旧長野隧道
三重県

  

                   2008年11月訪問

 
 今年に入って3世代トンネルがそろい踏みし
たと、ピヨ吉氏よりご紹介頂いていたことを受け
今回の訪問に至りました。
 長野一族の長、旧長野隧道。その開鑿記念
碑が、2代目長野隧道の傍に設置されてあり
ました。

 
起工 1880年(明治13年)11月12日
 竣工 1885年(明治18年) 6月13日

 
 だそうです。古いですねえ。
 この碑安置場所から初代隧道への道が出て
いるわけではなく、移設されたようです。
 今回の訪問では下調べはできていますので
比較的ゆとりの探索となっております。
 
 残っていると言えば、碑とは2代目隧道を挟
んで反対側に、初代隧道のものであろう扁額
が2つ安置されています。
 記念碑と扁額2つが移設されつつも現存して
いることに驚きました。兵庫県の初代鐘ヶ坂も
たくさんの碑などの遺構が残されていましたが
ここも結構熱心ですね。 
 扁額その2。
 どちらの扁額も隧道名ではありません。 
 まずは伊賀市側(北西側)から探索開始しま
した。初代隧道伊賀市側の最短経路はここだ
と思います。
 ただし、本来の旧旧道ではなく、奥の堰堤の
工事を行うために近年造られた工事用の道と
思われます。
 本来の旧旧道の始まりはずばりここだと思い
ます。
 ここから旧道に沿って数回くねうねを繰り返し
つつ旧道よりも一段高い場所を進みます。
 で、途中から上記の工事用道のに合流しま
す。
 工事道までは完全に廃道ですが、道筋は結
構残っており、注意深く進めば道筋を見失うこ
とはないと思います。
 廃旧旧道から工事道合流地点。奥に向かっ
て、工事道が続きますが、いわゆるここも旧旧
道ということになります。
 工事道から旧道を振り返り。旧車道がすぐ近く
にあります。
 写真右上から手前にかけてが旧旧道の正規
ルートだと思います。
 暫くこの工事道が続いたあと、真新しい堰堤
と小型のブルドーザーを見た後、再び廃っぽく
はないが、旧旧道らしい道に変わります。
 旧道が2代目長野隧道に吸い込まれる頃、
旧旧道は突然車道幅を失い、真新しい鉄製の
橋が渡される現場に辿り着きました。
 赤い欄干を持つ緑の鉄製桁橋。渡った先に
もう一つあります。人のみを通すための橋のよ
うです。
 2つ目の桁橋。手前に鳥居が。。。
 すごい真新しいですね。
 向こう岸からは山肌を直登。先にはご神体?
を安置してそうな社?が安置されています。
 上に行って見たわけではないので何とも言え
ませんが。。。
 2つ目の桁橋(2枚上の写真)から左(南東方
面)を見ますと、見える景色がこれです。
 一見して水路のようですが、奥をじいっと見て
みますと。。。なんか見えません?
 近付いてみますと。。。見えます!人工物が
。。。隧道のてっぺん付近が顔を出しています。
 振り返り撮影。堰堤もあるし、完全に水路の
様相なんですけどねえ。施工主もそのつもりで
施工したんでしょうか。
 初代長野隧道伊賀市側坑口です。その殆ど
が埋ってしまっています。福井の田烏隧道以上
です。扁額はまあ当然ですが、ありません。
 左手には水路施工付きの石積み擁壁が残さ
れていました。
 内部の写真を撮ってみました。
 。。。うーん。田烏隧道と違って完全に埋って
いるような感じですが。。。でも、コンクリアーチ
が途中で切れてて、その上付近は見えない
なあ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ゴソゴソ
 謎の撮影その1

 完全閉塞です。どうやらコンクリは割れて脱落
してしまっている模様。煉瓦積みの石組みが
見えています。隙間全くなし。
 謎の撮影その2

 もう多くは語りますまい。。。。。。。。。。。。
 結局伊賀市側はこれ以上どうすることもでき
ません。
 ので、津市側に向かうことにしました。
 津市側坑口の場所は事前調査で2代目隧道
の上にあることが分かっておりましたので、2代
目の法面左手からすんなり登ってこれました。
 実際の旧旧道は右手から登ってきたようです
が、籔がひどい状況です。
 でました!津市側坑門!。。。。
 。。。ってあれ???

 封鎖されとるがな〜〜〜〜。。。。。。

 これは聞いてません。どういうこっちゃ。
 封鎖は非常に最近の感じがします。3代目完
成前後ぐらいではないでしょうか。設置が。
 
 しかしながら、その坑門の重厚壮大さは変わ
りませんな。素晴らしい。
 扁額はそのままにして頂きたかったですね。
埋め戻しやコンクリ封鎖ではなく、フェンス(しか
も上が開いてる)封鎖に留めた点に、施工主の
この隧道に対する扱いが分かる気がします。い
い傾向だと思います。
 総切石造り。
 笠石から帯石までの間隔は切石2個分と狭い
が、ピラスター(石柱)はそれに比して分厚い。
要石は一際大きな逆台形のような石材を使用
しています。また、迫石もかなりでかくて長い!
1つとして同じ形がない感じのする迫石が、長方
形の切石とうまく接合しています。
 うーむ、すごい。。。
 がっちりくいこむ要石が、坑門を揺るぎなく
支えています。がしかし、その奥のアーチ部分
との接合部分は時間の流れに耐え切れずに
ばっくり裂け目ができてしまっています。
 内部映像です。前半部分はかなり浸水してお
り、雨漏りもひどい状況です。奥は。。。完全に
閉塞していることが分かっています。。。
 隧道直前より振り返り。
 最近施工がされたのか、土嚢が組まれてい
ます。隧道から流れる水が、2代目隧道の上に
降り注がないように、水路を造ったようです。
 なんだか、隧道内部に侵入する気にはなりま
せんで、結局入っておりません。
 新規に封鎖されていたのもありますが、この
重厚壮大な坑門を見ていると、入る必要性を
感じなくなってしまいました。
 このままの姿でずっとあり続けて頂きたいと
思います。