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春日氏の「険道と標識のページ」でも紹介のあった、こ
の旧トンネルを訪問しました。
東を竹田川、西を山々に囲まれつつも広々とした田畑が
広がる場所、兵庫県は丹波市、春日町多田という地区
にそれはありました。
南北に流れる竹田川に沿うように走る国道175号線か
ら西方に伸びる農道に入ります。そのちょうど突き当たり
の場所がここです。
後方には朝方の靄に霞む広々とした田畑が見渡せ、
清々しい気分にさせてくれます。 |
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その突き当たり地点からすぐ、現行多田山トンネルを
見ることができます。
扁額は左右に1つずつあり、右の方が趣があります。
名前が書いてあるようですが、よく分かりません。
左の扁額には125mという記載が補足してあります。
短めのトンネルです。旧もそれくらいであると想定されま
す。 |
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旧多田山トンネルは現行の右手、東側を通っていたよ
うです。その方向は、まだ夏が終わってそう遠からずの
季節であったため、鬱蒼とした緑の海に飲み込まれてお
りました。 |
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現役多田山トンネルの真横と目される方向に目をやる
と、はっきりと残る切り込みの鉄道路面スペースの先に
。。。何か見えます。
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トンネル。。。。。。跡だったのか。。。
まるでジャングルの奥に眠る巨大遺跡の入り口のような
雰囲気を醸し出しています。
廃されてから、別用途に転用されていた名残りのようで
すが。。。今は使われることもなく、自然の一部に溶け込
んでしまっています。 |
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坑門の姿を一切消し去るような塞がれ方をしており、
緑の一部となった今でも朽ち去ることなく坑門を覆い続け
ています。
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何と銘板があります。ただ、改築工事の時の銘板のよう
です。 |
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坑門前から振り返り。。。
大きな木々はまだ生えてきておらず、やはり廃されてか
らの転用時代がこの状況に留めているようです。 |
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それでは内部にお邪魔します。
内部はガランとしており、転用時代の遺物は一切見受け
られません。アーチ部分は完全にモルタル吹き付けにて
覆われています。
奥にはまた間仕切りがあり扉のない口が開いています。
その奥にもスペースがあるようですが。。。 |
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振り返って撮影。
板組みを鉄柱にて支えた覆いがはっきりと分かります。
これは当分持ち堪えそうです。 |
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一番奥に入ってきました。
また間仕切りがあり、今度は扉があります。開けてみよ
うとしましたが、鍵がしっかり掛かっていて開きません。こ
の先も出口ではない気がしますが。。。 |
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来る事ができる最深部から振り返り。この部屋は往時
の鉄道トンネルの姿をそのまま留めていました。 |
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やはりこのトンネルもレンガ仕様でした。残っていてくれ
て嬉しい限りです。 |
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石組み&長手積みレンガ仕様です。
オールレンガ仕様とおおよそこの2種類が大半を占める
のではないでしょうか。 |
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ここからでは北口には辿り着けないので、外から周り
込んでみることにしました。 |
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反対側に廻ってきました。反対側のアクセスも細い道
を西に入っていきます。現役鉄道の下に架道橋がありま
すが、これは車では無理っぽいです。
坂折橋梁というそうです。 |
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で、この橋梁手前の左手(南方)を見ると、完全封鎖さ
れた敷地がその先にありました。
本当に全く隙間なくネットとフェンスで覆われています。
ここは今も何かに利用されている感満天です。 |
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遠目から何とか撮影。
路面跡は刈り払いがされており、トンネルにはシャッター
と扉、セコムのシールまで貼られています。
かなり厳重。完全に現役で転用されているようです。
坑門の面影はやはり消え去っているようですが、笠石
付近や両サイドは切石造りではないかと思われます。
レンガは見て取ることはできません。恐らく、迫石のみ
レンガ仕様で、あとは切石造りの坑門だったのではない
でしょうか。
探索はここまでと致しました。 |