静岡県 | ||||||||||||
JR東海道本線 | ||||||||||||
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
愛知県境~新所原駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
新所原駅~鷲津駅間 | ||||||||||||
1 | 前田川橋梁 | 半円 | 4 | 人道 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 3.03m (10尺) |
明治20年4月竣功 鉄道庁の資料では前田面橋梁となっているが、 誤りと思われる 両側ともアーチ環頭頂部及び両斜め上に竪積みあり |
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- | no photo | 前田面橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 3.64m (12尺) |
残存可能性:元々桁橋か 明治20年6月竣功 鉄道庁の資料では12尺煉瓦アーチとなっているが 実際は煉瓦橋台の鉄桁橋 前田川橋梁と混同してのミス表記と思われる |
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2 | 梶田避溢橋 | 半円 | 4 | 現人道 未使用 水路 |
煉瓦 | 不明 | 方出 | 3連 | 3.64m (12尺) |
3.14m 3.65m 3.65m |
明治20年12月竣功 3連とも南側アーチ環頭頂部に竪積みあり 北側坑門はコンクリで覆われている。他、コンクリ補強 Iビームアーチ補強などかなりの手が加えられている 南側各坑門の間2か所に石積みの水切りがある |
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3 | 一ノ宮川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 方出 | 1連 | 4.55m (15尺) |
4.40m 超 |
明治20年11月竣功 南側アーチ環頭頂部に竪積みあり 北側坑門はコンクリで覆われている。他、コンクリ補強 Iビームアーチ補強などかなりの手が加えられている |
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4 | 茶屋松橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.36m | 明治20年5月竣功 両坑門ともアーチ環頭頂部に竪積みあり アーチ環に独特な虎柄ペイントあり |
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鷲津駅~新居町駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 天頭山橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 3.03m (10尺) |
残存可能性:改修判定 明治20年11月竣功 天頭山BVに改修済み 273k732m |
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新居町駅~弁天島駅~舞阪駅~高塚駅~浜松駅~天竜川駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
天竜川駅~豊田町駅間 | ||||||||||||
5 | 半場川橋梁 | 半円 | 4 | 人道 水路 |
煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 4.55m (15尺) |
明治20年12月竣功 路線付け替えによる廃線敷きに残存 両坑門ともアーチ環左右に竪積みあり 北側坑門隅石部や内部アーチ小口積み列に焼過 煉瓦を使用している。こちらが初期物か |
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豊田町駅~磐田駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
磐田駅~袋井駅間 | ||||||||||||
- | (仮)西貝塚橋梁 | 石桁 | - | 水路 | - | 整石 | ? | 1連 | 北側のみ確認 | |||
6 | 更新 中原川橋梁 |
半円 | ? | 水路 | ? | 煉瓦 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
残存可能性:中→確定 明治21年7月竣功 南側露出なし。グレーチングの下にある? 北側は社有地内? ↓2023年12月訪問 南側の車道に土管を確認。潜入すると煉瓦アーチが 残存していた 床面が平置きの煉瓦で敷き詰められており、大変 珍しい 拡幅の跡があり、南側の側壁イギリス積みの小口に は焼過煉瓦を使用している。アーチ部も、起拱部の 一層を除いて焼過煉瓦を使用している 北側は後年拡幅と思われ、オーソドックスな煉瓦アーチ となっている 完全暗渠化では大変勿体ないフォルムを有す逸品 |
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7 | 八幡川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
明治21年5月竣功 南側坑門小口やアーチ環、内部側壁小口に焼過煉 瓦を使用している 翼壁が長い |
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8 | 変更 大門川橋梁 |
半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
残存可能性:確定(宮川さんより発見報告有り) 明治21年3月竣功 南側は新幹線で完全ガード 北側は区画整理中で入れなかった ↓2023年12月訪問 北側は拡幅されている模様。アプローチは不能と思わ れる 南側も車道に開いている土管からのアプローチ。新幹 線下も貯水池のようになっており長靴では無理 内部に拡幅の跡が見える |
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- | no photo | 三角川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.82m (6尺) |
残存可能性:極少 明治21年11月竣功 人道に改修か。その人道自体未確認 |
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袋井駅~愛野駅間 | ||||||||||||
9 | 小野田沢橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 ? |
両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
明治22年2月竣功 北側の坑門は左に大きく傾斜している 内部側壁は水没しており未確認 |
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10 | 更新 古川橋梁 |
半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
明治21年12月竣功 新幹線と並行しておりガードが堅い 潜入困難度AAA 内部も長靴越え水没で南側の坑門未確認 ↓2023年12月再訪問 新幹線と在来線の間の田んぼから新幹線のフェンス 沿いに何とかアプローチに成功した |
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愛野駅~掛川駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 更新 愛野橋梁 |
- | - | - | - | - | - | 1連 | 0.91m (3尺) |
残存可能性:少→極少 明治21年11月竣功 北側には痕跡なし 南側の原橋梁(BK)の辺りかと。防災貯水池に穴 開いてる? ↓2023年12月訪問 愛野駅南側を虱潰しに探索したが、痕跡は見いだ せなかった。原橋梁に改修されたか、土管の下に 完全暗渠化されたか… |
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11 | 梅橋橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
明治21年9月竣功 北側からアプローチ可能 |
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12 | 堤下橋梁 | 半円 | 4 | 人道 | 乱石 整石 |
整石 | 両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
明治21年9月竣功 北側の坑門がなぜか乱石積み 並行する新幹線の橋梁名は正法寺橋梁 |
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- | no photo | 南坪橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.82m (6尺) |
残存可能性:極少 明治21年9月竣功 BK改修済み?ストリートビューで名称も確認 |
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- | no photo | 沢田川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 2.42m (8尺) |
残存可能性:極少 明治21年10月竣功 BK改修済み?ストリートビューで名称も確認 |
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掛川駅~菊川駅間 | ||||||||||||
13 | 竜脇川橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
明治21年4月竣功 軽車両以下 |
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14 | 鳥居川橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 方出 | 1連 | 4.24m (14尺) |
明治21年12月竣功 大柄。隅石がある。 複線化時に同じ煉瓦で拡幅された形跡がある 内部アーチ以外は焼過煉瓦を使用している |
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15 | 屋ノ谷橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 鉄道庁の資料に存在しない橋梁。 周辺の橋梁よりも延長が長く、後年増設された橋梁 と思われる。 |
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16 | 九ノ谷橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 整石 | 整石 | 方出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
明治21年10月竣功 軽車両以下 複線化時にはコンクリートで拡幅している |
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菊川駅~金谷駅間 | ||||||||||||
17 | 加茂川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 方出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
明治21年7月竣功 北側はアーチセントルにて拡幅している |
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18 | 橋詰川橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 3.03m (10尺) |
明治21年5月竣功 | ||
19 | 沢水加川橋梁 | 半円 | 5 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 9.09m (30尺) |
明治21年10月竣功 たぐいまれな大径間を持つ橋梁。 ぎでは? 複線化時に焼過煉瓦にて拡幅している模様 河城100選名所8に選出されている |
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20 | 倉沢川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 人道 |
整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 4.24m (14尺) |
明治21年10月竣功 かなりの高さを有する橋梁。 |
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21 | 落居川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 方出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
明治21年4月竣功 北側はアーチセントルにて拡幅している |
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22 | 沢川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
残存可能性:中(2017年12月訪問) 明治22年2月竣功 径間長は厳密には8尺3寸4分の1 床面は石畳 |
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金谷駅~島田駅間 | ||||||||||||
23 | 向山橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
残存可能性:確定(2017年12月訪問) 明治20年9月竣功 アーチ環に「向山拱渠」のペイントあり |
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24 | (仮)金谷天王町西橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
残存可能性:確定(2017年12月訪問) 明治20年9月竣功 煉瓦積みのインバートがある |
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25 | (仮)金谷天王町橋梁 | 欠円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 0.61m (2尺) |
残存可能性:確定(2017年12月訪問) 明治20年9月竣功 この付近では珍しい2尺物件 北側は未確認だが恐らく片出 |
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26 | (仮)金谷天王町東橋梁 | 半円 人道 |
3 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 1.52m (5尺) |
残存可能性:確定(2017年12月訪問) 明治20年10月竣功 真新しい修繕で水路に人道が確保されている。元 々は煉瓦積みのインバートだったと思われる 北側目の前に大井川本線の桁橋がある |
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27 | 龍雲寺沢橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
明治20年12月竣功 要再訪問 |
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28 | (仮)金谷二軒屋西橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | ? | 1連 | 0.91m (3尺) |
明治20年12月竣功 煉瓦積みのインバートがある |
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29 | (仮)金谷二軒屋東橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
明治20年11月竣功 | ||
- | no photo | 第二甚兵衛島橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.82m (6尺) |
残存可能性:高 明治21年7月竣功 存在は高いが、両側とも社有地であるため、 接近不能 |
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30 | no photo | 第一甚兵衛島橋梁 | 半円 | 3 | ? | 整石 | ? | ? | 1連 | 1.52m (5尺) |
残存可能性:確定 明治21年7月竣功 存在は間接的に確認済みだが、両側とも社有地 であるため、接近不能 |
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31 32 |
紡績所架道橋 | 半円 | 3 | 人道 | 整石 | 整石 | 挟まれ | 1連 | 1.52m (5尺) |
残存可能性:不明(2017年12月訪問) 明治22年3月竣功 島田駅の下を潜る地下道がそれだったのか不明 人道だったとしたら、かなり細高い通路だったと 思われる 地下道で正解。2基存在する。白くペイントされている コンクリアーチや桁橋が混然一体となっており、後付け 感が激しい 鉄道庁の資料では紡績所道橋梁3尺とある。後年 改修されたのか、他にあるのか不明 |
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島田駅~六合駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 横井川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.82m (6尺) 2.42m (8尺) |
残存可能性:極少 現在の島田架道橋のあたりか 明治21年12月に6尺が、明治22年3月に8尺が 完成した模様 |
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六合駅~藤枝駅~西焼津駅~焼津駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
焼津駅~用宗駅間 | ||||||||||||
33 | (仮)瀬戸川西橋梁 | 半円 | ? | 水路 | ? | 整石 | 挟まれ | 1連 | 1.52m (5尺) |
残存可能性:低(2017年12月訪問) 明治21年11月竣功 瀬戸川の西岸200m付近 ストリートビューや航空写真では怪しい個所は見当たら ない こばやしさんのサイトで存在を確認 煉瓦積みのインバートがある |
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- | no photo | 更新 名称不明橋梁 |
- | - | - | - | - | - | 1連 | 1.21m (4尺) |
残存可能性:中→極少 明治21年11月竣功 現行石部トンネル西側坑口付近 複数あるガードやBK水路の最も東側にストリートビュー で水路のようなものが視認できる。要確認 ↓2023年12月訪問 想定地を確認したが、発見には至らなかった |
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34 | (仮)石部橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | ? | ? | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
明治21年10月竣功 海側の初代石部隧道の暗渠と思われる 複線化に伴い廃止され、沢水を新たに山側に掘削 したバイパス隧道を通させ、焼津側の沢に合流させ たのではないか 2016年1月現在の姿。2017年12月に見た時には さらにかなり削られていた。なくなるのも時間の 問題かもしれない |
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- | (仮)石部水路隧道 | 欠円 | 3 | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 未計測 | 当地が複線化した明治43年ごろ竣功か。 複線化に伴い先の(仮)石部橋梁が廃止された後 の代替水路として、線路と並行する当隧道を掘削 し、沢水を隣の沢に合流させたのではないか 上流側は埋没 床面は石畳で下流側は石畳のまま急流下り |
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用宗駅~安倍川駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 名称不明橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 2.42m (8尺) |
残存可能性:低 明治20年10月竣功 明細録では鞠子川(現丸子川)の東側すぐにあった ようだがストリートビューからは確認できない。 現地未確認 |
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安倍川駅~静岡駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 名称不明橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 2.42m (8尺) |
残存可能性:極低 明治20年6月竣功 明細録では安倍川の東側300m付近にあったよう だが電子地図、航空写真やストリートビューからは確認 できない。現地未確認 |
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静岡駅~東静岡駅~草薙駅~清水駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
清水駅~興津駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 蜆川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.49m (4尺9寸) |
残存可能性:低 明治20年4月竣功。「シジミガワ」と読む? 明細録に「元2尺2スパンの所明治21年12月改築」の 記載がある 庵原川の西側だが現地未確認。 |
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- | no photo | 波多打川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 4.24m (14尺) |
残存可能性:低 明治20年4月竣功 現況波多打川橋梁は切石橋台のガーダー橋となって いる。流路が変わっているような雰囲気も感じる が、その周辺にもそれらしい橋梁の雰囲気はない |
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興津駅~由比駅 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
由比駅~蒲原駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 八木沢橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.82m (6尺) |
残存可能性:極低 明治20年4月竣功 現況八木沢川橋梁は完全に改修された姿と思わ れる |
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蒲原駅~新蒲原駅~富士川駅間 | ||||||||||||
富士川駅~富士駅間 | ||||||||||||
35 36 |
新堀用水橋梁 | 半円 半円 |
4 4 |
水路 水路 |
整石 整石 |
整石 整石 |
両出 両出 |
1連 1連 |
1.82m (6尺) |
明治20年5月竣功 コンクリアーチ、煉瓦アーチ2本が並ぶ 真ん中の煉瓦アーチが最も古い物と思われる |
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37 | 近堀用水橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 3.03m (10尺) |
明治20年5月竣功 水量が多くて中に入れなかった |
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- | (仮)松岡橋梁 | 石桁 | - | 水路 | 整石 | 整石 煉瓦 |
両出 | 2連 | 極低の2径間石桁橋梁。橋脚部のみ煉瓦積み | |||
富士駅~吉原駅間 | ||||||||||||
38 | 柵堀橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.52m (5尺) |
明治21年12月竣功 これ以上ない劣悪な環境で存在する暗渠 |
||
- | 淨閑堀橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.52m (5尺) |
残存可能性:低 明治21年12月竣功 想定地に笠石のような石積みを確認。埋殺された ものと思われるが、北側は未確認 |
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- | no photo | 中瀬堀橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.52m (5尺) |
残存可能性:極低 明治21年12月竣功 想定地に痕跡は見いだせなかった |
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JR御殿場線 | ||||||||||||
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
沼津駅~大岡駅~下土狩駅~長泉なめり駅~裾野駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
裾野駅~岩波駅間 | ||||||||||||
39 | 天田川橋梁 | 半円 | 5 | 水路 | 煉瓦 | 整石 | 両出 | 1連 | 4.55m (15尺) |
本線:明治20年10月竣功 複線:明治23年9月竣功 床面は石畳 煉瓦アーチが通常レンガゾーンと焼過煉瓦ゾーンに分かれ ている |
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40 | 木曽川橋梁 | 半円 | ? | 水路 | ? | 整石 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
本線:明治20年12月竣功 複線:明治23年10月竣功 土管の奥に潜む煉瓦アーチ 反対側も完全暗渠化しているものと思われる |
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岩波駅~富士岡駅間 | ||||||||||||
41 | 仲ノ町橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 整石 | 両出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
本線:明治20年12月竣功 複線:明治23年10月竣功 アーチ環より上の坑門の長手積みが通常煉瓦以外 は焼過煉瓦を使用している。 |
||
42 | 前通橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 煉瓦 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
本線:明治21年2月竣功 複線:明治23年10月竣功 洞内の8割が焼過煉瓦アーチと坑門、2割が通常煉瓦 アーチと坑門になっている。2割の方が本線のものと 思われる |
||
43 | 大坂堀橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 煉瓦 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.21m (4尺) |
本線:明治20年12月竣功 複線:明治23年10月竣功 坑門の仕上がりが微妙に異なる。より精緻な方が 本線のものと思われる |
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富士岡駅~南御殿場駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
南御殿場駅~御殿場駅間 | ||||||||||||
44 | いもり沢橋梁 (いもり=虫へんに元) |
半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
本線:明治20年12月竣功 複線:明治23年10月竣功 床面は石畳 アーチを受ける土台の切石が迫り出している |
||
45 | 五郎助沢橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 3.03m (10尺) |
本線:明治20年12月竣功 複線:明治23年10月竣功 床面は石畳 アーチを受ける土台の切石が迫り出している 洞内アーチが通常煉瓦と焼過煉瓦に分かれている |
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御殿場駅~足柄駅間 | ||||||||||||
46 | 深沢川橋梁 | 半円 | 迫石 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 3.64m (12尺) |
本線:明治21年5月竣功 複線:明治23年11月竣功 この辺りでは珍しくアーチ環は切石になっている |
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足柄駅~駿河小山駅~神奈川県境間 | ||||||||||||
- | 竹ノ下用水橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.21m (4尺) |
残存可能性:改修? 本線:明治21年7月竣功 複線:明治23年10月竣功 想定地には坑門と内部側壁が切石で、天井がコン クリ桁になっている暗渠が。アーチを撤去してコンクリを 挟み込んだと思われるが、ややサイズが合わない 気がするのがモヤモヤ点 |
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- | no photo | 小山用水橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.39m (4尺6寸) |
残存可能性:低→改修or消滅判定 本線:明治21年8月竣功 複線:明治23年10月竣功 その存在を確認できなかった。北側の桁橋に流路 変更されたか ↓2022年4月再訪 工場裏の想定地は開渠。旧線も想定していたが、 橋梁は確認できなかった |
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- | no photo | 入山沢橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.70m (5尺6寸) |
残存可能性:低→消滅判定 本線:明治21年8月竣功 複線:明治23年10月竣功 想定地はコンクリ橋台の桁橋 ↓2022年4月再訪 東側の旧線に想定していたが、橋梁は確認できな かった。東名高速道路上りの橋脚がちょうど旧線 敷きの上にあり、すぐそばの当該橋梁は撤去され たと推察 |
|
- | no photo | 小山用水橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.70m (5尺6寸) |
残存可能性:低→消滅判定 本線:明治21年7月竣功 複線:明治23年10月竣功 存在は確認できないが… ↓2022年4月再訪 ここも東側の旧線に想定していたが、橋梁は確認 できなかった。用水はあるものの、旧線敷きは農 道開設時に土地の改変により消滅したと推察する |
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- | no photo | 入山沢橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 3.03m (10尺) |
残存可能性:改修?→消滅判定 本線:明治21年8月竣功 複線:明治23年10月竣功 想定地はBKになっていた ↓2022年4月再訪 現行路線は新線。旧線は県道149号線付近であっ た模様。周囲を探索したが、遺構は確認できなかっ た |
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旧遠州鉄道奥山線 | ||||||||||||
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
遠鉄浜松駅(現遠州病院駅)~旧北田町駅~旧田町口駅~旧元城駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
旧元城駅~旧広沢駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 未訪問 亀山トンネル |
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旧広沢駅~旧名残駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 未訪問 広沢跨線橋 |
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旧名残駅~~~旧谷駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
旧谷駅~旧祝田駅間 | ||||||||||||
- | new (仮)中川橋梁 |
石桁 | - | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | - | 廃線跡の遊歩道の下に遺される 下流の北側坑門は、石桁を2枚乗せただけのような 変わった面構えをしている 上流の南側の築堤が一部崩落し、石桁が露出。そ の石桁も一部崩落、内部側壁も一部崩壊している 坑門は露出しているものの、仮設的な崩壊防止の 鉄板により隠れてしまっている 2023年12月訪問 |
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旧祝田駅~~~旧正楽寺駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
旧正楽寺駅~旧井伊谷駅間 | ||||||||||||
47 | new (仮)井伊谷南橋梁 |
半円 | 4 | 水路 | C | C | 両出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
廃線跡の転用道の下に遺される アーチ環が煉瓦である以外は全てコンクリ製 気賀駅以北は大正12年開業なので往時からこの 姿と思われる 2023年12月訪問 |
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48 | new (仮)井伊谷橋梁 |
半円 | 3 | 水路 人道 |
C | C | 両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
廃線跡の転用道の下に遺される アーチ環が煉瓦である以外は全てコンクリ製 気賀駅以北は大正12年開業なので往時からこの 姿と思われる 2023年12月訪問 |
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旧井伊谷駅~旧四村駅間 | ||||||||||||
- | new (仮)井伊谷北橋梁 |
半円 | - | 水路 | C | C | 片出 | 1連 | 未計測 | 廃線跡の転用道の下に遺される 神宮寺川に向けて開口している 上流側は埋め立てられ、縦坑となっている 往時は煉瓦だったのか、元からコンクリ施工なのかは 分からない 2023年12月訪問 |
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- | new (仮)第一神宮寺川橋梁 |
- | - | 旧水路 | 旧流路側:煉瓦橋脚 煉瓦橋台 |
- | 神宮寺川の流路の変更と同時期に建造された様子 で、現行の河川と土手を挟んだ旧流路の2本の橋 で構成されている。変遷は今昔マップで確認できる 煉瓦橋脚が残るのは旧流路側のみ。 ※地図と実地の個人的な見解 3基の橋脚と2基の橋台で構成される 内2基の橋脚にはコンクリブロック積みの水切りがある 内1基の橋台は、現行河川の橋桁の橋台も兼ねて いるように見える 2023年12月訪問 |
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旧四村駅~旧田畑駅間 | ||||||||||||
- | new (仮)田畑橋梁 |
石桁 | - | 水路 | - | 自然石 | 挟まれ | 1連 | - | 廃線跡の転用道の下に遺される 側壁は自然石をそのまま空積みしている 2023年12月訪問 |
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旧田畑駅~~~旧奥山駅間 | ||||||||||||
※未発見 |