後半戦
完全なる植林地帯に突入します。。。 こりゃあ、さっきまでの廃道とは趣が全く異なり ます。 4本目の隧道を境に環境が一変しましたねえ。 |
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杉の切り口は真新しく、明らかにプロの仕業。。。 どうやら、この先から林業の方が入ってきている ようです。 |
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そんな中見つけた何らかの遺構。 これも恐らく索道の部品ではないでしょうか。 |
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そして! こちらは軌道跡を決定付ける確定物証!!! ついに見つけました、レールです。 がたろうさんの息子さんが見つけてくれました。 私とがたろうさんは普通に見落として、スルーし てしまってました。。。危ない危ない。。。 |
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連結部分もくっきり。 崩れた壁面に流されるように路肩に飛び出して おります。 |
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そうこうしているうちに現れる、謎の配管? 苔むし具合から相当古いようですが。。。? |
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軌道跡左隅にずっと謎の配管が続いてます ねえ?なんだろこれ? |
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4本目の隧道から大分歩を進めてきました。。。 雰囲気的にもう隧道は出てこないような気がし ておりました。 そんな中、ふと右側の谷底を見やると。。。 |
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はるか下方に広大な砂利の敷地が。。。!? こ、ここはついに。。。 どうやら金屋淵に到着したようです。 |
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おやあ?軌道跡と思われる所にコンクリートの 四角い穴が2つ。。。? |
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。。。なんでしょうねえ? 鉱石の一時保管場所か、トロッコの点検場 か。。。? |
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あの四角い穴の場所から、軌道跡らしきものが 希薄になってきました。。。 このあと道自体が消失してしまいます。 崩落した様子はないんですがねえ。。。 |
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さっきの場所に戻ってきました。 どうもここら辺が軌道の終点ではないでしょう か。 やはりトロッコの点検場? |
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四角穴から少し戻った軌道跡から下を見ると、 何か構造物が見えます。 (カーソルオン) 軌道跡にもコンクリ構造物があったと思います んで、索道で軌道跡と向こうが繋がっていたので はないでしょうか。 ようするに、立里鉱床よりトロッコで運んできた 鉱石は、ここから短い索道ですぐそこの設備に 下ろされていたのではないか。。。推測ですが。 |
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すぐそばに人が降りられる程度の道がありまし た。 |
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で、降りてきた所にある構造物です。 さっき下に見えていた構造物に近い場所にある と思います。 で、ここから左下に道幅の斜面が続いています が。。。 |
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少し斜面を下って振り返り。。。ホウホウ。。。 | |
さらに引き映像。 ををっ こいつぁ素晴しい!! 信じられないぐらい綺麗に遺されたインクライン跡! 見事な廃景! 鉱石はトロッコから索道、そしてインクラインにて運ばれていたのでしょうか。 |
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インクラインを決定付ける貴重な遺構が残存。 中央付近に残る構造物。 こういうのを鋼索線で見たことがある気がしま す。 |
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これは宿舎でしょうか。 他にも鉱山設備の遺構が遺跡化しつつ残され ておりますが、そちらは専門外ですので、割愛 致します。 (写真撮ってますが、何が何だか分かりません ので。。。) |
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軌道跡から見えていた広大な砂利の敷地。 なーんもありません。 この金屋淵鉱床には精錬所があったそうです が、とにかく平地がなかったようで、池津川をトン ネルで潜らせて上に平地を造ったようです。 |
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平地には見所がなかったので、もう一つ気にな る部分の捜索です。 いろいろ探しまくって行き付いたのは池津川の 川床。 下流に向かって撮影していますが、何か遺構 が見えます。 |
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さらに近づくと。。。 右手の川岸に石積みの橋台が見えます。 真ん中のカタマリは橋脚でしょうか? |
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乱積みってな雰囲気の橋台。 当然橋台は対ですので反対側にも。。。 |
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やはりありました。 橋脚1本付きの橋梁が架かっていたようです ねえ。 |
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廃橋梁の向こう側の確認は後でするとして、 もうちょっと下流に足を運んでみますと、なにやら 暗い影が。。。 |
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しっかり存在しました、水路隧道。 池津川の上に平地を造った際にできた隧道でしょうか。実はすぐ右隣奥手にもう一本隠れています。 |
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長靴ではないし、だいたい水量が結構あるので、とても川床から近付けません。 これが精一杯のショット。 老朽化したコンクリアーチが見えます。残念ながら扁額等はないようです。 |
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水路隧道のこれ以上の追求は諦め、橋梁跡 から先の道筋を確認しに行きます。 。。。をを?がたろうさんの足元に何か。。。 |
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おお!こんなところにもレールが! 橋台の脇に刺さっております。 |
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池津川を挟んで対岸、そこにも道筋はありまし た! レールも残存していたので、トロッコが橋梁を 渡ってここを進んでいったのではないでしょうか。 |
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むむ!?軌道跡に何か!? まさか、トロッコとか??? |
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。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 どう見てもトロッコではないっすねえ。。。 ロードローラーみたいです。 なんとナンバープレートまで付いています。埼玉 の。。。いいんかいな。。。 取り敢えず固有が分かる写真の掲載は差し控 えときます。。。 重機はここで息絶えたのか、あるいは右上の 斜面上は県道なので、そこから落ちてきたの か。。。?謎の存在です。 この重機の製造は昭和46年7月らしいので、 鉱山とは無関係のブツと思われます。 |
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その重機の下を覗き込むと。。。 おお! なんと木製橋梁が現存しております。こいつは すごい。。。 両側の橋台が見えているので決して長くない 橋梁ですが、しっかり渡されている点で非常に レアですねえ。しかも重機が半分乗ってるの に。。。 |
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その橋梁跡からすぐ、軌道跡はここで終点に なります。 そしてその終点箇所は。。。右に曲がりつつ。。。 |
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土嚢で塞がれた、穴と思われるところに行き着 きます。 こいつは間違いないでしょう! こここそ、金屋淵鉱床の坑道! 金屋淵の精錬所には、立里鉱床からトロッコで 鉱石を輸送、そして、金屋淵鉱床からも鉱石を トロッコにて運び出していたようです。 穴は上部、開いているようにも見えましたが、 残念ながら完全に蓋をされておりました。 |
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金屋淵の坑道から振り返り。 ロードローラーはすぐそこです。 ここまで立里から金屋淵(紫園)までの軌道跡、 隧道4本、枕木、レール、坑道跡、橋梁跡、木製 橋梁、インクラインまで発見できました。 これら殆どネットでは確認できない物証ばかり です。大収穫です! がたろうさん、弟さん、息子さんには感謝感謝 でございます。 |
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帰り、ついでに立里集落と県道734号を結ぶ 予定の未成道路の状況を、県道側から確認しに 行きました。 凄まじい切り通し。。。法面の施工はされておら ず、崩れています。この先は完全に途中放棄され ており、道は繋がっておりません。 |
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上の写真の地点を法面上から見てみました。 見事なヘアピンカーブ!未成のままのこの景色はなかなか見れないと思います。 |
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その法面上からいきなり道筋が出てきます。 実は、昔から県道734号から立里集落までの 道は存在していたようです。ただし人道ですが。 車道開設にあたって、一部崩されてしまったよう です。よって、今は完全廃道ということに。。。 県道から池津川を渡るのに、吊り橋が架かって います。この吊り橋からすでにやばい状態に。。。 詳細はまーくんさんのサイト「近畿の吊り橋」を ご覧下さい→「立里の吊橋」 |
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上の人道は、あそこから途切れる事無く立里 集落まで続いておりました。 今では住んでいらっしゃる住人も僅かのよう で、建物などは昭和のノスタルジーを感じること ができる場所となっています。 |
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で、その集落に残されている、小さな索道跡。 もう使われていないのは明白ですが、ワイヤー はしっかり張られております。 生活物資輸送用として使われていたのではない でしょうか。 |
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ワイヤーに宙吊りとなっています。物資の輸送 に使っていたのでしょう。 |
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立里集落と外界を結ぶ唯一の村道、上垣内 立里線。開設記念碑によりますと。。。 |
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村道開設が1977年(昭和52年)なのです。 ということは、それ以前は車が入れる道がなかったってことでしょうか。。。 そら、あの索道必要ですよねえ。。。 |
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立里集落と、未成道路分岐地点に戻って参り ました。 真っ直ぐが立里集落方面、左が未成道路でご ざいます。軌道跡へは左折でございますが、最初 から坂道ダートです。。。 しかし、よく歩きました!もう3人ともヘトヘトで す。 車2台で、一方を金屋淵に置いておくといいかも 知れませんねえ。 |
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最後に、金屋淵鉱床付近の簡易地図を載せて おきます。 なかなかに濃厚な探索となりました。まだまだ わからないことが多い立里鉱山。何か分かりまし たら、加筆修正していきたいと思います。 |