|
|
|
およそ1年ぶりでしょうか。京都の素掘り隧道に舞い
戻ってまいりました。
何故、戻ってきたのか。。。
よととは見落としておりました。。。
地図帳に表記された「須川隧道」よりもさらに小さな
表記であるが、確実に隧道のマークが表記されていた
ことを!
相当な奥深い場所であり、ダート府道からさらに外れ
た奥地である。その道は点線表記、挙句の果てには
山中奥深くにて立ち消える、目的なしにはおおよそ訪れ
ることがない場所なのです。
1年ぶりに訪れる須川地区でありますが、見る限り全く
その姿に変化はなく、時勢の影響を受けることなく、独自
の時の流れの中にいるような感じがします。 |
|
去年の訪問は5月。今回は6月、と1ヶ月しか変わりま
せんが、雑草の多さは歴然です。轍が間もなく消え逝き
そうです。 |
|
去年と同様に徒歩で進軍したわけでありますが、正解
です。
この、車では通り抜け不能のダート府道には、素掘りの
隧道があることは昨年に確認済み。今回もしっかりそ
のお姿を捉えることができました!
|
|
あいも変わらずここは府道である!と主張する看板が
刺さっています。なんともイイ!感じです。
それにしても、またここを訪れることになるとは。。。
もう一生ないと思ってましたが。。。 |
|
完全素掘りではあるが、全く1年前と変わらないように
よととを迎えてくれます。もっと崩落箇所とか、そういうも
のがあってもいいように感じますが。
現実的にここは、「現役府道」であり、すなわちこの隧道
も「現役隧道」なのである。手入れは定期的にされている
のかも知れません。
|
|
さあ、隧道以降は未探索地帯です。
地図によると隧道通過から300mほどで川が二手に
分岐し、本流の須川方面に向かうことになります。ただ、
川は本流でも道に関しては県道から外れた点線道という
非常な不安を伴う道へと降格します。
|
|
緑に埋まりつつあるコンクリの橋。
最近車が通っているような感じもしません。
|
|
その少し先。。。まだ県道の本筋から離れていないと
思うのですが。。。いつの間にやら轍が消え、緑の侵食
も大きくなったと思った矢先。。。
がけ崩れだ!
|
|
崩れてから大分経っているようで、崩土の上からも緑
が生えてきています。
また、登山者が通るのでしょう、ちゃんと乗り越える道
が出来ておりました。
|
|
がけ崩れ現場からはこの有様!最早車など通る場所
ではございません。消えつつある獣道のような踏み分け
道をおそるおそる進みます。 |
|
隧道からおよそ300mくらい、つまり須川本流と支流が
分かれる付近がそろそろでは?と思っていた所にこのよ
うな道しるべが。
「味土野」とは、今来た須川地区を通り越した南方の地
区の名前です。かなり地味な地区の名前のような気がし
ますが、なぜかそこを目標に7kmの文字が。
スイス村とは、ここからさらに東へ、府道が点線道に変
わりながらも支流の熊谷川沿いに進み、太鼓山という山
の頂付近にあります。スキー場もあり、車では北側の
丹後縦貫林道を使うようです。
問題の須川本流に添う点線道はここから南に向かうは
ずなのですが。。。 |
|
特に南に向かう道しるべはありません。
また、踏み分け道も写真左手を真っ直ぐ(東)にしかあ
りません。そちらはスイス村のはずです。
右手は川のせせらぎが聞こえるのですが、ちょっとした
右へそれる道のスペースがあるようなないような。。。
!!ひょっとして橋が緑の中に埋まっているかも。。。
|
|
ごそごそと緑を掻き分けて川の方を覗くと。。。
!!!橋はないけど、骨組み????らしきものがあ
ります。中央のコンクリの遺構は元の橋の残骸か?
鉄パイプは補強か、橋の架設か。。。
とりあえず、このままじゃあ渡れんなあ。。。 |
|
この橋跡?は諦め、少し上手から川を見ます。
おお?
小さな瀧のように川に高低の段差があります。瀧の先
端に歩けそうな岩場があるではないですか。
写真の奥手には鉄パイプの残骸が見えます。 |
|
瀧先端の岩場から下(滝つぼ)を覗く。小さいながらも
マイナスイオンたっぷりの涼やかな空気が漂っています。 |
|
岩場から対岸に取り付き、橋跡?の場所へ戻ります。
どうも地元様でしょうか、対岸へ誘う道筋はできておりま
した。
をを!鉄パイプ製の架設橋梁の跡がはっきり見えます!
しかし、高さが怖いなこの架設橋梁。。。 |
|
その鉄パイプ橋梁の端には、石組みの橋脚がありまし
た!これが本来、かつて存在した桁橋を支えていた土台
に間違いないでしょう。 |
|
対岸のパイプ橋梁には板が架けてありました。
本当に簡易な、人が通れれば充分、という橋を架けて
いたようです。ただ、簡易ですが、この高さをパイプ
組みして橋を架けるのは並大抵ではないと思います。 |
|
さあ、ここからが酷いのなんの、点線道としてですら残す
のはどうなの?って感じの道なき道を進みます。
がけ崩れや路面崩壊を繰り返し、その度に草木が生い
茂った状態で、最早道と呼べるものではなく、地元の職人
による作業道?として、アクロバットな踏み分け道が残る
のみである。 |
|
地図から推測、あの橋梁跡から隧道まで推定600m
程度。この距離だから行く!という気になりましたが。。。
この有様が1km以上続くのであれば、ほんまに無理!
特に右手の本流須川とはそこそこの高低差があり、踏
み分け道も「プロ」仕様のため、川に真っ逆さま的な超困
難な踏み分け道も多数!危険極まりない。 |
|
大荒れの進軍。。。ひいこら言いながら辿り着いたその
先に。。。
!!!!
きたっぽい!! |
|
急激に左へカーブしつつ、隧道に吸い込まれる。。。
隧道。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
んんんんん???? |
|
ありゃああああああ??
切り通し?いや、元隧道っぽいよなあ。
実際、ここから先も調べたが隧道は発見できませんで
した。
開削かあ、残念やなあ。 |
|
3コマ前からずっと視界に入っているこの看板、何かとっ
ておきの情報が書かれてないか?と思い、じいいっと見
てみますが。。。駄目や、文字は完全消滅しています。
この隧道に関する情報はどこにも見当たりません。ネット
でも当然というか、ありません。
仮に「須川2号隧道」としておきます。 |
|
切り通しと化した隧道の真ん中から上を見上げる。
上部が少し迫り出しています。元隧道の状況証拠に
成りえますでしょうか。 |
|
反対側より撮影。
軽が辛うじて通れるでしょうか。その程度の隙間しか
ありません。車時代の隧道ではなかったのかもしれませ
ん。まさか森林軌道跡なの?情報皆無。
奥深い林道で隧道を穿たれることはかなり稀で、だいた
いが森林軌道を通すために、仕方なくコストと時間を費や
して穴を開ける、という場合が多いようです。 |
|
隧道付近にあった、三角柱。苔むしたおしですが、白い
プレートのようなものが埋め込まれており、漢数字の「七」
?の文字が。。。なんなんでしょう? |
|
元隧道上部から見下ろす。
隧道だった頃も高さはそこそこあったのではないでしょう
か。 |
|
残念ながら、隧道だった頃の写真は収める事ができま
せんでした(ここが隧道だったのかも推測の域ですが)。
それにしても以前紹介した千原隧道は、ここに形状が
良く似ています。峠越えではありませんが。あちらの隧道
は生き残っているだけに、ここも残ってほしかったですね。
ただ、千原は廃道、この須川の道は未だに使用されてい
るようなので、危険回避の処置が取られたのでしょうか。
廃道では廃隧道として生き残り、作業道では開削されて
しまった、という何とも皮肉な結果となってしまいました。 |