神原隧道


岐阜県


 


                        2009年9月初訪問
             2019年8月再訪

 またしても懐かし物件です。
 初訪問は2009年9月。ほぼ10年前です。
 岐阜県飛騨市は県道75号(神岡河合線)、古川町
太江と神岡町柏原の間にそれはあります。
 越中東街道である国道41号線の南方を並走し、2次
ルートのような存在となっています。
 ただし、かつてはこちらの方が越中東街道だったそう
で、国道の方は新道ということになりますかね。
 ここに今も地理院の地図に残される神原トンネルの
旧隧道、神原隧道…
 東側に神原峠の今昔という案内板が掲げられていま
した。


 歴史が詳しく分かります。明治の中頃に越中東街道
として荷馬車を通す旧旧道があったんですねえ。
 大正13年に、これからご紹介する神原隧道がある、
と…
 県道75号線から分岐するのは林道神原・数河線であ
り、旧道は目線の先…すでに廃道となっております。

 この看板は旧道を示すものでしょうか。県道と林道、
そして旧道…。まさか旧旧道のことではないでしょう…
って、旧旧道ってドコなんだろ?現地ではそちらに目は
行かなかったです…
   2009年9月の初訪問時の旧道入り口です。
 それ程大差はないですが、林道の木製標識はなかっ
たような…
 東側からのアプローチ。
 廃道となった、町道神原線(と思われます)。ここはア
スファルトがまだ残っています。
 少し行くとそのアスファルトは途切れ、盛り土と植生に
阻まれます。
 高さ制限3.5mの標識が寝込んでおりました。
 盛り土と植生を乗り越えてさらに奥へ…
 大きなヒノキの倒木奥に金網のフェンスが見えます。
 これは…
 坑門上の落石防護柵でした。
 こちらの坑門はコンクリート製ですが、この隧道の坑
門は元々煉瓦製です。改修されたのか…
 坑門は…ほぼ土砂で埋没しております。
   で、ふと柵の奥を見ると…。

 
!?

 なんと、煉瓦坑門があるではないですか!!!

 …なんということだ…。坑門改修で一番ありがたい残り方です。
 この残り方で煉瓦製は、滋賀県の佐和山隧道の北側坑門と酷似しています。
 神原隧道 銘板確認です。
 で、左隅に…
 うーむ…読めん…

 本邦道路隧道輯覧シュウランによると、神原隧道の竣工
が昭和13年になっていますが、1924年(大正13年)だと
思われます。10月31日竣工。
 その当時、この地域は西側が細江村大字太江、東側
が袖川村大字柏原だったようです。
 岐阜県知事には該当しない感じでしたので、この町村
の代表者名なのでしょうか…ネットでは調べは付きませ
んでした。

 3文字目は「公」でしょうか。
 だとするとかなり地位の高いお役人?
 どなたか判別できる方、ご教示ください!
 扁額の上の笠石が脱落しています。
 が、うまい具合に扁額は隠れずに済みました。

 …しかし…
 2009年9月初訪問時のフォルダを調べてみると、ちゃ
んと坑門の写真がありました。うーむ、全く覚えてねーw
 で、こちら側の隙間から潜入もしております…
 まったくもって記憶がございませんw
 やっぱりすぐにレポするべきですな…
 大人しく西側に回ってきました。
 いい写真がなかったので、2009年9月の写真を流用
です。
 西側現行神原トンネルはもうすぐですが、そちらには
向かわず…
 道はターンをして勾配を稼ぎます。
 結構厳しそうな道筋ですな…
 現在に戻ります。
 九十九折れする旧道。
 そしてさらにターンします。
 とても対向できそうにない道ですな。

 で、帰ってから気付いたんですが、あのヒノキ林の切
れ目は旧旧道の入り口ではないかと…
 この辺りが最も往時の道幅を残しているのではない
でしょうか。
 その先で一気に道は窄まり、往時の姿は見られなく
なります。
 現道に削られた感じでしょうか。
 しかし九十九折れした割にはそれ程勾配が稼げてい
ないような…
 現行トンネルの真横に来たところで土嚢のカベに
遭遇します。
 10年前にはなかった光景です。
 これが10年前の映像です。
 先はどうなっているんでしょうか。
 現在~
 乗り越えてみると…やはり…土砂が流出した痕跡が
見られます。直近ではなさそうですが…
 これが10年前。アスファルトが見えてましたね。

 しかし想像よりは流出が少なくて良かったです。
 現在~
 うおっ、結構もりもりです。どうやら斜め左から流出
している模様です。
 坑門は無事か…?
 またまた10年前です。
 左手の看板は

 で、これは現在でも確認できますが…


 これが確認できません。流失したのかな?
 見落としたのか…今回存在を忘れていたために、
ちゃんと確認しませんでした。
 もう一つ。10年前にはこの記念碑もありました。
 これも失念いていたため、今回確認できませんでし
た。

 「此の上の地は神原峠の道跡で もとここに〇〇夫妻
が茶屋を営み旅人の休息に裨益する所が多かった
同氏は~峠を越えられた各界名氏に記念植樹を願い
育樹と保護を~楽しみとして居られたが峠の改修に
よって茶屋をたたみ山を下り~記念樹は枯朽して現在
は数本となった この度神岡町〇〇 名古屋市〇〇
の御厚意により両氏所有の土地を古川町に寄贈された 
神原線舗装完成に当り記念樹の碑を建てて~
 
 昭和四十二年十二月五日

 古川町
 太江区 健之

 〇〇書 〇〇」

 10年前、写真の撮り方が悪く、「~」の部分逸脱と、
人名部分は除かせて頂きました。
 凡その流れは合ってると思います。
 さて肝心の神原隧道西側坑門は…
 よしっ、まだ残っているようです。

 神原隧道 西側坑口

 岐阜県内唯一と謂われる車道煉瓦隧道です。
 ただ、前出の本邦道路隧道輯覧によると、巻き立ては、穹拱キュウキョウ(アーチ)部がコンクリート方塊(コンクリートブロック)。側壁が現場打コンクリートと
なっている通り、煉瓦の文字は出てきません。坑門部のみ煉瓦構造か、或いは化粧板程度に煉瓦を使用しているのではないでしょうか。
 それより驚きなのは、コンクリブロックを使っている、という表記です。えー…?そんなイメージは全くありません。
 というのも…
 

 ご覧のように、分厚いコンクリート覆工がされておるのです。反対側に至っては、ライナープレートで覆われています。
 内部はどうなっていたか…先に述べたように、10年前の内部の様子は全く覚えておりません。中に入ったのも忘れてますからねw
 
 しかし!見た目はしっかり煉瓦隧道!もうそれでいいぢゃないか! 
 江戸切りの要石と迫石、そして笠石があります。ちゃん
と石材を使用しているようです。
 そしてイギリス積みの煉瓦坑門…
 そして扁額。神原隧道と読み取れます。
 ここの扁額も左端に縦書き文字が見えますが、全く
判別できません…
 内部は相変わらずの土砂で満杯です。
 この土砂はどこのものでしょうねえ。現行神原トンネル
のものになると、この路線は通行止めになっちゃいます
からねえ。
 …ところがこれがまた悩ましい…
 なんと隙間から光が…そう、東側坑口のあの隙間から
の光が漏れているのです。
 はっ…気が付いたら…(笑)
 内側に入り込むことに成功しました。
 最初のヤマを過ぎると、思いのほか空間が残されて
おりました。
 アーチ部は相変わらずコンクリ覆工されています。
 さらに洞内が広がりました。
 しかし土砂がなくなることはありません。
 数は少ないですが、こうもりさんもしっかりお住まいの
ようです。
 むむむ…ライナープレートが出てきてしまいました。
 このまま東側まで続いてしまうと、コンクリブロックの
有無を視認できなくなりますが…
 おお?再びコンクリに変わります。
 しかも一回り広い?
 一回り広くなったコンクリートアーチは、先の肉厚アーチ
とは年代が異なる気がします。
 こちらの方が古いですね…つまり開通当初のものか、
早い段階での補修ということになります。
 ライナープレートとの間に結構隙間があります。
 ここもやっぱりコンクリアーチ…コンクリブロックは夢か
幻か…

 …と思っていた矢先…

 むむむむ…!!?
 分かりにくいですが、さらに一回り広くなった洞内に…ただのコンクリではない姿が…
 
 YES!
 
コンクリブロック!!!

 遂に姿を現しました!輯覧の記載に偽りはありません
でした!!!
 いやあ、本当に拝めるとは思っておりませんでした。
 間違いない、コンクリブロックです。
 輯覧によると、厚さ15cm×長さ45cm×幅23cm
 一枚巻き、いわゆる一層巻きということですな。
   側壁が現場打コンクリートというのも間違いないです。
   コンクリブロックアーチの天井にボルトが。照明器具が
吊るされていたのでしょうか。
 コンクリブロック区間は僅かで、すぐ古いコンクリ覆工
となります。
 振り返り。
 コンクリブロックがよく見えます。
   10年前の映像です。
 …ちゃんと撮ってるやん…
 当時は何とも思ってなかったってことですね…はぁ
 東側坑口はもうすぐとなります。
 東側のライナープレートは僅かの区間だけでした。
 ちょうど煉瓦坑門から延長された部分だけでしょうか。
 つまり、オリジナルの坑門はこの境目にある、と…
 光が眩しい…
 10年前はここから入ったのか…やるな、俺…(笑)
 今でも出入りは可能っぽいですが、今回は戻ります。
 東側より振り返り。
 思いの他の発見ができて良かったです。
 
   10年前の振り返り。
 岩の形状が何も変わってない気がします。
 こうして廃されて尚、何世代も先まで遺って行くんで
しょうね…