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ここは、ない!!!
。。。と、断定していたのですが。。。
ある日、掲示板にこのような書き込みをいただきまし
た。ネタの提供者はしnGO氏。
「兵庫県道39号線、栃原トンネルに旧トンネルがある
のをご存知ですか?」。。。。。。
。。。。。。ええええっ??????
まさか???しかしながら、しnGO氏からは写真まで
頂いての情報です。こいつぁ大変だ!
現栃原トンネルの旧道は峠越え、地図でも見ていて、
これは開削されたんだろうなあ。。。とハナから諦めてい
た隧道、かのリストにもその名を残しておりますが。。。
まさか、生きていたとは。。。
戸谷オフでご一緒したピカさん、Yori-yanさんにも情報
をお話し、今回3名での探索となりました。(※Yori-yanさ
んは、昨日に別グループで踏査済みなのに、案内してい
ただきました。感涙です。) |
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あらゆる現代地図にもその痕跡を一切留めない闇に
埋れた旧栃原隧道。どうやら旧旧道にあったようです。
右手の道が旧道で、あと200mほどで峠に辿り着きま
す。で、この左手の1段下がった草むらが旧旧道である
というのです。
旧道が峠越えで、旧旧道が隧道パスというのは非常に
稀有な存在に感じます。それだけに情報なければ永劫に
巡りあえない隧道だったことでしょう。。。
いやあ、貴重品だぞ! |
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それでは、旧旧道に突入です。
この日も梅雨らしい雨模様で、断続的な降雨が足場を
相当悪くしています。
幸い探索時の雨は小康状態であったこと、昨日の探索
チームが踏み分けていただいていたこともあり、長靴で
あれば容易に侵入できる状態ではありました。 |
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ををっ!
これも、しnGO氏から写真でいただいていた情報のもの
です!旧道からも見えるので、余程の廃道マスターであ
れば、ここに旧旧道が存在することを察知できるかも知れ
ません。私は無理っす。。。 |
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中の文字は完全に色落ちしていますが、はっきりと何を
示しているかが読み取れるところがなかなかニクい!
手前のは車幅制限 2.5m
奥のが車高制限 1.7m
車高制限1.7mはかなりアツいっすねえ。。。線路の
高架下橋梁では見た事はありますが、こういう山中での
1.7mはなかなかお目にかかれません。
未だに屹然とお役目を果たそうとするそのお姿に
敬礼! |
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その看板から間もなくでした。。。んんん???
何か見えてきたぞお。。。
水路???
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。。。。。。。。。。。。。。
こ、これは。。。隧道。。。なのか?
そう半信半疑ではおれないほどの「頭」の低さ、並びに
水っ気たっぷりの洞内。。。水路隧道のがしっくりきます
よ。。。
しかしながら、しnGO氏の写真と全く同じ、及び、先の
車高制限の「1.7m」を考えると、やっぱりこれなん
だ。。。
横は普通であるがゆえに余計に頭の低さが目立ちま
す。
かの隧道データベースによりますと、
1904年(明治37年)竣工 延長127m
車道幅員2.4m 限界高2.2m
とあります。
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!!!
なんと、迫石が煉瓦積みです。3層の巻厚で煉瓦巻き
されています。これは驚きです!
胸壁部分は切石です。明治生まれという驚異的な一品
を裏付けてくれそうな造りをしています。
煉瓦を使った明治37年は相当古いです。
関西では私が知る限り現存するものでは、
明治16年の鐘ヶ坂(兵庫)、明治19年の池田(和歌山)、
明治21年の由良洞(和歌山)に次いで4番目に古い煉瓦
隧道ではないでしょうか。
ひょっとすると恐るべき代物であるかも知れません。
ただ、車幅制限はほぼ一致しますが、高さが0.7mの
誤差があります。限界高の考え方と、実際の標識では
制限幅が異なる事も考えられますので、あるいはこれで
合っているのかも知れません。
とにかく興奮します!久々の煉瓦入り!
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扁額は残念ながらなさそうです。
石積みや、煉瓦の継ぎ目がはっきりしません。相当な
風化の進み具合を感じます。 |
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内部は。。。セントル、というのでしょうか、波型の鉄板
でアーチが覆われています。
しかしその奥は。。。? |
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気になる先の前に、お決まりのアングルで撮影。
自然にとことん戻っている感じです。水路隧道のが
しっくりきます。 |
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セントル巻きの後は。。。
こ、こいつは凄い。。。。。。。。
煉瓦アーチだ。。。なんたることか。。。まだこんな隧道
が生き残っていたなんて。。。
切石積みとアーチが綺麗に残されています。これは
明治隧道で間違いないんではないでしょうか。
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煉瓦巻きの先は素掘りになりました。。。早速右側が
崩落しています。
。。。そして何より、懐中電灯でその姿を捉えた瞬間に
相当びびらせてもらいましたよ。。。この宙吊りの電灯
に。。。 |
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靄がすごい。。。
振り返って見ても、その煉瓦アーチの見事さは変わり
ません。 |
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もう少し引いて撮影。
素掘りと煉瓦アーチの境目がよく分かります。
素掘りは一応モルタル噴き付け処理はされておるの
ですが、同行のピカさんがモルタル覆いの裂け目を
少し触れたら、30cm角ぐらいの範囲がボロッ。。。
!!!
なんという脆さか。。。よくモルタル内部を見ると、かなり
危うい地質であることが素人目にも分かります。。。
こりゃあ隧道廃して、峠越えしたくなるわな。。。 |
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この辺りからは靄がひどくなる一方。水溜りも相当量
で、長靴を用意した私が単独でこの先の調査を行うこと
になりました。
この辺もセントルですが、サビが酷く、アンカーの役割
であろう大きなボルトも、軽く触れるだけでこれまた
ボロッ。。。通常ありえないぐらいの腐食の仕方です。
廃されて相当の年月が過ぎていることが分かります。
そして、視線の先には。。。 |
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(靄がひどすぎでまともに撮影できません。。。)
今までで最も多い崩落の土砂の量です。
しかも砂みたいな土砂がうずたかく積もっています。
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見上げると、大きな穴がぽっかりと。。。
直径は1mほどですが、高さは2m近く掘り上がってお
ります。こんな崩落の仕方は固い岩盤ならありえないと
思います。
やっぱりこの地質はやばい。。。
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その崩落を越えるとすぐ対岸の光が見えました。
またも煉瓦アーチとなり、水深が少し気になり、相変わら
ず靄がひどいですが、どうにか対岸が見えてきました。
カーソルオンでフラッシュ無し撮影です。
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長手積みで残る煉瓦アーチは何度見ても美しい。。。 |
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ひどくなる水深と、ぬかるみにひいひい言いつつ、よう
やく対岸に到着。
対岸は8割ほど埋ってしまっているようです。 |
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坑口寸前からのローアングルショット。
靄には敵わんわ。。。 |
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何とか這い上がって外に出ました。
周囲は恐ろしいほど自然に囲まれています。 |
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で、この坑口を8割埋めていた物体は、土砂ではなく
巨大なブロックでした。何かポールみたいなのが2、3本
刺さっている摩訶不思議なブロックです。
坑口を塞ぐ目的で置いたと考えられます。残りの2割
の空間にはネットが張ってあったと思われます。(ネットは
坑口下に垂れ下がっています。)
なんでこっち側だけこんなに強固に塞いだのでしょう?
だって、反対側はあんなに無防備だし。。。 |
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こちら側の坑口も煉瓦巻きされています。上部は石積
みだとは思うのですが、徹底的に植物に侵攻されて、
はっきりと判別できません。 |
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隧道上を見上げても、見えるのは空と、はるか上空の
高圧電線のみ。。。
目の前の木製の柱は、旧電柱ではないかと。。。 |
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さて。。。と。。。
来た道を引き返すのは激しくイヤだったので、意地でも
こちら側より脱出しようと考えます。
振り返っても猛烈な籔が広がるのみで、行く手ははい
ように見えましたが。。。 |
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しかし、籔をしっかり掻き分けてみると。。。ある!道筋
らしき空間がある! |
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あのブロックの上にさっきまで立っていました。
ブロックの向こう側に隧道があるわけですが。。。
スキー板が非常に気になる光景です。 |
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道筋だったと思われるその空間は、すでに水のせせら
ぎが最も似合う風景に変貌し、そこに人工物が一点。。。 |
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その空間はほんの少し残っていましたが、やがて猛烈
な籔に阻まれ、旧旧道のトレースは断念。左手斜面上
に見えた旧道のガードレールに足が向いておりまし
た。 |
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旧道に這い上がりました。。。
写真は峠からの下り道です。当然車両停留地とは逆
方向です。
峠は振り返って50mもないです。よって、旧旧道隧道
と、旧道の高低差はそこそこあります。
こっち側からの探索はかなり難しいと思われます。
それにしても。。。煉瓦アーチを残す明治隧道。。。
として、近代土木遺産Cランクぐらいにはなりませんか?
是非土木学会様に見てもらいたいものです。 |