水路隧道



 


静岡県
JR東海道本線
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
愛知県境~新所原駅間
※未発見
新所原駅~鷲津駅間
前田川橋梁 半円 4 人道 整石 整石 両出 1連 3.03m
(10尺)
明治20年4月竣功
鉄道庁の資料では前田面橋梁となっているが、
誤りと思われる

両側ともアーチ環頭頂部及び両斜め上に竪積みあり
no photo 前田面橋梁 1連 3.64m
(12尺)
残存可能性:元々桁橋か
明治20年6月竣功
鉄道庁の資料では12尺煉瓦アーチとなっているが
実際は煉瓦橋台の鉄桁橋
前田川橋梁と混同してのミス表記と思われる
梶田避溢橋 半円 4 現人道
未使用

水路
煉瓦 不明 方出 3連 3.64m
(12尺)
3.14m
3.65m
3.65m
明治20年12月竣功
3連とも南側アーチ環頭頂部に竪積みあり

北側坑門はコンクリで覆われている。他、コンクリ補強
Iビームアーチ補強などかなりの手が加えられている
南側各坑門の間2か所に石積みの水切りがある
一ノ宮川橋梁 半円 4 水路 煉瓦 煉瓦 方出 1連 4.55m
(15尺)
4.40m
明治20年11月竣功
南側アーチ環頭頂部に竪積みあり
北側坑門はコンクリで覆われている。他、コンクリ補強
Iビームアーチ補強などかなりの手が加えられている
茶屋松橋梁 半円 4 車道 煉瓦 煉瓦 両出 1連 2.42m
(8尺)
2.36m 明治20年5月竣功
両坑門ともアーチ環頭頂部に竪積みあり
アーチ環に独特な虎柄ペイントあり
鷲津駅~新居町駅間
no photo 天頭山橋梁 1連 3.03m
(10尺)
残存可能性:改修判定
明治20年11月竣功
天頭山BVに改修済み
273k732m
新居町駅~弁天島駅~舞阪駅~高塚駅~浜松駅~天竜川駅間
※未探索
天竜川駅~豊田町駅間
半場川橋梁 半円 4 人道
水路
煉瓦 煉瓦 両出 1連 4.55m
(15尺)
明治20年12月竣功
路線付け替えによる廃線敷きに残存
両坑門ともアーチ環左右に竪積みあり
北側坑門隅石部や内部アーチ小口積み列に焼過
煉瓦を使用している。こちらが初期物か
豊田町駅~磐田駅間
※未探索
磐田駅~袋井駅間
(仮)西貝塚橋梁 石桁 水路 整石 1連 北側のみ確認
更新
中原川橋梁
半円 水路 煉瓦 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:確定
明治21年7月竣功
南側露出なし。グレーチングの下にある?
北側は社有地内?
2023年12月訪問
南側の車道に土管を確認。潜入すると煉瓦アーチが
残存していた
床面が平置きの煉瓦で敷き詰められており、大変
珍しい
拡幅の跡があり、南側の側壁イギリス積みの小口に
は焼過煉瓦を使用している。アーチ部も、起拱部の
一層を除いて焼過煉瓦を使用している
北側は後年拡幅と思われ、オーソドックスな煉瓦アーチ
となっている
完全暗渠化では大変勿体ないフォルムを有す逸品
八幡川橋梁 半円 4 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連 1.82m
(6尺)
明治21年5月竣功
南側坑門小口やアーチ環、内部側壁小口に焼過煉
瓦を使用している
翼壁が長い
変更
大門川橋梁
半円 2 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:確定(宮川さんより発見報告有り)
明治21年3月竣功
南側は新幹線で完全ガード
北側は区画整理中で入れなかった
2023年12月訪問
北側は拡幅されている模様。アプローチは不能と思わ
れる
南側も車道に開いている土管からのアプローチ。新幹
線下も貯水池のようになっており長靴では無理
内部に拡幅の跡が見える

no photo 三角川橋梁 1連 1.82m
(6尺)
残存可能性:極少
明治21年11月竣功
人道に改修か。その人道自体未確認
袋井駅~愛野駅間
小野田沢橋梁 半円 4 水路 整石 整石
両出 1連 1.82m
(6尺)
明治22年2月竣功
北側の坑門は左に大きく傾斜している
内部側壁は水没しており未確認
10 更新
古川橋梁
半円 4 水路 整石 整石 片出 1連 1.82m
(6尺)
明治21年12月竣功
新幹線と並行しておりガードが堅い
潜入困難度AAA
内部も長靴越え水没で南側の坑門未確認
2023年12月再訪問
新幹線と在来線の間の田んぼから新幹線のフェンス
沿いに何とかアプローチに成功した

愛野駅~掛川駅間
no photo 更新
愛野橋梁
1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:極少
明治21年11月竣功
北側には痕跡なし
南側の原橋梁(BK)の辺りかと。防災貯水池に穴
開いてる?
2023年12月訪問
愛野駅南側を虱潰しに探索したが、痕跡は見いだ
せなかった。原橋梁に改修されたか、土管の下に
完全暗渠化されたか…

11 梅橋橋梁 半円 4 水路 整石 整石 片出 1連 2.42m
(8尺)
明治21年9月竣功
北側からアプローチ可能
12 堤下橋梁 半円 4 人道 乱石
整石
整石 両出 1連 1.82m
(6尺)
明治21年9月竣功
北側の坑門がなぜか乱石積み
並行する新幹線の橋梁名は正法寺橋梁
no photo 南坪橋梁 1連 1.82m
(6尺)
残存可能性:極少
明治21年9月竣功
BK改修済み?ストリートビューで名称も確認
no photo 沢田川橋梁 1連 2.42m
(8尺)
残存可能性:極少
明治21年10月竣功
BK改修済み?ストリートビューで名称も確認
掛川駅~菊川駅間
13 竜脇川橋梁 半円 4 車道 整石 整石 両出 1連 2.42m
(8尺)
明治21年4月竣功
軽車両以下
14 鳥居川橋梁 半円 4 車道 煉瓦 煉瓦 方出 1連 4.24m
(14尺)
明治21年12月竣功
大柄。隅石がある。
複線化時に同じ煉瓦で拡幅された形跡がある
内部アーチ以外は焼過煉瓦を使用している
15 屋ノ谷橋梁 半円 3 人道 整石 整石 両出 1連 鉄道庁の資料に存在しない橋梁。
周辺の橋梁よりも延長が長く、後年増設された橋梁
と思われる。
16 九ノ谷橋梁 半円 4 車道 整石 整石 方出 1連 2.42m
(8尺)
明治21年10月竣功
軽車両以下
複線化時にはコンクリートで拡幅している
菊川駅~金谷駅間
17 加茂川橋梁 半円 4 水路 整石 整石 方出 1連 1.82m
(6尺)
明治21年7月竣功
北側はアーチセントルにて拡幅している
18 橋詰川橋梁 半円 4 車道 整石 整石 両出 1連 3.03m
(10尺)
明治21年5月竣功
19 沢水加川橋梁 半円 5 水路 整石 整石 両出 1連 9.09m
(30尺)
明治21年10月竣功
たぐいまれな大径間を持つ橋梁。が80尺は盛り過
ぎでは?
←済みません。見間違えでした(大汗)
複線化時に焼過煉瓦にて拡幅している模様
河城100選名所8に選出されている
20 倉沢川橋梁 半円 4 水路
人道
整石 整石 両出 1連 4.24m
(14尺)
明治21年10月竣功
かなりの高さを有する橋梁。
21 落居川橋梁 半円 4 水路 整石 整石 方出 1連 1.82m
(6尺)
明治21年4月竣功
北側はアーチセントルにて拡幅している
22 沢川橋梁 半円 4 水路 整石 整石 片出 1連 2.42m
(8尺)
残存可能性:中(2017年12月訪問)
明治22年2月竣功

径間長は厳密には8尺3寸4分の1
床面は石畳
金谷駅~島田駅間
23 向山橋梁 半円 2 水路 整石 整石 片出 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:確定(2017年12月訪問)
明治20年9月竣功
アーチ環に「向山拱渠」のペイントあり
24 (仮)金谷天王町西橋梁 半円 2 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:確定(2017年12月訪問)
明治20年9月竣功

煉瓦積みのインバートがある
25 (仮)金谷天王町橋梁 欠円 2 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連 0.61m
(2尺)
残存可能性:確定(2017年12月訪問)
明治20年9月竣功

この付近では珍しい2尺物件
北側は未確認だが恐らく片出
26 (仮)金谷天王町東橋梁 半円
人道
3 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連 1.52m
(5尺)
残存可能性:確定(2017年12月訪問)
明治20年10月竣功

真新しい修繕で水路に人道が確保されている。元
々は煉瓦積みのインバートだったと思われる
北側目の前に大井川本線の桁橋がある
27 龍雲寺沢橋梁 半円 3 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連 1.82m
(6尺)
明治20年12月竣功
要再訪問
28 (仮)金谷二軒屋西橋梁 半円 2 水路 煉瓦 煉瓦 1連 0.91m
(3尺)
明治20年12月竣功
煉瓦積みのインバートがある
29 (仮)金谷二軒屋東橋梁 半円 2 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連 0.91m
(3尺)
明治20年11月竣功
no photo 第二甚兵衛島橋梁 1連 1.82m
(6尺)
残存可能性:
明治21年7月竣功
存在は高いが、両側とも社有地であるため、
接近不能
30 no photo 第一甚兵衛島橋梁 半円 3 整石 1連 1.52m
(5尺)
残存可能性:確定
明治21年7月竣功
存在は間接的に確認済みだが、両側とも社有地
であるため、接近不能
31
32
紡績所架道橋 半円 3 人道 整石 整石 挟まれ 1連 1.52m
(5尺)
残存可能性:不明(2017年12月訪問)
明治22年3月竣功
島田駅の下を潜る地下道がそれだったのか不明
人道だったとしたら、かなり細高い通路だったと
思われる
地下道で正解。2基存在する。白くペイントされている
コンクリアーチや桁橋が混然一体となっており、後付け
感が激しい
鉄道庁の資料では紡績所道橋梁3尺とある。後年
改修されたのか、他にあるのか不明
島田駅~六合駅間
no photo 横井川橋梁 1連 1.82m
(6尺)
2.42m
(8尺)
残存可能性:極少
現在の島田架道橋のあたりか
明治21年12月に6尺が、明治22年3月に8尺が
完成した模様
六合駅~藤枝駅~西焼津駅~焼津駅間
※未発見
焼津駅~用宗駅間
33 (仮)瀬戸川西橋梁 半円 水路 整石 挟まれ 1連 1.52m
(5尺)
残存可能性:低(2017年12月訪問)
明治21年11月竣功
瀬戸川の西岸200m付近
ストリートビューや航空写真では怪しい個所は見当たら
ない
こばやしさんのサイトで存在を確認
煉瓦積みのインバートがある
no photo 更新
名称不明橋梁
1連 1.21m
(4尺)
残存可能性:極少
明治21年11月竣功
現行石部トンネル西側坑口付近
複数あるガードやBK水路の最も東側にストリートビュー
で水路のようなものが視認できる。要確認
2023年12月訪問
想定地を確認したが、発見には至らなかった

34 (仮)石部橋梁 半円 2 水路 片出 1連 0.91m
(3尺)
明治21年10月竣功
海側の初代石部隧道の暗渠と思われる
複線化に伴い廃止され、沢水を新たに山側に掘削
したバイパス隧道を通させ、焼津側の沢に合流させ
たのではないか
2016年1月現在の姿。2017年12月に見た時には
さらにかなり削られていた。なくなるのも時間の
問題かもしれない
(仮)石部水路隧道 欠円 3 水路 整石 整石 片出 1連 未計測 当地が複線化した明治43年ごろ竣功か。
複線化に伴い先の(仮)石部橋梁が廃止された後
の代替水路として、線路と並行する当隧道を掘削
し、沢水を隣の沢に合流させたのではないか
上流側は埋没
床面は石畳で下流側は石畳のまま急流下り
用宗駅~安倍川駅間
no photo 名称不明橋梁 1連 2.42m
(8尺)
残存可能性:
明治20年10月竣功
明細録では鞠子川(現丸子川)の東側すぐにあった
ようだがストリートビューからは確認できない。
現地未確認
安倍川駅~静岡駅間
no photo 名称不明橋梁 1連 2.42m
(8尺)
残存可能性:極低
明治20年6月竣功
明細録では安倍川の東側300m付近にあったよう
だが電子地図、航空写真やストリートビューからは確認
できない。現地未確認
静岡駅~東静岡駅~草薙駅~清水駅間
※未発見
清水駅~興津駅間
no photo 蜆川橋梁 1連 1.49m
(4尺9寸)
残存可能性:
明治20年4月竣功。「シジミガワ」と読む?
明細録に「元2尺2スパンの所明治21年12月改築」の
記載がある
庵原川の西側だが現地未確認。
no photo 波多打川橋梁 1連 4.24m
(14尺)
残存可能性:
明治20年4月竣功
現況波多打川橋梁は切石橋台のガーダー橋となって
いる。流路が変わっているような雰囲気も感じる
が、その周辺にもそれらしい橋梁の雰囲気はない
興津駅~由比駅
※未発見
由比駅~蒲原駅間
no photo 八木沢橋梁 1連 1.82m
(6尺)
残存可能性:極低
明治20年4月竣功
現況八木沢川橋梁は完全に改修された姿と思わ
れる
蒲原駅~新蒲原駅~富士川駅間
富士川駅~富士駅間
35
36
新堀用水橋梁 半円
半円
4
4
水路
水路
整石
整石
整石
整石
両出
両出
1連
1連
1.82m
(6尺)
明治20年5月竣功
コンクリアーチ、煉瓦アーチ2本が並ぶ
真ん中の煉瓦アーチが最も古い物と思われる
37 近堀用水橋梁 半円 4 水路 整石 整石 片出 1連 3.03m
(10尺)
明治20年5月竣功
水量が多くて中に入れなかった
(仮)松岡橋梁 石桁 水路 整石 整石
煉瓦
両出 2連 極低の2径間石桁橋梁。橋脚部のみ煉瓦積み
富士駅~吉原駅間
38 柵堀橋梁 半円 3 水路 整石 整石 両出 1連 1.52m
(5尺)
明治21年12月竣功
これ以上ない劣悪な環境で存在する暗渠
淨閑堀橋梁 1連 1.52m
(5尺)
残存可能性:
明治21年12月竣功
想定地に笠石のような石積みを確認。埋殺された
ものと思われるが、北側は未確認
no photo 中瀬堀橋梁 1連 1.52m
(5尺)
残存可能性:極低
明治21年12月竣功
想定地に痕跡は見いだせなかった
JR御殿場線
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
沼津駅~大岡駅~下土狩駅~長泉なめり駅~裾野駅間
※未発見
裾野駅~岩波駅間
39 天田川橋梁 半円 5 水路 煉瓦 整石 両出 1連 4.55m
(15尺)
本線:明治20年10月竣功
複線:明治23年9月竣功
床面は石畳
煉瓦アーチが通常レンガゾーンと焼過煉瓦ゾーンに分かれ
ている
40 木曽川橋梁 半円 水路 整石 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
本線:明治20年12月竣功
複線:明治23年10月竣功
土管の奥に潜む煉瓦アーチ
反対側も完全暗渠化しているものと思われる
岩波駅~富士岡駅間
41 仲ノ町橋梁 半円 2 水路 煉瓦 整石 両出 1連 0.91m
(3尺)
本線:明治20年12月竣功
複線:明治23年10月竣功
アーチ環より上の坑門の長手積みが通常煉瓦以外
は焼過煉瓦を使用している。
42 前通橋梁 半円 4 水路 煉瓦 整石 両出 1連 1.82m
(6尺)
本線:明治21年2月竣功
複線:明治23年10月竣功
洞内の8割が焼過煉瓦アーチと坑門、2割が通常煉瓦
アーチと坑門になっている。2割の方が本線のものと
思われる
43 大坂堀橋梁 半円 3 水路 煉瓦 整石 両出 1連 1.21m
(4尺)
本線:明治20年12月竣功
複線:明治23年10月竣功
坑門の仕上がりが微妙に異なる。より精緻な方が
本線のものと思われる
富士岡駅~南御殿場駅間
※未発見
南御殿場駅~御殿場駅間
44 いもり沢橋梁
(いもり=虫へんに元)
半円 4 水路 整石 整石 両出 1連 1.82m
(6尺)
本線:明治20年12月竣功
複線:明治23年10月竣功
床面は石畳
アーチを受ける土台の切石が迫り出している
45 五郎助沢橋梁 半円 4 水路 整石 整石 両出 1連 3.03m
(10尺)
本線:明治20年12月竣功
複線:明治23年10月竣功
床面は石畳
アーチを受ける土台の切石が迫り出している
洞内アーチが通常煉瓦と焼過煉瓦に分かれている
御殿場駅~足柄駅間
46 深沢川橋梁 半円 迫石 水路 整石 整石 両出 1連 3.64m
(12尺)
本線:明治21年5月竣功
複線:明治23年11月竣功
この辺りでは珍しくアーチ環は切石になっている
足柄駅~駿河小山駅~神奈川県境間
竹ノ下用水橋梁 1連 1.21m
(4尺)
残存可能性:改修?
本線:明治21年7月竣功
複線:明治23年10月竣功

想定地には坑門と内部側壁が切石で、天井がコン
クリ桁になっている暗渠が。アーチを撤去してコンクリを
挟み込んだと思われるが、ややサイズが合わない
気がするのがモヤモヤ点
no photo 小山用水橋梁 1連 1.39m
(4尺6寸)
残存可能性:低→改修or消滅判定
本線:明治21年8月竣功
複線:明治23年10月竣功
その存在を確認できなかった。北側の桁橋に流路
変更されたか
↓2022年4月再訪
工場裏の想定地は開渠。旧線も想定していたが、
橋梁は確認できなかった
no photo 入山沢橋梁 1連 1.70m
(5尺6寸)
残存可能性:低→消滅判定
本線:明治21年8月竣功
複線:明治23年10月竣功
想定地はコンクリ橋台の桁橋
↓2022年4月再訪
東側の旧線に想定していたが、橋梁は確認できな
かった。東名高速道路上りの橋脚がちょうど旧線
敷きの上にあり、すぐそばの当該橋梁は撤去され
たと推察

no photo 小山用水橋梁 1連 1.70m
(5尺6寸)
残存可能性:低→消滅判定
本線:明治21年7月竣功
複線:明治23年10月竣功
存在は確認できないが…
↓2022年4月再訪
ここも東側の旧線に想定していたが、橋梁は確認
できなかった。用水はあるものの、旧線敷きは農
道開設時に土地の改変により消滅したと推察する

no photo 入山沢橋梁 1連 3.03m
(10尺)
残存可能性:改修?→消滅判定
本線:明治21年8月竣功
複線:明治23年10月竣功
想定地はBKになっていた
↓2022年4月再訪
現行路線は新線。旧線は県道149号線付近であっ
た模様。周囲を探索したが、遺構は確認できなかっ

 遠州鉄道奥山線          
    名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
遠鉄浜松駅遠州病院駅)北田町駅~田町口駅~元城駅間  
    ※未探索                    
元城駅~広沢駅間
no photo 未訪問
亀山トンネル
                   
広沢駅~名残駅間   
no photo 未訪問
広沢跨線橋
                   
名残駅~~~谷駅間
    ※未探索                     
谷駅~祝田駅間    
new
(仮)中川橋梁
石桁 水路 整石 整石 両出 1連 廃線跡の遊歩道の下に遺される
下流の北側坑門は、石桁を2枚乗せただけのような
変わった面構えをしている
上流の南側の築堤が一部崩落し、石桁が露出。そ
の石桁も一部崩落、内部側壁も一部崩壊している
坑門は露出しているものの、仮設的な崩壊防止の
鉄板により隠れてしまっている
2023年12月訪問
祝田駅~~~正楽寺駅間
    ※未探索                    
正楽寺駅~井伊谷駅間
47 new
(仮)井伊谷南橋梁
半円 4 水路 C C 両出 1連 2.42m
(8尺)
  廃線跡の転用道の下に遺される
アーチ環が煉瓦である以外は全てコンクリ製
気賀駅以北は大正12年開業なので往時からこの
姿と思われる
2023年12月訪問
48 new
(仮)井伊谷橋梁
半円 3 水路
人道
C C 両出 1連 1.82m
(6尺)
  廃線跡の転用道の下に遺される
アーチ環が煉瓦である以外は全てコンクリ製
気賀駅以北は大正12年開業なので往時からこの
姿と思われる
2023年12月訪問
井伊谷駅~四村駅間
new
(仮)井伊谷北橋梁
半円 水路 C C 片出 1連 未計測   廃線跡の転用道の下に遺される
神宮寺川に向けて開口している
上流側は埋め立てられ、縦坑となっている
往時は煉瓦だったのか、元からコンクリ施工なのかは
分からない
2023年12月訪問
new
(仮)第一神宮寺川橋梁
旧水路 旧流路側:煉瓦橋脚
煉瓦橋台
  神宮寺川の流路の変更と同時期に建造された様子
で、現行の河川と土手を挟んだ旧流路の2本の橋
で構成されている。変遷は今昔マップで確認できる
煉瓦橋脚が残るのは旧流路側のみ。
※地図と実地の個人的な見解
3基の橋脚と2基の橋台で構成される
内2基の橋脚にはコンクリブロック積みの水切りがある
内1基の橋台は、現行河川の橋桁の橋台も兼ねて
いるように見える
2023年12月訪問
四村駅~田畑駅間
new
(仮)田畑橋梁
石桁 水路 自然石 挟まれ 1連   廃線跡の転用道の下に遺される
側壁は自然石をそのまま空積みしている
2023年12月訪問
田畑駅~~~奥山駅間
    ※未発見