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今年に入って3世代トンネルがそろい踏みし
たと、ピヨ吉氏よりご紹介頂いていたことを受け
今回の訪問に至りました。
長野一族の長、旧長野隧道。その開鑿記念
碑が、2代目長野隧道の傍に設置されてあり
ました。
起工 1880年(明治13年)11月12日
竣工 1885年(明治18年) 6月13日
だそうです。古いですねえ。
この碑安置場所から初代隧道への道が出て
いるわけではなく、移設されたようです。
今回の訪問では下調べはできていますので
比較的ゆとりの探索となっております。
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残っていると言えば、碑とは2代目隧道を挟
んで反対側に、初代隧道のものであろう扁額
が2つ安置されています。
記念碑と扁額2つが移設されつつも現存して
いることに驚きました。兵庫県の初代鐘ヶ坂も
たくさんの碑などの遺構が残されていましたが
ここも結構熱心ですね。 |
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扁額その2。
どちらの扁額も隧道名ではありません。 |
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まずは伊賀市側(北西側)から探索開始しま
した。初代隧道伊賀市側の最短経路はここだ
と思います。
ただし、本来の旧旧道ではなく、奥の堰堤の
工事を行うために近年造られた工事用の道と
思われます。 |
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本来の旧旧道の始まりはずばりここだと思い
ます。
ここから旧道に沿って数回くねうねを繰り返し
つつ旧道よりも一段高い場所を進みます。
で、途中から上記の工事用道のに合流しま
す。 |
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工事道までは完全に廃道ですが、道筋は結
構残っており、注意深く進めば道筋を見失うこ
とはないと思います。 |
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廃旧旧道から工事道合流地点。奥に向かっ
て、工事道が続きますが、いわゆるここも旧旧
道ということになります。 |
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工事道から旧道を振り返り。旧車道がすぐ近く
にあります。
写真右上から手前にかけてが旧旧道の正規
ルートだと思います。 |
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暫くこの工事道が続いたあと、真新しい堰堤
と小型のブルドーザーを見た後、再び廃っぽく
はないが、旧旧道らしい道に変わります。 |
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旧道が2代目長野隧道に吸い込まれる頃、
旧旧道は突然車道幅を失い、真新しい鉄製の
橋が渡される現場に辿り着きました。 |
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赤い欄干を持つ緑の鉄製桁橋。渡った先に
もう一つあります。人のみを通すための橋のよ
うです。 |
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2つ目の桁橋。手前に鳥居が。。。
すごい真新しいですね。 |
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向こう岸からは山肌を直登。先にはご神体?
を安置してそうな社?が安置されています。
上に行って見たわけではないので何とも言え
ませんが。。。 |
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2つ目の桁橋(2枚上の写真)から左(南東方
面)を見ますと、見える景色がこれです。
一見して水路のようですが、奥をじいっと見て
みますと。。。なんか見えません? |
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近付いてみますと。。。見えます!人工物が
。。。隧道のてっぺん付近が顔を出しています。 |
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振り返り撮影。堰堤もあるし、完全に水路の
様相なんですけどねえ。施工主もそのつもりで
施工したんでしょうか。 |
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初代長野隧道伊賀市側坑口です。その殆ど
が埋ってしまっています。福井の田烏隧道以上
です。扁額はまあ当然ですが、ありません。 |
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左手には水路施工付きの石積み擁壁が残さ
れていました。 |
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内部の写真を撮ってみました。
。。。うーん。田烏隧道と違って完全に埋って
いるような感じですが。。。でも、コンクリアーチ
が途中で切れてて、その上付近は見えない
なあ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ゴソゴソ |
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謎の撮影その1
完全閉塞です。どうやらコンクリは割れて脱落
してしまっている模様。煉瓦積みの石組みが
見えています。隙間全くなし。 |
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謎の撮影その2
もう多くは語りますまい。。。。。。。。。。。。 |
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結局伊賀市側はこれ以上どうすることもでき
ません。
ので、津市側に向かうことにしました。 |
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津市側坑口の場所は事前調査で2代目隧道
の上にあることが分かっておりましたので、2代
目の法面左手からすんなり登ってこれました。
実際の旧旧道は右手から登ってきたようです
が、籔がひどい状況です。 |
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でました!津市側坑門!。。。。
。。。ってあれ???
封鎖されとるがな〜〜〜〜。。。。。。
これは聞いてません。どういうこっちゃ。 |
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封鎖は非常に最近の感じがします。3代目完
成前後ぐらいではないでしょうか。設置が。
しかしながら、その坑門の重厚壮大さは変わ
りませんな。素晴らしい。
扁額はそのままにして頂きたかったですね。
埋め戻しやコンクリ封鎖ではなく、フェンス(しか
も上が開いてる)封鎖に留めた点に、施工主の
この隧道に対する扱いが分かる気がします。い
い傾向だと思います。 |
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総切石造り。
笠石から帯石までの間隔は切石2個分と狭い
が、ピラスター(石柱)はそれに比して分厚い。
要石は一際大きな逆台形のような石材を使用
しています。また、迫石もかなりでかくて長い!
1つとして同じ形がない感じのする迫石が、長方
形の切石とうまく接合しています。
うーむ、すごい。。。 |
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がっちりくいこむ要石が、坑門を揺るぎなく
支えています。がしかし、その奥のアーチ部分
との接合部分は時間の流れに耐え切れずに
ばっくり裂け目ができてしまっています。 |
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内部映像です。前半部分はかなり浸水してお
り、雨漏りもひどい状況です。奥は。。。完全に
閉塞していることが分かっています。。。 |
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隧道直前より振り返り。
最近施工がされたのか、土嚢が組まれてい
ます。隧道から流れる水が、2代目隧道の上に
降り注がないように、水路を造ったようです。 |
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なんだか、隧道内部に侵入する気にはなりま
せんで、結局入っておりません。
新規に封鎖されていたのもありますが、この
重厚壮大な坑門を見ていると、入る必要性を
感じなくなってしまいました。
このままの姿でずっとあり続けて頂きたいと
思います。 |