旧栃原隧道


兵庫県


  

                 2009年7月訪問


 ここは、ない!!!
 。。。と、断定していたのですが。。。

 ある日、掲示板にこのような書き込みをいただきまし
た。ネタの提供者はしnGO氏。
「兵庫県道39号線、栃原トンネルに旧トンネルがある
のをご存知ですか?」。。。。。。

 。。。。。。ええええっ??????

 まさか???しかしながら、しnGO氏からは写真まで
頂いての情報です。こいつぁ大変だ!
 現栃原トンネルの旧道は峠越え、地図でも見ていて、
これは開削されたんだろうなあ。。。とハナから諦めてい
た隧道、かのリストにもその名を残しておりますが。。。
まさか、生きていたとは。。。

 戸谷オフでご一緒したピカさん、Yori-yanさんにも情報
をお話し、今回3名での探索となりました。(※Yori-yanさ
んは、昨日に別グループで踏査済みなのに、案内してい
ただきました。感涙です。)
 あらゆる現代地図にもその痕跡を一切留めない闇に
埋れた旧栃原隧道。どうやら旧旧道にあったようです。
 右手の道が旧道で、あと200mほどで峠に辿り着きま
す。で、この左手の1段下がった草むらが旧旧道である
というのです。
 旧道が峠越えで、旧旧道が隧道パスというのは非常に
稀有な存在に感じます。それだけに情報なければ永劫に
巡りあえない隧道だったことでしょう。。。
 いやあ、貴重品だぞ!
 それでは、旧旧道に突入です。
 この日も梅雨らしい雨模様で、断続的な降雨が足場を
相当悪くしています。
 幸い探索時の雨は小康状態であったこと、昨日の探索
チームが踏み分けていただいていたこともあり、長靴で
あれば容易に侵入できる状態ではありました。
 ををっ!

 これも、しnGO氏から写真でいただいていた情報のもの
です!旧道からも見えるので、余程の廃道マスターであ
れば、ここに旧旧道が存在することを察知できるかも知れ
ません。私は無理っす。。。
 中の文字は完全に色落ちしていますが、はっきりと何を
示しているかが読み取れるところがなかなかニクい!

 手前のは車幅制限 2.5m
 奥のが車高制限 1.7m

 車高制限1.7mはかなりアツいっすねえ。。。線路の
高架下橋梁では見た事はありますが、こういう山中での
1.7mはなかなかお目にかかれません。

 未だに屹然とお役目を果たそうとするそのお姿に
敬礼!
 その看板から間もなくでした。。。んんん???
 何か見えてきたぞお。。。

 水路???
 。。。。。。。。。。。。。。

 こ、これは。。。隧道。。。なのか?

 そう半信半疑ではおれないほどの「頭」の低さ、並びに
水っ気たっぷりの洞内。。。水路隧道のがしっくりきます
よ。。。

 しかしながら、しnGO氏の写真と全く同じ、及び、先の
車高制限の「1.7m」を考えると、やっぱりこれなん
だ。。。

 横は普通であるがゆえに余計に頭の低さが目立ちま
す。
かの隧道データベースによりますと、

 1904年(明治37年)竣工 延長127m
 車道幅員2.4m 限界高2.2m


 とあります。
 !!!

 なんと、迫石が煉瓦積みです。3層の巻厚で煉瓦巻き
されています。これは驚きです!
 胸壁部分は切石です。明治生まれという驚異的な一品
を裏付けてくれそうな造りをしています。

 煉瓦を使った明治37年は相当古いです。
 関西では私が知る限り現存するものでは、
明治16年の鐘ヶ坂(兵庫)、明治19年の池田(和歌山)、
明治21年の由良洞(和歌山)に次いで4番目に古い煉瓦
隧道ではないでしょうか。

 ひょっとすると恐るべき代物であるかも知れません。
 ただ、車幅制限はほぼ一致しますが、高さが0.7mの
誤差があります。限界高の考え方と、実際の標識では
制限幅が異なる事も考えられますので、あるいはこれで
合っているのかも知れません。
 とにかく興奮します!久々の煉瓦入り!
 扁額は残念ながらなさそうです。
 
 石積みや、煉瓦の継ぎ目がはっきりしません。相当な
風化の進み具合を感じます。
 内部は。。。セントル、というのでしょうか、波型の鉄板
でアーチが覆われています。
 しかしその奥は。。。?
 気になる先の前に、お決まりのアングルで撮影。

 自然にとことん戻っている感じです。水路隧道のが
しっくりきます。
 セントル巻きの後は。。。

 こ、こいつは凄い。。。。。。。。

 煉瓦アーチだ。。。なんたることか。。。まだこんな隧道
が生き残っていたなんて。。。

 切石積みとアーチが綺麗に残されています。これは
明治隧道で間違いないんではないでしょうか。
 煉瓦巻きの先は素掘りになりました。。。早速右側が
崩落しています。

 。。。そして何より、懐中電灯でその姿を捉えた瞬間に
相当びびらせてもらいましたよ。。。この宙吊りの電灯
に。。。
 靄がすごい。。。

 振り返って見ても、その煉瓦アーチの見事さは変わり
ません。
 もう少し引いて撮影。
 素掘りと煉瓦アーチの境目がよく分かります。
 素掘りは一応モルタル噴き付け処理はされておるの
ですが、同行のピカさんがモルタル覆いの裂け目を
少し触れたら、30cm角ぐらいの範囲がボロッ。。。

 !!!
 なんという脆さか。。。よくモルタル内部を見ると、かなり
危うい地質であることが素人目にも分かります。。。
 こりゃあ隧道廃して、峠越えしたくなるわな。。。
 この辺りからは靄がひどくなる一方。水溜りも相当量
で、長靴を用意した私が単独でこの先の調査を行うこと
になりました。

 この辺もセントルですが、サビが酷く、アンカーの役割
であろう大きなボルトも、軽く触れるだけでこれまた
ボロッ。。。通常ありえないぐらいの腐食の仕方です。
 廃されて相当の年月が過ぎていることが分かります。
 
 そして、視線の先には。。。
 (靄がひどすぎでまともに撮影できません。。。)

 今までで最も多い崩落の土砂の量です。
 しかも砂みたいな土砂がうずたかく積もっています。
 
 見上げると、大きな穴がぽっかりと。。。

 直径は1mほどですが、高さは2m近く掘り上がってお
ります。こんな崩落の仕方は固い岩盤ならありえないと
思います。
 やっぱりこの地質はやばい。。。
 その崩落を越えるとすぐ対岸の光が見えました。
 またも煉瓦アーチとなり、水深が少し気になり、相変わら
ず靄がひどいですが、どうにか対岸が見えてきました。

 カーソルオンでフラッシュ無し撮影です。

 長手積みで残る煉瓦アーチは何度見ても美しい。。。
 ひどくなる水深と、ぬかるみにひいひい言いつつ、よう
やく対岸に到着。
 対岸は8割ほど埋ってしまっているようです。
 坑口寸前からのローアングルショット。

 靄には敵わんわ。。。
 何とか這い上がって外に出ました。
 
 周囲は恐ろしいほど自然に囲まれています。
 で、この坑口を8割埋めていた物体は、土砂ではなく
巨大なブロックでした。何かポールみたいなのが2、3本
刺さっている摩訶不思議なブロックです。
 坑口を塞ぐ目的で置いたと考えられます。残りの2割
の空間にはネットが張ってあったと思われます。(ネットは
坑口下に垂れ下がっています。)

 なんでこっち側だけこんなに強固に塞いだのでしょう?
だって、反対側はあんなに無防備だし。。。
 こちら側の坑口も煉瓦巻きされています。上部は石積
みだとは思うのですが、徹底的に植物に侵攻されて、
はっきりと判別できません。
 隧道上を見上げても、見えるのは空と、はるか上空の
高圧電線のみ。。。
 目の前の木製の柱は、旧電柱ではないかと。。。
 さて。。。と。。。

 来た道を引き返すのは激しくイヤだったので、意地でも
こちら側より脱出しようと考えます。

 振り返っても猛烈な籔が広がるのみで、行く手ははい
ように見えましたが。。。
 しかし、籔をしっかり掻き分けてみると。。。ある!道筋
らしき空間がある!
 あのブロックの上にさっきまで立っていました。
 ブロックの向こう側に隧道があるわけですが。。。
 スキー板が非常に気になる光景です。
 道筋だったと思われるその空間は、すでに水のせせら
ぎが最も似合う風景に変貌し、そこに人工物が一点。。。
 その空間はほんの少し残っていましたが、やがて猛烈
な籔に阻まれ、旧旧道のトレースは断念。左手斜面上
に見えた旧道のガードレールに足が向いておりまし
た。
 旧道に這い上がりました。。。
 写真は峠からの下り道です。当然車両停留地とは逆
方向です。
 峠は振り返って50mもないです。よって、旧旧道隧道
と、旧道の高低差はそこそこあります。
 こっち側からの探索はかなり難しいと思われます。

 それにしても。。。煉瓦アーチを残す明治隧道。。。
 として、近代土木遺産Cランクぐらいにはなりませんか?

 是非土木学会様に見てもらいたいものです。