|
こちら側の扁額にはばっちり「鳥越隧道」
の文字がありました。 |
|
尾鷲側も隧道を抜けると、ほぼ90度の左
カーブを描いて樹海の奥に消えて行きます。
地図帳、電子地図帳、カーナビともに、一様
にそのルートを指し示しています。
完全に現在の地図たちに忘れられた林道、
廃されて尚、現役を続けさせられている隧道
が、今もここに眠っています。。。 |