旧九度山発電所導水隧道橋梁群


和歌山県


  


                                                   

             2010年6月、2012年1月、2016年1月訪問


 ※写真は2012年1月のものです
 九度山町のホームページによりますと、岸和田の事業家である寺田元吉の協力により、1909年(明治42年)、
寺田を社長とする
和泉水力電気株式会社が設立されました。
 同年に工事に着手、その2年後の1911年(明治44年)には九度山から県境を越え、岸和田までの送電が実現
しました。その後、南海電鉄に合併され、1953年(昭和28年)7月18日の、県下全域を襲った大水害の被害に遭い、
その歴史を終えました。
 その九度山発電所の建屋遺構と思われる基礎部分が、眼下の不動谷川沿いに見ることができます。
 場所はこちら


 ※写真は2012年1月のものです
 よく見ると煉瓦構造物も見えます。
 この建屋が大水害により甚大な被害を受けたということでしょうか。
 確かに場所が川に近すぎですよね…
 
 で、水力発電所ですから、当然導水路があるわけで、私の主目的もそちらになります。
 6年前からちょこちょこ遺構を断片的に見ていたんですが、最近になってmt.tellさんところのサイトで隧道群が
紹介されていました。なにー!隧道1本は確認していましたが、そんな複数あるのか?!
 こりゃあ本格的に捜索せんといかん!ってなわけで、2016年新年早々宮川さんと探索に参った次第であります。

 ※注釈ない写真は2016年1月のものです
 こちらがこの九度山発電所の遺構群で最も有名な水路橋。場所はこちら
 巻厚4層の半円煉瓦アーチ。一段上の胸壁部分が水路土台、最上段が高欄兼水路本体ということになります。
 高欄には雁木の装飾があり、かなり立派な造りを留めています。

 内部アーチは少し段状になっている珍しい構造を有しています。
 
奥に見えるのは南海高野線の大師16号橋梁です。あちらも煉瓦アーチ。

 ねじりまんぽとも異なる稀有な構造。これもまた素晴らしい芸術品です。

 ※写真は2010年6月のものです。
 最上段の装飾。切り込みがありますね。

 ※写真は2010年6月のものです。
 上部の水路部。結構な広さを有しています。

 ※写真は2010年6月のものです。
 橋梁の上は簡易な沈砂槽だったのでしょうか。それとも後付けコンクリ?
 この水路跡からは後に侵攻に活用します。
 その前に…

 これも有名な遺構の一つ。崖っぷちに開く謎の煉瓦構造物。
 場所はこちら

 これこれ!最終目標はあそこから「こんにちは」することです。
 先程の場所からここまで来れるのか!?そこが問題ですが…

 しかし見事な坑門です。3層巻き立ての煉瓦欠円アーチ。立派な要石も付いています。
 ピラスターがあり、笠石部に櫛歯の装飾も備えています。気合い入っています。


 さあ!ここから顔を出すことを夢見て、まずは発電所方面の導水路から探索に着手します。

 場所は、不動谷川傍にある発電所遺構の南海高野線を挟んだ真裏です。
 ほぼ間違いなく発電所関連遺構と思われますが、何がどうなってるんでしょうか。
 単純に考えて、元々高野線下にあったアーチ暗渠を、発電所廃止に伴い、煉瓦で蓋をした、という所だと
思いますが…
 しかしながらアーチ環の状態が気になります。ねじりまんぽ特有の斜め積み。
 さらには坑門が軌道よりも上に出ています。何だったらアーチ環も軌道より一部上に出ています。
 謎の多き煉瓦アーチです。
 で、持論ですが名称は「大師第14号橋梁」ではないかと。
 この橋梁の北側、九度山駅のすぐ北にある煉瓦アーチは「大師第13号橋梁」と呼ばれています。
 さらに南側、先程の水路橋に並行する煉瓦アーチが「大師第16号橋梁」と呼ばれています。
 では、「大師15号橋梁」はどこに???これに関しては現在も分からずじまいです。

 冬枯れもあって全容が視認できます。
 うーむ。ますます謎のフォルム…
 下部に穴が開いています。 

※写真は2012年1月のものです
 見事な斜め積みです。

※写真は2012年1月のものです
 2011年(平成23年)7月28日に検査が入っ
ています。初めての探索の時にはなかった
ことになります。(その時はここは知りません
でした)

※写真は2012年1月のものです
 坑門の下にはこのようなコンクリの丸い穴
が。
 なんだこりゃ?

※写真は2012年1月のものです
 斜め下に急激に下っています。
 そう、発電所方面に。因みに降りてはおり
ません。
 ここがちょうど水圧鉄管の場所だったのか、
廃止後に穿たれたのかは不明です。
 しかし上部水槽のスペースがありません。
 上の煉瓦アーチ部が余水吐きだったのかも
しれません。

 ※写真は2012年1月のものです
 コンクリの丸い穴から振り返るとこの狭さ。
 右側は高野線の敷地。左側の新しい擁壁は後年もので上は道路になっています。

 ※写真は2012年1月のものです
 更に進むとこのような構造物が現れます。画像右奥からやってきました。
 この構造物は?
 

 ※写真は2012年1月のものです
 内部は行き止まりです。想像ですがここが上部水槽だったのではないでしょうか。 

 ※写真は2012年1月のものです
 この真下に水圧鉄管用の穴が開いてるのでは…?なんて想像しますが…

 ※写真は2012年1月のものです
 水路手前が一段上がっています。つまりこういうことでは?
 カーソルオンで下手くそな描画をしています。 

 ※写真は2012年1月のものです
 今はコンクリートで覆っている箇所がありま
すが、元々は煉瓦構造物のようです。
 外側は煉瓦になってます。

 さあ、この先の水路に例のブツが眠って
いるんですよ。そこに向かいましょう。

 2012年1月は先程の上部水槽?遺構までしか探索しておりませんでした。
 まさかその先にこのようなものがあろうとは…

 まさかまさかの煉瓦アーチ隧道登場!!
 場所的に完全にノーマークでした。
 
 土被りがあまりなく、シェッドぎみの隧道。なのに巻厚は4層もあります。
 過剰ぎみな気がしますが…
 しかしなんだかやたら丸い隧道ですな。
 下部はコンクリ補修を受けています。
 剥がせばオール煉瓦の隧道が現れると
思います。

 おおおお…
 素晴らしい。こんな遺構が残っていたとは…
 やはり被害を受けたのは発電所のみだったんでしょうねえ。綺麗なもんです。
 振り返り。
 水路が狭まってますが、これは線路用地
拡張の為と思われます。
 発電所廃止後の所業かと。

 アーチ部の亀裂が気になりますな。
 土被り少ない割りに4層巻の理由がここにあるようです。

 反対側までやってきました。
 こちらはかなりぐちょぐちょです。

 振り返り。
 やはりずっと亀裂が入ってますね。

 呑口側の坑門です。
 で、名称ですが「九度山発電所現存第6号隧道」と致します。
 取水口からの付番ですので、数がネタばれですが…。なんと、あと5本もあります。
 現存、というのは、先程の「こんにちは」坑門から取水口までの隧道の有無が不明なので、そういう名前を付けさせて
頂きました。宮川さん計測で、径間2.73m(9尺)、内高約2.15m

 アングルを変えて。日差しで白飛びしてます…
 水位が計測できるようになってますな。

 かなり損傷が激しいですな。
 土被りは少ないですが、山側からの偏圧力が酷いようで、線路方面に押し出されているようです。
 真上からの圧力には強いですが、片側からの偏った圧力には弱いようです。線路方面に土被りがないのも要因
ですな。

 九度山発電所現存第6号隧道から先はすぐにこのような姿に。
 どうやら元々の水路は封鎖された模様です。
 封鎖はされたものの、山側からの水は今
も受け入れているようです。
 なんとそこにも煉瓦が使われていました。
 ということは水路が現役の頃からの構造物
と判断できます。
 沢水も発電所用の水に流用していた模様
です。
 しっかり煉瓦で流路が造られています。
 うーむ、芸が細かい。
 ここからは線路敷きが真横になってしまい
ます。
 そして水路は暗渠に。
 このまま水路は線路を暗渠で横断します
が、残念ながらBKです。
 大師第15号橋梁はどこだ〜

 幸先よく隧道1本目を確認できました。
 この後、どんな隧道の姿をみせてくれるのか。

 以降、 
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