高原隧道
奈良県

 

 
 和歌山県十津川村、そこには東に大峰山脈
という1000mを超える山々が聳え、中央には
十津川という大きな川を侍らした、まさに巨大
な自然の真っ只中に位置します。
 そんな山深き土地でも人々は生活をしてお
り、厳しい自然との共生をしております。
 この十津川村の北へのライフラインとしての
役割を果たす国道168号線は、今だ急峻な十
津川沿いの狭い道幅ではあるものの、徐々に
大規模なバイパス道路も造られていっていま
す。この国道168号線には昭和中期のトンネル
が多数存在しており、特に風屋ダム周辺には
短いトンネルが多数あります。
 その風屋ダムから国道を逸れ内陸に足を
運ぶと、廃隧道の内原隧道や、地図に存在の
ない栗平トンネルなどが潜んでいます。
 そして。。。まだ存在する、という情報をある
方より頂戴し、慌てて再調査を実施致しまし
た。これが。。。とんでもない場所なんです。
 十津川に注ぐ支流の滝川。その滝川沿いに
下地という地区があります。その地区の隙間
から滝川に向かって。。。吊橋が。。。ありま
す。地図にその存在を全く消し去っている吊橋
でありますが、なにやら真新しい立て札が。。。
 「下地橋」
 長さ62m、高さ6mの吊橋で、

 何と、

 村道 下地−高原線 という立派な名称の
付く道なのでした。
 もともとこういう色なのか、錆なのかわからな
い赤茶けた色をしています。
 軽バンぐらいなら通れそうな幅は一応ありま
すが。。。

 そして視線の先にある怪しい暗い影に光る
物体が2つ。。。
 足元は透け透けで、6m下がよく見えます。
 6mでも結構高いですねえ。。。
 支流とはいえ、さすがに水量は豊富です。
 水も澄んでおり、やはり大自然の中にいる
ことを実感させてくれます。
 ゆさゆさゆさ。。。
 歩く度に軽く跳ね上がる感覚。。。久しぶりに
吊橋を渡ったので、面白いです。
 そして、目線にはっきりと映し出される、もう
疑いようのない、隧道がぽっかりと口を開けて
います。
 ついに眼前に全容を現した、村道隧道。。。

 「Tunnel Web」さんのトンネルリストによれ
ば、

 「高原隧道」(タコハラズイドウ)
 竣工年不明  延長118m
 幅2.5m 高さ2.1m


 となっています。
 恐らくこれで間違いないと思います。
 対岸から振り返り。。。
 民家が数軒見える他は寸前まで迫り出した
山。川はその山をぐるっと巻くように流れてい
ます。
 えらいとこに架けたもんです。。。
 アーチは石組みでしょうか。。。コンクリで
補強はされていると思いますが、あまり厚い
巻きではない感じです。
 扁額らしきものは見当たりません。
 内部は。。。相当狭いですねえ。。。
 入り口付近だけなら軽でなんとか行けそう
と思いましたが、中では両側にコンクリ柱が
並んでおり、こりゃあ無理そう。。。
 もともと軽クラスなら通れる規格だったのか
もしれませんが、波板状の支保工が相当内回
りに施工されており、補修は人道専用として
成されたようです。
 「トンネルを抜けるとそこは吊橋だった。。。」
 まさに一蓮托生。。。どっちが壊れても両方
使えなくなります。
 支保工が途切れ、素掘りにモルタル拭きつ
けが出てきました。
 本来の洞内がコレだと思います。
 いや、モルタルなしのまんま素掘りが最初で
しょうが。。。
 まるで生物の体内を思わせる洞内。。。
やっぱり狭いよなあ。。。
 。。。反対側の光が僅かに見えます。。。
 フラッシュなし撮影。
 うむ!ええ風景や。。。
 2回目の支保工の登場。
 その上には大きな空洞が。。。
 やはり崩落ひどい場所にはこの支保工で
補強しているようです。
 そこまでして使う価値のある隧道なんでしょ
うねえ、地元の方々にとっては。。。
 この支保工の両側には、モルタル拭きつけ
もないむき出しの隧道の姿が残されていまし
た。
 こう見ると、山中のトンネルとは思えませ
んねえ。どこぞの地下通路のようです。
 反対側の出口がもうすぐです。
 こっちも吊橋やったら驚愕ものやけど。。。
 。。。なぜか自転車が1台。。。立てかけて
あります。
 この隧道吊橋利用者が片道で自由に使える
ように置いてあるとか。。。
 反対側は吊橋ではありませんでした。そら
そうか。。。
 ここから振り返ると、本当に地下通路の趣
ですなあ。
 吊橋と反対側の坑口です。方角的には南
側ですかね。
 やっぱり籔も深く被さっているのもあります
が、アーチがはっきり見えません。
 扁額もなさそうです。
 人道規格の村道が隧道出て右に流れてい
きます。この方向は国道ですね。
 左手には学校もあるようで、地元の方の大
切な生活道であることを窺わせます。
 地図にも載らない小さな(それでも延長は
100m超)隧道ですが、地図に載る必要性が
一切ない、地元の人々専用の生活隧道(&
吊橋)でありました。