2015年2月訪問
2015年2月の早朝。前日道の駅関宿からほど近い、居酒屋くらぞうにて宴を催した次の日でございます。 断続的に降り続いていた夕方からの雪が、気が付いてみればここまで積もっておりました。 積雪になれていない当方にとっては、これだけでもすげー!と密かにテンションが上がっておりました。 しかしながら4駆とはいえスタッドレスレス(ノーマルってことねw)なので、恐ろしくて駆け回ってみようという気には なりませんでした… おろろん氏エクストレイルは朝練に行っておりましたが… 向かって左からむねぞう氏フィット、Yori-yan氏Keiワークス、空席は未明離脱のデコピン氏フォレスター、ペッカー氏シビック 向かって右側手前がとのたま氏箱車ハイエース、見えませんがパパン氏ジムニー、私アウトバック、おろろん氏エクストレイル の計8台8名にての居酒屋でございました。 多くのご参加ありがとうございます。そして今回参加できなかった皆様も、またお誘いしますよ〜 こんだけ降られたら身動き取れませんね〜。てなわけで亀山ラーメン食べたり、関の穴をチェックしたりで、午前中は関宿に 居座り続けました。関の穴の方は加筆レポ1発放り込む予定です。 そんなこんなでいつまでも居座るわけには参りません。国道1号、鈴鹿峠越を決意致します! |
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心配していた鈴鹿峠もしっかり除雪されており、凍結 もなさそうで、スタッドレスレスでも不安を感じずに 通過できました。 で、午後の集合場所は道の駅竜王かがみの里。 ここの道の駅は探索時には使わないんですよねえ。 だってネタがない。はずでした。今までは。 東海道本線ネタならいざ知らず、隧道ネタでここに 集合しようとは正に夢にも思っておりませんでした。 竜王町でまともな山と言えば野洲市と接する鏡山 384.8m、近江八幡市、東近江市と接する雪野山 308.8m、湖南市と接する十二坊405.0mぐらいです。 それほど高い山があるわけではないのに… しかし!この三山の内の一山に今回のターゲットが 潜んでいるのです。うーむ、ありえん…。 ノーマークもノーマーク。 ノーマークすらもノーマーク(訳わからん) どノーマークです(もおええっちゅうねんw) くらいの場所なのでございます。信じ難い。 |
ピカさん先導で現場に向かう途中、ある場所で停車。ここにいぶかしい看板があるとのこと。 |
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「竜王町ふるさと歴史の森散策道ルートマップ」 竜王町正規の登山ルートマップですね。現在地から鏡山(竜王山)山頂までは約2.3kmの行程。 登山道としてはかなりリーズナブル?な距離ではないでしょうか。 ピカさんもここから山頂を目指していたようですが、ふと目にしたある表記を見てしまったのが不味かった… |
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ハイ、キタコレ。 中央付近に見える「隊道跡」の表記。 よくある誤表記。要するに「隧道跡」ですな。 こんなものを見てしまったら見に行かなくてはしょう がない。それが穴マニアの宿命。ですよね、ピカさん! そうそう、その通りでピカさんは山頂から鳴谷池に 下り、しっかり隧道跡をチェックして頂きました。 本来、「跡」ですから、しかも滋賀県、しかも竜王町。 そんな隧道なんて残ってるはずないやろ!ってな思 いが先に立ちますが、よく確認してくださった! この外してナンボの精神こそが…。 滋賀県初の素掘り隧道 を発見するに至るのである! ある所だけに行くのではなく、ないことを確認しに行く 行動こそ穴リストには重要なのだ!!!(←www) |
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で、やってきたのは先程の大谷池ルート(約2.3km)ではなく、希望ヶ丘(リッチランド)ルート(約1.6km)です。 地図で見ても延長で見てもここが最短距離です。実際ピカさんはここを降りてきて、車道をひたすら戻ったようです。 お疲れ様でした… その事前調査の甲斐あって、我々は何不自由なく現場へ向かうことができます。 今回、歴史的瞬間に立ち会っていただけたのは、居酒屋から引き続き参加のYori-yanさん、ペッカーさん、とのたまさん、 パパンさん、おろろんさん、私の計6名。と、案内人のピカさん、そしてクイックさんが合流し、合計8名となりました。 横浜や浜松が混ざる異様な車両が集団駐車。怪しさ全開です(笑) |
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閑静な住宅地。車両の向こう側は公園となって おります。 明らかに場違いな車列ですね〜 |
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善光寺川の支流河川に沿って伸びる未舗装路。 これがリッチランドからの登山道の始まりとなります。 大谷池ルートにもあった案内板は、もっと手前にあ りました。 |
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昼前まではここ、竜王町でもかなりの降雪があった そうです。この辺りではこのぐらいの積雪は珍しい そうですねえ。 |
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道は砂防ダムを巻くように左に。 | |
堰堤の横をすり抜け。 地蔵谷都市対策砂防ダム 堤高7.0m 堤長103.3m 貯砂量20700? 完成年度 平成元年11月 滋賀県八日市土木事務所 だそうです。 |
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車道はこの堰堤までで、ここからは純粋な登山道となります。 |
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登山道としてしっかり整備されている感じがします。 積雪があっても路盤の不安はありません。 |
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途中最もガレていると思われる区間。 川筋と登山道が混在しています。 が、足元に注意して歩けばどなたでも歩くことは 可能と思われます。 勾配もそれほどきつくないですしね。 |
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途中にある面白い足場。登山道で平丸石のステップとは… 現場で加工するってことはないでしょうから、ここまで運んできたんでしょうねえ。えらい大変な… ここまでの道のりが結構平坦勾配なんで、小型の不整地運搬車でも持ち込んだのかもしれませんね。 しょいこで人力とか…拷問ですなw |
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面白いのがこれ。皆さん、どう考えます? うーむ、ハイカー同士の離合ポイント?ですかね。いやあ、至れり尽くせり(?)ですなあ。 この先にも離合ポイント?が見えてます。 |
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さらに。おおお、なんと手の込んだ… しかし降雪があると地味に滑りそうで怖いんですが… 因みにこの足場の手前に石桁橋がありました。まさかの写真スルー… |
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恐る恐る渡ります。 で、よく見ると…シングルトラックが何本か見えませんか!?左右の轍もそうですが、木橋の上にも…??? 実は車両の入れない登山道に入ってからずっとシングルトラックは確認できておりました。 どうやらバイクで登ってるみたいです。しかも今日ですな! しかしよくこんな木橋バイクで渡りますなあ。そのテクニック凄い… |
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その後も緩勾配の登山道が続き、この平丸石の 足場も結構な数が出てきます。いやあ、大変で地道な 作業お疲れ様です。 木製の階段はよく見かけますがやはり風化が早い ですし、鉄塔巡視路でよく使われるプラ製の階段は 風化はしないし軽くて運びやすいですが、土質の影響 を受けて流失しやすいデメリットがあります。 この平丸石ならそうそうは崩れないでしょうから いいんでしょうね。まあとてつもなく重いですが(笑) |
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平板の木橋などを渡りつつ、どのぐらい来たでしょうか。周囲を見回すともう高い山が見えません。 本当にこんなところに隧道なんてあるの???てな場所です。遠州ならいざ知らず、滋賀県ですよ!? と、ここで案内板が出てきました。先が鳴谷池、来たほうが希望が丘団地です。 |
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そして…あの案内板を境に向かって右側に異変が… 登山道は最後の駆け上がりをしようというところ、右手は逆に掘り割りを深くしていきます。 これはかなり怪しい! |
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登山道はもう少しで切り通しの峠に達します。鏡山の頂上はまだまだ先ですけどね。 一方、右手の掘割は山塊に遮られます。このパターンは典型的な"ヤツ"の居る証です。 そして…お?なんかありますね。 |
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く ず し 薬師石出し道隧道 おおお!いきなりのネタバラシ!ありがたいこと です。しかし隧道が遂道に…隊道の次はコレっすか… 1923年(大正12年)頃、鳴谷池上流の石切場から 希望が丘までの道を付けたそうですね。石材を搬出 する上で唯一と言っていい難所がこの峠。荷車で搬出 というんですからそれは大変だったことでしょう。 その負担を軽減すべく、1928年(昭和3年)頃から2年 掛かりでトンネルを掘ったそうです。 戦後には使われなくなり、1948年(昭和23年)頃には 鳴谷池の造成のためにあろうことかトンネル西側を 掘削して崩してしまった模様です。 勿体ない!!!でも半分残ってる、と…うむ。 |
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看板の脇から掘割を覗いてみると… おおおおお…なんとか開口している! 半ばハズレを覚悟し、ないことを確認の為に訪れたであろうピカさんの目に飛び込んだこの映像は、それはそれは狂喜するに あまりあるものだったことでしょう!ああ、羨ましい! しかし、開口を知っていてもこの映像はぐっときます!ピカさんに感謝! |
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パパンさんが用意してくれたスリングでロープを作ってもらい、掘割に降り立ちます。 おおおおおおおおおおおおおおおおおお…いい!この雰囲気、ぞくぞくします。 しかも地下壕とかの坑道ではなく、列記とした隧道の坑口!これが興奮せずにおれますか! 皆が降りるのも待ちきれず中を見下ろします… |
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うおおおお!いい!外からのぱっと見では開口は僅かのように見えましたが、見下ろしてみるとかなり大きく開口 しています。しかもかなり安定した洞内のようです。 もうガマンできん!わき目もふらずに突進だああああああ! |
苔生した 水面に映える 矩形隧道(字余りw) 全身に鳥肌が立ちます。び…美麗だ… やはり素掘り…しかも矩形クケイ断面!これは超レアです!!! |
奥のブツは置いといて、ますこの手前の矩形洞内の分析を… おろろん氏によれば、花崗岩のようです。手で触れると大粒の砂状にバラバラ剥離します。 花崗岩が風化するとまさ土となり、隧道掘削には非常に不向きな土質になります。 遠州の素掘りと比較してもかなり異質な感じです。関西の素掘り隧道は紀伊半島南部でよく見かける岩盤に穴を開けた ような物件が多く、こういった花崗岩に穴を開けている例は私の知る限りありません。 よくこの状態を維持しているものです。床面も固くしっかりしており、花崗岩のままの床面と思われます。 本当に奇跡的な隧道です。 |
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少し進むと矩形断面が少し崩れ、やや掘りあがっています。 ここにきて崩れた跡も見受けられます。崩れた土を見てみると、やはり岩盤が剥離した瓦礫というよりも、花崗岩が 剥離してまさ土化した、砂状の堆積物になっています。 やはり隧道にとってはかなりやばい地質のようですな。 |
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そして!放っておいた奥のブツ。 なんと切石側壁にコンクリートアーチで構成された、覆工フッコウ、です。 側壁だけですがまさかの切石仕様です。 |
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欠円ぎみのコンクリートアーチ。 切石の方は一応平積み体にしていますが、加工が荒く不揃いです。 この側壁は、鳴谷池上流から切り出される石で造られたのではないでしょうか。 できれば、アーチ部分も石積み頑張って頂きたかった! |
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こんな感じです。ざっくり4段積みみたいですな。 |
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コンクリートアーチが先に終わり、側壁だけが先に続きます。 そして…隧道の終焉が直ぐそばに… |
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まさ土の吐き出しにて完全閉塞。 見事にさらさらの砂です。こんな土質に素掘りの隧道がおよそ85年間も耐え続けているこの事実… あの阪神大震災では京都市から彦根市にかけて震度5であったといいます。ここ竜王町でも同等の揺れが推定 されますが、それでも崩壊には至っていない…この事実はどう考えたらいいのでしょう。 まあどうあれ、こうして今でも我々にこの姿を見せて頂けることに感謝! |
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未練がましく奥の奥まで覗いても、閉塞は閉塞です。 まあ、看板に書いてある通りですね。 |
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最深部より振り返り。 こちら側のコンクリアーチ上部も少々掘りあがってますな。 |
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続々と仲間たちが入ってきます。 皆さんのライトの光量が日増しに増強しており(とくに おろろんビームw)、洞内の明るさがハンパではござい ません。 かくいう私もネットで4000ルーメンのヘッドライトを 3200円という有り得ない安さで購入しました。 でもおろろんさんのお高い1800ルーメンの方が光量 がある気がします。やはり値段相応ですな。 まあ、以前使ってたのは250ルーメンなんで、十分 明るさアップです。このぐらいの洞内ならフラッシュなし 撮影が実現しました。 因みに正面のクイック氏にドス黒い三連星の写真を 撮られてしまいましたw |
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皆、思い思いに隧道の鑑賞をしています。 その数実に8名!こんな人数が一気に洞内に入った のは何十年振りでしょうかねえ。 |
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引き揚げ開始。 あ、因みにコンクリートアーチ内の実測(パパンさんのレーザー距離計にて計測)は、幅約2m、高さ約1.8mくらいだったと 思います。荷車を通過させるだけだったら余裕の口径ですな。 |
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再び奇跡の覆工。うーむ、何度見ても秀逸。石アーチだとなお良かった! |
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こちら完全素掘りの矩形隧道。こうしてみるとややアーチ状になってる、かな(いまさら!?) 水没しつつも85年間耐え続ける花崗岩隧道!素晴らしい! |
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坑口前はかなりの土砂が覆っています。 隧道内に入り込んでいないのが幸いですな。 |
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最後にもう1枚。 うーむ、やっぱり矩形隧道ですな。(どっちやねんw) どちらにしても最高級の素掘り隧道です! |
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隧道から伸びるはずの掘割はかなり埋没してしまっ ています。 隧道の方が強いですな。 |
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登山道に戻ってきました。 峠はすぐそこです。隧道との高低差はそれ程なく、 ただの山越え街道とかなら絶対に隧道にはならなかっ たことでしょう。 |
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峠です。 右側にバイクの轍がありますな。 で、左の階段、無駄に上に取り付いてますな… 恐らく、右側の方が削れて掘り下がったのでこういう おかしな状況になったものと推察します。 |
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で、これが鳴谷池側の坑口、跡です。 完全に埋没してしまっていますな…なんでも鳴谷池造成時に削ってしまった、とのこと。 何故にわざわざこの場所を削ったの!?勿体ない〜 …しかし、洞内のあの埋まり方を見ると、無性に貫通させてみたくなります。 やらんけどな! ほんまにできてしまいそうなんでね… |
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右側が登山道、左側は掘割です。 改めて見るとよくわかりますねえ。 |
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で、すぐ眼前は鳴谷池となり、道は池沿いに左右に 分岐します。 |
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隧道方面を振り返り。 隧道方面が「薬師希望が丘下山方向」 左が「鏡山山頂散策道」 右が「鳴谷渓谷 竜王インター」 方面となります。 |
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で、鏡山山頂方面に少し進むと、まさかのエクストラ ステージが! |
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なんじゃこりゃ!? 水 没 東 屋 !? ななななな…なんでこんな状況に!? 視線の先に沈下(済み(笑))橋と道の続きが…これは異常事態なのでは!??? しかしこれがそうでもないようです。ちゃんと「冠水時の迂回コース」というのが設定されており、公式に迂回路が存在します。 水没想定内の登山道?と東屋???こんなの見たことありません。 設計者ナイス! ちなみに東屋は四阿(アズマヤ、シア)とも言います。「阿」は棟の意味で、四方に軒を下した「寄棟ヨセムネ」、「宝形造ホウギョウヅクリ」 などの屋根を持つ建造物を意味します。(ウィキペディアより) これは宝形造の四阿ですな。 |
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東屋までは長靴でなんとか辿りつけますが、あの沈下(済み)橋にはぎりぎりで届きません。 むきーーーー!!!そうなると無駄に無性に無意味に何が何でもあの"済み橋"の上に立ちたくなります。 てなわけで反対側に回ってきました。 こっちからならどないや! |
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こっちがわも絶妙に無理!むきゃーーーーー!!! 左に浮いている木は足場にしようと投げ込んだもの。そりゃ浮くわなwww 石を探すもここら辺に何故か手ごろな石がない。切石出しの道なのに! そうやってピカさんともちゃもちゃやっていたら、この男が動き出した…まさか…やんのかアンタ!? |
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2015年 浮く男 済み橋が見えるのでちと残念ですが、コノオトコタシカニウイテオル! 1月の寒空になんとことしはるんだこの静岡県民は!そら冷たい、フラミンゴのように片足を浮かさないと居てられんでしょう。 |
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遂には先まで辿りつき… |
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渡り切ったのでありました。 滋賀県野洲市の菅原神社に火渡り神事というものがありますが、隣の竜王町でまさかの寒中水渡りの神事を執り行う 者が居ようとは!ペッカーさん、あんた今悟りを開いたよ… いやあ、素晴らしいエクストラステージでした! |
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最後に。これが希望が丘(リッチランド)側の案内板です。 恐らく竜王インター側にも同様の案内板があるのではないでしょうか。 それにしても… 素晴らしい!滋賀県初(うちら仲間内比)の素掘り隧道がなんと2015年に至っての大発見!!! ピカさんの功績が素晴らしい!感謝感謝です。 薬師石出し道隧道 1930年(昭和5年)頃竣功 今、しっかりと滋賀県隧道の一群に記されることとなりました。 末永くその姿が保たれることを切に願います。 とのたまさんのレポートはこちら クイックさんのレポートはこちら |