旧国栖隧道

奈良県



  

                   2015年7月訪問

 奈良県吉野郡吉野町、県道262号(国栖大滝線)に
ある何の変哲もないコンクリートトンネル。
 その名は国栖トンネル。「くず」と呼びます。
 この辺りの地名ですが、厳密にいえばここは南国栖
地区です。国栖地区は吉野川支流の高見川を挟んで
北側にあります。
 ちなみにこれは北側。
 こちらが南側。
 「くずの里」と書かれています。
 実は国栖の里観光協会というものがあり、吉野手漉
き和紙や吉野割箸など、ものづくりの里として積極的
にアピールしています。
 協会のホームページはこちら

 
 で、議論を呼んでいるのがこのバス停の表記。
 「南国栖隧道口」となっています。
 確かにここは南国栖地区。バス停の表記ももっとも
なはずなんですが、何故かトンネル名は国栖。
 どっちが正しいの???
 それとも…あえて古来からの呼び名「隧道」を使う
ってことは…旧隧道がある!?みたいな噂が以前から
ありました。
 ここで登場する全国道路トンネルリスト。
 ここでは「ミナミクズトンネル」となっています。どちらにせよ
扁額が間違っている可能性が高い気がしてきました。
 「南国栖トンネル 1975年(昭和50年)竣功 
 延長73m 幅員8.4m 有効高5.0m」

 ということになるのではないでしょうか。
  
 そして追い打ちをかけるように隧道データベースで
は…「南国栖隧道 1913年(大正2年)竣功
 延長68m 幅員3.5m 高さ3.5m」

 これが旧隧道を噂される最大の要因です。
 大正2年と昭和50年が存在する…となれば旧隧道は
必然的にある!ってことになりがちですが、実はそうと
も限らんのです。困ったこと(?)に拡幅改修って結構
あるんです。竣功が2つ存在しても結局1本しかない例
は結構あります。
 てなわけでグレー隧道だったんですが、巨匠旧道
倶楽部様が記事に取り上げたことで旧隧道の存在が
確定しました。その後、クイックさんがレポを上げられ
るなど、旧隧道が日の目を見る時がやって参りました。

 因みにスマイルバスはコミュニティバスで、吉野病院
を起点にした様々な地区を結ぶバスとして機能してい
るようです。
 

 場所をご存知のおろろんさんの誘導で北側からアプローチします。
 民家脇の私有地のような雰囲気を登ります。
 山に向かう細い道。
 その道すがら、こんなものが。
 これは木製電柱でしょうか。街灯も付いていたんで
はないでしょうか。
 途中にある…?
 何かを祀っているようですが…

 北側からは例のブツは確認しづらいということで、旧旧道の尾根越えをして南側に回ることにします。
 この旧旧道、ある程度整備されており、いまでも現役の雰囲気を維持しています。明治期はこの道を多くの人が行き交いしていた
んでしょうねえ。

 ここにも電柱が。なんと電線も残っています。

 歩いて5分程度で峠に到達しました。
 峠は切り通しになっていました。その手前にお地蔵さんが祀られています。今でも手入れされている感じがしますね。
 どうでもいいですけど枯れ木がおろろんさんに当たりそうです。
 どうやらさっきあった電線一本で支えられているようです。
 祠が3基。
 中にはお地蔵さんがいらっしゃいます。

 それでは南側に参りましょう。
 枯木…怖いな…祠の横に街灯がありますが、通電しているんでしょうか。
 このままだと切れちゃいますよ〜

 尾根の南側に入った途端、一直線に下っていきます。これは意外な線形です。

 ひたすら真っ直ぐ下る旧旧道。途中で鋭角に曲がる道が出てきます。
 写真だと見分けにくいですが、手前に向けて道が分岐しています。 

 ちょっと進んで振り返り。
 こういうことになっています。先程下ってきた旧旧道が右側。そして左側の道は旧道ということになります。
 ここから手前は勾配があまりない状態です。

 この角度だと旧旧道と旧道の勾配の差がはっきり見て取れます。
 そして…旧道の奥に怪しい影が既に見えてますよお〜

 どちらの道も廃道然とはしていないところが凄いですね。

 さあ遂に現れました。奈良県ではかなり久しぶりの当方初訪問廃隧道です。


 旧南国栖隧道 1913年(大正2年)竣功 延長68m 幅員3.5m 高さ3.5m
 
 これが旧道データベースの資料です。幅員、高さはまあいいとして、延長はちょっと疑問点ですね。
 現役の国栖(南国栖)トンネルは延長73mで、その差は僅かに5mです。この隧道はとても68mもあるようには見えません。
 ので、大正2年竣功の隧道が果たしてこれなのかもはっきりしません。ただ延長だけが間違っているのかもしれませんが…

 因みに隧道上部でうんこ座りしているのはひろきさんです。そしてその部分が旧旧道のサミット…
 ちょっとしか勾配を緩和してませんな…。一応これは荷車道として開設されたのでは、ということなのでこの僅かな勾配差でも
当時の人々としては助かったのではないでしょうか。
 その隧道の左脇にある切り込み。
 これは旧旧道に鎮座するお地蔵さんの新しい安置
場所として穿ったのではないでしょうか。
 現道トンネルが開通し、この隧道が使われなくなった
今、また旧旧道に戻されたのではないでしょうか。
 或は安置されるに至らなかったのでは…そんな気配
も感じます。
 

 改めて旧国栖(南国栖)隧道の東側坑口です。本当に僅かな距離、そうまでしても欲しかった勾配差、ということでしょうか。

 内部です。完全素掘りの洞内。岩盤を刳り貫いただけの武骨な隧道です。
 しかしどうも見ても68mはありません。この辺りをどう考えるかですが…
 振り返って南側坑口。
 中央の一本がいい雰囲気です。
 変わって北側坑口です。
 人物比較としてむねぞうさんとおろろんさんに…
 北側はかなりいびつな形をしていますねえ。
 もう少し近づいて。
 切れ上がりがすごいですね。後年掘れ上がってこう
なったんでしょうか。

 全体的にかなり掘りっぱなしの荒いままの洞内です。
 見る限りやはり車道以前の荷車道隧道ってな感じです

 こちらが北側の坑口です。旧旧道のサミットは見えません。こちらの方には旧旧道はきてないようです。

 少し引いて。
 道は隧道を出てからすぐ下りに入り、左に折れるようです。
 南側と違い随分と余裕がないですな。

 このような感じです。かなり無理な線形ですな。車道だとかなり無理があります。
 右手の擁壁に石積みが残っています。
 角を保護するかのように石積みが。
 細かい施工です。

 そこから先は…残念ながら道筋を追うことはできませんでした。旧旧道は残っているんですがねえ。
 それが未成道=未成隧道なのでは?と少し思う理由です。
 現行トンネルが造られたころに旧道が切り崩された可能性もありますので、何とも言えませんが…
 
 関西圏で久しぶりの旧道廃隧道を拝むことができました。もう本当に関西圏では隧道が発見されなくなってきました。
 辛うじて坑口が残る深霧隧道と、大台ケ原方面に少し残すぐらいか…
 他に、未だ眠る車道隧道はまだあるのでしょうか…