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少し前の写真ですが。。。こちらの隧道は、国道
27号線の現役隧道である「青葉隧道」です。
「tunnel web」様のトンネルリストでは、
竣工 1956年(昭和31年) 延長343m
有効高4.5m 道路幅7.1m
一方、「山形の廃道」様の全国隧道リストでは、
竣工 1955年(昭和30年) 延長344m
限界高4.5m 幅員7.0m
です。
で、現地の青看、扁額、銘板から得られる情報
では、
竣工 1956年(昭和31年) 延長344m
です。
多少の誤差はあるものの、みなこの隧道のことを
言っているといって間違いないでしょう。
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地図を確認すると、この青葉隧道の旧道と思しき
点線道があり、「吉坂(きちさか)峠」という表記もあ
るため、この隧道以前の旧隧道の存在など疑う余
地もありませんでした。
ところが今回、ピカ氏に情報提供を頂き、慌てて
地図を見直したのでありますが。。。隣には鉄道の
吉坂トンネルも通っており、どこに旧隧道の余地が
???という場所なのです。
で、ネットでブログ様の間でも疑問が噴出してい
るのが、この旧隧道の竣工年度です。
全国隧道リストでは、
竣工 1955年(昭和30年) 延長201m
限界高4.5m 幅員7.8m
(青葉隧道名で記載。青葉が2件併記されてます)
なのです。
延長から判断して、この201mのが旧隧道のはず
なのですが、344mの方が1年早い竣工???
しかも幅員も80cm長いです。
さっぱりわからんです。
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そんな中、ネットから福井県史年表というものの
中の記載に。。。
「1950年(昭和25年)9月30日 国道35号線の
福井・京都県境に吉坂隧道完成(福井県土木史)」
(35号線は旧指定)
という内容があります。
土木史からの情報であれば信憑性が高いと思い
ますが、それでも現青葉隧道竣工が1956年と、差
が6年しかなく、謎が謎を呼んでおります。
さて、何はさておき取り敢えず現場視察でござい
ます。写真は京都府側です。右手のくさむらに轍が
あり、そのまま倉庫に至るわけですが、その倉庫
の脇、そのさらに奥に広い空間が見えます。
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広い空間は。。。緑に埋め尽くされております。。。
ここにブツが潜んでいる。。。という前情報がなけれ
ば決して緑の海に漕ぎ出すことはなかったでしょ
う。 |
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夏が過ぎたとはいえ、本日も夏日です。衰えつつ
あるがまだまだ厄介な緑っぷりです。
くもの巣に注意しながら漕ぎ漕ぎします。 |
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現青葉隧道に寄り添いつつ進んだのですが、広
い空間の最深部に。。。出た!
白っぽいかべが目の前に現れました! |
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少し視線を右にやると、その大きな口が。。。
相当埋まっているらしく、立っている位置が坑門
の半分ぐらいのトコロです。 |
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全景は草木の威力が凄まじく、撮影できませんで
した。扁額が見えます。 |
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扁額は隧道名ではありませんでした。残念。
「松(?)洞」真ん中が判別できません。
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洞内に進入。。。あっっっという間に閉塞現場が
。。。こりゃあすごい。。。
洞内は半分埋まっているようですが、やはり幅員
7.8mというのは納得できます。 |
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こ、これはひどい。。。
頑丈なイメージがあるコンクリ隧道ですが、こんな
割れ方をするとは。。。
1950年にこの吉坂隧道が開通したが、こういった
致命的な、復旧不能な崩壊をしたがために(あるい
はその予兆があって)急遽青葉隧道が掘られたの
ではないでしょうか。幅員も、吉坂は7.8mで造られ
たが、時間的か予算的か地質的かの要因で青葉
は7.0mで掘られたのではないでしょうか。
で、1956年に現在の青葉隧道開通、吉坂隧道は
放棄された、と。。。
こんな仮説いかがでしょうか? |
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洞内より京都府側を望む。
やはり、ほかの廃隧道たちよりも一際大きな
お口をなされておられます。
昭和25年竣工とすれば、当時相当大きな幅員で
はないでしょうか。(だから問題が発生したのかも
。。。?) |
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亀裂は至るところに入っています。この幅員の
アーチだし、崩壊は近いかもしれません。 |
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で、福井県側なんですが、相当探し回りましたが
発見できませんでした。ネット上でも発見の報はな
く、埋め戻されている可能性が高いのではないで
しょうか。
よととなりの吉坂隧道福井県側坑口の想定地は
ここです。現道の傍にありすぎるため、法面強化の
意味合いも含めて埋め戻されたのではないでしょう
か。延長201mで、福井県側が延長344mの青葉
隧道よりも奥にあることから、距離的にも一致しそ
うな感じがします。 |
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一応吉坂峠にも行ってみました。法面石垣など
見所が残りつつ完全に廃道になっておりました。
ただ、やっぱり吉坂隧道への足がかりは見つけ
られませんでした。
残念です。。。 |