再訪編
2017年5月再訪
初訪問が2008年の11月。 あれから8年半もの月日が流れました。 この間何度か訪れ、2代目の閉鎖も見届けて いますが、そう言えば初代をちゃんとレポして いない事に気が付きました。 8年半前に訪れた際は坑門の真ん前にフェン スが設置され、かなり美観が損なわれていまし たが、現在は少し奥に引っ込んでいます。 しかも最近は噂によると… なので、今回はしっかりと初代の姿を観察し たいと思います。 |
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まずは西側。2代目長野隧道に会いに行きま した。 廃止されてからどのくらい経ったでしょうか。 すっかり廃隧道感が増し増しになっておりま す。 |
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新長野隧道ができるまではここが国道163号 線… 今思うと、本当に狭いですねえ。 |
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在りし日の坑門の姿を隠されてしまった2代目 長野隧道の西側坑口。 扁額だけが往時の姿を見せてくれています。 |
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折角なので、往時の2代目長野隧道の姿 を… 2008年11月のお姿です。やっぱ狭いっすよ ねえ。 で、この長野隧道の扁額は、左側に縦書き で、「三重県知事 佐藤正俊」と書いている… と思います。佐藤正俊氏の在任期間は、昭和 12年12月24日〜昭和14年3月1日までだそう です。 2代目長野隧道の竣功が昭和14年ですの で、合っていると思います。 |
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坑門から内部までモルタルで塗り固められ ています。 それにしても…素掘りでしょうか? ※東側坑口から撮影。 |
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振り返り。 こんな振り返りだったのが… ※東側坑口。 |
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こんな状態に… 良い廃感が出てきましたな。 ※西側坑口。 |
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西側にある「隧道開鑿紀念碑」 明治13年11月12日起工 明治18年6月15日竣工 |
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裏側には 賛助者と発起人の名前、明治22○○一月 建之、石工 伊賀 大澤平三などが彫られてい ます。 ○○は干支だとは思うんですが、分かりませ ん。明治22年は己丑ツチノエウシみたいですが… また、よく見る「建之」ですが、建立と同じような 意味で、読みは「これをたつ」や「けんのう」と 読むそうです。 |
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折角なので、埋まりかけの西側初代長野隧 道も見て行きましょう。 旧旧道の下を水路が通っていますが、残念 ながらBOX改修されております。 |
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初代長野隧道、西側坑口。お久しぶりです! 相変わらずの埋もれっぷりです。 |
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この水路跡は綺麗に残ってますねえ。 | |
埋もれつつもその重厚さは変わりません。 | |
内部もお変わりないようで。 要石の出っ張りがすごいですね。 今回は入りませんでした(笑) |
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振り返り。 埋もれつつも嘗ての道筋を留めています。 |
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さらに折角なんで、旧旧道を少し辿ってみま した。すると、こんな小さな沢を渡る箇所に、ま さかの物件が… |
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真ん中に見えるのは…石桁2枚!? | |
おおお…えらい薄いですが、明らかな人工 物。中を覗くと… |
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おおおおお! こんな小さな沢に石桁橋梁が架かっておりま した。廃道になっているため、そのまま残った ようですね! 意外な発見です。 |
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また別の沢です。 ここも小さな谷筋の小さな小さな沢です。 ここにもちと切石が見えています。 |
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むむむむ…これも小さいながらも明らかな 横断溝。 中を覗くと… |
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おおお…お? ありゃりゃ、土管になっています。 ここは改修されてしまったようです。しかし、1 枚は石桁があるので、石桁橋梁っすね! |
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西側から旧長野隧道方面を見ています。 斜め左に旧旧道が廃道として残っており、そ こに石桁橋梁が2本残っておりました。 旧旧道は右下に降り、対岸の川に沿って下り ます。道筋はそれなりに残っており、最後に切 石の大きな橋台が現れます。結構見応えがあ りますので、是非探して見て下さい。 それより西側は追っておりません。 西側はここまで!東側に向かいます。 |
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東側には初代長野隧道の扁額が展示してあ ります。 こちらは伊勢側(東側)の扁額です。 「補造化」 「内海忠勝書」 とあります。内海忠勝氏が三重県令をされて いたころに初代長野隧道が完成したんですね。 |
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伊賀側(西側)の扁額です。 「其功以裕」 「従三位勲四等岩村定高」 とあります。岩村定高氏も三重県令で、こちら が先代にて初代三重県令のようです。 |
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こちらは2代目長野隧道の記念碑です。 「隧道改修記念碑」 昭和十四年三月竣功 衆議院議員 馬岡次郎(間違ってたらすみま せん) さていよいよ、初代長野隧道に8年半振りの 再会です! |
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竣功から132年…今生存する人類の誰よりも年上の明治の語り部。 携わった全ての人々の遺志を引き継ぎ、大正、昭和、平成、そして近く訪れる次の年号にまでその歴史を伝えます。 時代を超えた素晴らしい構造物です! |
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総切石造りの冠木門タイプの超絶重厚な坑門です。できれば扁額は付けたままにしておいてほしかったです。 特徴は何といっても、輪石。異様に縦長の楯状迫石にそれに負けない要石。近くで見ると本当に巨大です。 |
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基本的に継ぎ材は入っていない感じがしま す。 切石一個一個が江戸切りに加工され、フラン ス積みになっているようです。 非常に緻密な組成です。 |
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本当にでっかい楯状迫石です。 見れば見る程立派な坑門です。 |
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内部側面を見ると、その楯状迫石の大きさを 改めて感じます。 |
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そして… これは厳しい… 煉瓦、切石の隧道ではよく見られる破断です。 真下への荷重には強いですが、前面へ押し出 そうとする荷重にはどうしても構造上弱くなりま す。 ここだけは補修の必要がありそうです。 |
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振り返り。 破断は側壁からアーチまで全面に広がってい ます。 大きな地震が心配です。 |
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アーチは長細く成形された切石を長手積みで 並べています。これだけの量を用意するのは大 変だったのではないでしょうか。 |
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一方の内部側壁の切石はなんか面白い模様 が入っています。 びしゃん仕上げというやつですかね。 構造上の効果はないでしょうから、装飾なんで しょうねえ。 |
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8年半前は坑口の真ん前に立ちはだかってい たフェンスは、ここまで後退しておりました。 ありがたいことです。 |
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…内部に入ります。 フェンスは乗り越えた訳ではありません、念の ため… びしゃん仕上げの綺麗に整形された切石か ら、ちょっと荒い整形の切石の内部側壁に変化 しております。 |
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切石の大きさがかなり不揃いになってきた 中、こんな斜めに切られた切石が合わされてい ます。なんなんでしょう、これ? |
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ここなんて、隙間を煉瓦で埋めています。 坑口付近は丁寧でしたが、内部は意外と…? |
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岩盤に合わせて切石も削っています。 丁寧なんだか、雑なんだか… |
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むむ?床面に切石が? | |
路肩に切石が敷かれておったようです。 側壁との隙間は水路でしょうか。 …で、またも煉瓦補修が(笑) |
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意外なほど安定した洞内。とても132歳とは思えない安定感です(いや、風格はさすがに132歳ですが…) |
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路肩の切石が丸ごと出ています。 手前はどこにいったんでしょ? |
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??? あ…あれは…退避坑!? |
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な…なんだこれは…??? 鉄道隧道ならあっても不思議ではない(という かなくてはならない)、退避坑。 しかし、ここのは完全車道隧道ですよ〜 なんと摩訶不思議な…消火設備でも入れてい たんでしょうか。 因みに何か鍵穴みたいな穴が開いています。 鍵を差し込めば、ごごごごご…って…んなわけ あるかいwww |
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切石小口面縦積みの欠円アーチになっていま す。 うーむ、本当に何だったんでしょうか。 |
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岩盤が露出し、切石はその形状に合わせて、 削れています。 床面に敷いてあるのはグアノ集め? |
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これはこれで大変めんどくさい加工ですよね。 でも岩盤削るよりは楽なんですかね。 |
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おおお!?今度は反対側に… | |
またしても退避坑? しかも今度は反対側。 車道でも、往時は照明が暗かった&徒歩通行 する方もいたのかもしれません。ので、一応退 避坑を作ったのでしょうか。(てか、明治製だか ら、車の方が少ないですかね。荷馬車かな) |
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おお!遂に崩土が見えてきました。 左手側壁から人差指ずぼっ(謎) |
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うおっ、グアノてんこ盛りです。 で、奥ではこうもりさんが大乱舞です。 あまりの大騒ぎ振りに、ちょっとこの先に行くの は躊躇われました。 |
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一応の最深部から振り返り。 三重県に眠る屈指の土木遺産。 子々孫々まで末永くその姿を遺していってほし いと思います。 |