淡河川疏水編
その7
2013年4月訪問
さて続きです。これは11号隧道の呑口でございます。 右手の配管がどこから出てきたのか、全く記憶しておりませぬ。 手前のブイの水位センサーの配管か、という話を掲示板にておうかがいしましたが、繋がっていたかどうか、さっぱり 覚えておりません… |
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吐口で一部3層巻の隧道はありましたが、呑口から3層巻は初めてです。 どういう風の吹き回しでしょうか(笑)地質的な問題があったのでしょうか。 |
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これぞオーソドックスな半円アーチです。 やっぱり3層だと見た目にも頼りがいがありますよね〜 |
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こちらももはや定番。オール煉瓦仕様でございます。 天井に配管があるのは珍しいですが。 |
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で、あっという間に吐口側。 配管はまだ先に続いております。 |
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11号隧道の吐口です。こちらも3層巻き。両側ともスタンダードな坑門って感じです。なんでここだけ? |
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導水路の途中にある余水吐き。 簡単な木製ゲートになってます。 外側には煉瓦製のゲート跡が残ってますね。 |
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そしてその先に現れたのが集塵機です。 この配管はこの集塵機への電源確保の意味合いもあるようです。 で、この集塵機の向こう側でえらいもんを見つけてしまいます。 |
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!!! こ、これは…! |
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おおおおお!!! す、すごい!煉瓦&石アーチ暗渠!!!しかもなんだ、この小ささでこのフォルムは!!! |
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いいい一旦落ち着こう… この暗渠は淡河川疎水を潜る形で存在します。この疎水で初めてのアーチ暗渠ということになります。 右側にも気になる穴が開いとりますが… 宮川さん計測で径間1.08m(およそ3尺5寸)、内高1.06mという、鉄道暗渠では小さい部類。 その暗渠になんとなんとの楯状迫石! ありえん…くるまみち史上最少の楯状迫石アーチです。 笠石も切石。坑門はイギリス積みの煉瓦です。 |
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内部はしっかり煉瓦アーチ。側壁は切石積みです。 上部の淡河川疎水とクロスしています。 |
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何とか屈んで反対側に行くことができます。 こちらが北側、小川の下流側になります。 |
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下流側の坑門はこの有様。 どうも坑門が削れてしまっている模様です。 |
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この状態です。こちら側からアプローチしていたら、あんな見事な暗渠があるとはとても思えなかったことでしょう。 |
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で、上流側では隣どおしだった長方形の水路。 下流側では少し離れて開口していました。こちらは 疎水に対して斜めに穴が開いているようです。 |
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中を覗くと… 石桁です!びっしり石桁の並んだ暗渠となっていま す。 側壁は谷積みのような石積みになっています。 こちらが初代で、2代目が楯状迫石アーチってこと なんでしょうか。 |
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見事な佇まいの煉瓦アーチ暗渠。当然名称が分かりませんので、淡河疎水窟屋橋梁と致します。 石桁の方は淡河疎水窟屋石桁橋梁です。因みに「窟屋」は「イワヤ」と読みます。 では、先に進みます。 |
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淡河川疎水の探索はここを最後に極端に難易度があがります。 これまでは、2号隧道吐口方面を除いて概ね通して疎水を辿ることが可能でしたが、ここから先は市街地やゴルフ場などに 阻まれます。しかも水路が地図通りに走っていない箇所が頻出します。 |
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これがこの淡河川疎水で最長の隧道と謂われる「芥子山隧道」です。と同時に「12号隧道」ということになります。 コンクリ隧道に完全改修されています。 奥の青い光はなんでしょうねえ…?本気で分かりません(滝汗) |
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扁額があります。 昭和三十年八月竣功 芥子山隧道 兵庫県知事 坂本勝 書 坂本氏の知事在任期間は1954年(昭和29年)12月 12日〜1962年(昭和37年)10月17日(Wikipediaより) なんで、一致しますね。 |
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内部はご覧の通り完全にカンクリート化されています。 どこかで煉瓦が残っているのか…現状はわかりかねます。 |
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ここまで進んできましたが変化なし。 この先は住宅街の真下ですんで、完全にコンクリ 改修されたのかもしれません。 |
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因みにこの芥子山隧道、延長は682mです。計測してみるとおおよそこの赤ラインの長さとなります。 思いっきり住宅街のど真ん中です。国土地理院の点線が果たして正しいのかも分からないので何とも言えませんが、 取り敢えず芥子山隧道の吐口は完全暗渠化されている可能性が高いです。 ここからが追っかけるのが極めて難しいゾーンです。ですんで、次回はダイジェストでレポをする予定です。 以降、その8 に続く! |