大阪府 | ||||||||||||
JR東海道本線 | ||||||||||||
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
1 | 西谷橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:低→確定 1874年(明治8年)6月竣工 鉄道庁の資料にあるが、未発見 南側住宅連なり確認できず。北側なし ↓2022年6月訪問 ストビューにて北側に水路を発見。現地にてアプローチ路を 確認し、潜入。結果、南側の坑口煉瓦アーチを確認 一応南側からもアプローチ可能 インバートも乱石を使用。後付けのような隅石を備える |
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- | カイザシ橋梁 | - | - | 水路 | - | - | - | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:低→判定不能 1874年(明治8年)10月竣工 鉄道庁の資料にあるが、未発見 南側に埋めたような跡あり。北側なし ↓2022年6月訪問 南側車道を挟んで南の水路を確認したが小さな土管 2本あるのみ。潜入確認不能となった |
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2 | 谷口橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 1.52m (5尺) |
1.76m | 1874年(明治8年)11月竣工 | |
3 | 岡ノ前橋梁 | 欠円 | 2 | 水路 | 整石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 0.61m (2尺) |
0.73m | 1875年(明治9年)4月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり 坑門両側にコンクリート壁が聳える |
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4 | 堂ノ後橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
1.01m | 1874年(明治8年)8月竣工 | |
5 | 大溝筋橋梁 | 欠円 | 2 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
0.82m | 1874年(明治8年)8月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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6 | 国木原橋梁 | 欠円 | 2 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
0.82m | 1874年(明治8年)6月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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7 | 樋の尻橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 乱石 | 片出 | 2連 | 0.91m (3尺) |
1.10m | 1875年(明治9年)5月竣工 | |
8 | 庄ノ川橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 乱石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
0.90m | 1875年(明治9年)5月竣工 | |
- | 才田川橋梁 | 石桁 | - | 水路 | - | - | - | 1連 | 0.61m (2尺) |
- | 竣工年不詳 残存可能性:判定不能 ↓2022年6月訪問 北側は島本駅新築に伴う歩行者専用道の下で、 グレーチングに阻まれ視認不能 南側も見つけられず、判定不能に |
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島本駅~高槻駅間 | ||||||||||||
9 | 上三道路架道橋 | 半円 | 4 | 人道 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
1.87m | 1874年(明治8年)6月竣工 鉄道庁の資料によると「カミミドロ」と読む |
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10 | 遠田橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
1.02m | 1874年(明治8年)7月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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11 | 五反田橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.29m | 1874年(明治8年)6月竣工 かつては農道として機能していたようで、歩くスペース が残る。現在片側がマンションに道を塞がれている 水路床面に煉瓦積みインバートあり |
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12 | 籔ヶ花架道橋 | 欠円 | 4 | 車道 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 4.55m (15尺) |
3.48m | 1874年(明治8年)11月竣工 府道に現存する貴重な欠円アーチ |
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13 | 神森橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.48m | 1874年(明治8年)9月竣工 鉄道庁の資料では「神ノ森道」という名称 |
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14 | 山端橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 煉瓦 | 煉瓦 乱石 |
片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.57m | 1874年(明治8年)9月竣工 「ヤマハナ」と読む |
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15 | 甚兵衛川橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 煉瓦 | 煉瓦 乱石 |
片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.74m | 1874年(明治8年)10月竣工 | |
16 | 内田辻橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.18m | 1874年(明治8年)11月竣工 | |
17 | 池田橋梁 | 半円 | 3 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 乱石 |
片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.42m | 1874年(明治8年)11月竣工 | |
18 | 下橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 煉瓦 | 煉瓦 乱石 |
片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.18m | 1874年(明治8年)11月竣工 | |
19 | 奥田畑橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 2.61m (8尺6寸) |
1.80m | 1875年(明治9年)4月竣工 ねじりまんぽ 直角径間長8尺 |
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20 | 岸なぜ橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
2.16m | 1875年(明治9年)2月竣工 | |
21 | 磯野橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 3.03m (10尺) |
2.80m | 1875年(明治9年)4月竣工 | |
22 | 溝口橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 煉瓦 | 乱石 | 片出 | 1連 | 3.03m (10尺) |
2.31m | 1875年(明治9年)4月竣工 アーチ内側1層目に鋼アーチ支保工有り |
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23 | 奥殿畑橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
1.12m | 1875年(明治9年)3月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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- | no photo | 三ノ口橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.21m (4尺) |
- | 残存可能性:極低→消滅判定 1875年(明治9年)4月竣工 2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない |
24 | すごう橋梁 | 半円 | 3? | 水路 | 不明 | 整石 | 挟まれ | 1連 | 1.52m (5尺) |
1.20m | 1874年(明治8年)5月竣工 鋼アーチ支保工有り |
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25 | 幾里橋梁 | 半円 | 2? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
1874年(明治8年)5月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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- | no photo | 大正田橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:低 1874年(明治8年)5月竣工 南側発見できず。北側不明 |
- | no photo | 大聖天橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:低 1874年(明治8年)10月竣工 南側高槻駅前再開発により発見できず。北側も同様 |
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
高槻駅~摂津富田駅間 | ||||||||||||
26 | 妙世川橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
1.72m | 1874年(明治8年)10月竣工 | |
27 | 中川橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 乱石 | 整石 | 片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
1875年(明治9年)1月竣工 内部側壁に板渡しの突起有 |
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28 | 甲川橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 1.21m (4尺) |
1.55m | 1874年(明治8年)7月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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29 | 高城川橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | ? | 乱石 | 片出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
1874年(明治8年)8月竣工 片側数mだけコンクリート巻き補強がある |
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30 | 深たど橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 1.21m (4尺) |
1875年(明治9年)1月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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31 | 後藤川橋梁 | 欠円 | 4 | 人道 | 煉瓦 | 乱石 | 片出 | 1連 | 4.55m (15尺) |
1874年(明治8年)11月竣工 | ||
32 | 半田川橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 2連 | 1.21m (4尺) |
1874年(明治8年)9月竣工 | ||
33 | 下坂谷橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
1874年(明治8年)9月竣工 | ||
34 | 西の口橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
1874年(明治8年)8月竣工 | ||
35 | 段の前橋梁 | 半円 | 4? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.70m | 1874年(明治8年)7月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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36 | 大溝橋梁 | 半円 | ? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
1874年(明治8年)6月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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37 | 小畑橋梁 | 半円 | ? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
1874年(明治8年)6月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
摂津富田駅~総持寺駅間 | ||||||||||||
38 | 高塚道橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
1874年(明治8年)10月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
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- | no photo | 大伴筋橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:低 1874年(明治8年)6月竣工 想定地は富田村踏切付近。航空写真やストビューでは 水路らしきものが見当たらない。現地未確認 |
39 | 石橋田橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
1874年(明治8年)6月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
||
40 | 平田橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 乱石 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
1874年(明治8年)6月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり 土管で拡幅されながら内部で坑門、笠石まで残る 珍しい例 |
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総持寺駅~茨木駅間 | ||||||||||||
41 | 川田橋梁 | 半円 | 4 | 人道 | 煉瓦 | 乱石 | 片出 | 1連 | 3.03m (10尺) |
1875年(明治9年)2月竣工 水路開渠も兼ねる |
||
42 | 長戸出橋梁 | 半円 | 3? |
水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 1.82m (6尺) |
1874年(明治8年)6月竣工 西側がBKとして辛うじて開口する廃水路 |
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43 | 門の前橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 乱石 |
両出 | 1連 | 3.20m (10尺6寸) |
1875年(明治9年)2月竣工 ねじりまんぽ 直角径間長9尺9寸 迫受石がねじりまんぽに合わせてあり特徴的 半円で迫受石があるのも珍しい |
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44 | 尻戸三橋梁 | 欠円 | ? | 車道 水路 未使用 |
不明 | 乱石 | 片出 | 3連 | 4.55m (15尺) |
1876年(明治9年)1月竣工 両側のアーチ環、片出の坑門共にコンクリートに覆われ ている煉瓦積みの翼壁が残る |
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45 | 大塚橋梁 | 欠円 | 4 | 車道 人道 |
煉瓦 | 煉瓦 | 挟まれ | 1連 | 3.33m (11尺) |
1875年(明治8年)11月竣工 水路に鉄板で蓋をして人道にしている 隅石あり |
||
46 | 竹の鼻橋梁 | 半円 | ? | 人道 | 不明 | 煉瓦 | 挟まれ | 1連 | 1.52m (5尺) |
1875年(明治8年)11月竣工 隅石あり |
||
47 | 丁字橋梁 | 半円 | ? | 人道 | 不明 | 煉瓦 | 挟まれ | 1連 | 1.82m (6尺) |
1875年(明治8年)10月竣工 鉄道庁の資料では「丁子」という名称 隅石あり |
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- | no photo | new 殿田橋梁 |
- | - | - | - | - | - | 1連 | 1.21m (4尺) |
- | 残存可能性:判定不能 1875年(明治8年)9月竣工 2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存する らしいが、茨木駅のど真ん中であり、捜索不能状態 |
茨木駅~千里丘駅間 | ||||||||||||
48 | 下池橋梁 | 半円 | 2? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
1.04m | 1875年(明治8年)8月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
|
49 | 八ノ坪橋梁 | 半円 | 3? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 1.52m (5尺) |
1.75m | 1875年(明治8年)9月竣工 | |
- | new 八ノ坪橋梁 |
- | - | - | - | - | - | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:低→消滅判定 1875年(明治8年)9月竣工 中央環状線の下付近にあった模様 現状確認できていない ↓2022年6月訪問 上記八ノ坪橋梁から南に66.6mの位置にあったらしい が、北側痕跡無し、南側に南側路線の橋梁を確認 北側が埋められて消滅したのか… |
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- | no photo | 奈良非路橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 0.61m (2尺) |
- | 残存可能性:極低 1875年(明治8年)8月竣工 西側確認したが存在確認できず 東側は工場で行けない 航空写真でも怪しい個所は見受けられない |
50 | 高平橋梁 | 半円 | 3? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 1.82m (6尺) |
1.99m | 1875年(明治8年)8月竣工 昔は人道との供用だったらしい。北側に石積み後 コンクリート補修床あり 床面に煉瓦積みインバートあり |
|
51 | 四反田橋梁 | 欠円 | 2? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 0.61m (2尺) |
0.70m | 1875年(明治8年)7月竣工 極小物件。アーチが12列しかない |
|
52 | 早上り橋梁 | 半円 | ? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
1875年(明治8年)7月竣工 床面に煉瓦積みインバートあり |
||
53 | 恵風呂橋梁 | 半円 | 3? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 1.21m (4尺) |
1.30m | 1875年(明治8年)7月竣工 | |
54 | 大門橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
1875年(明治8年)5月竣工 片側は暗渠のままだが坑門が視認できる |
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名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
千里丘駅~岸辺駅間 | ||||||||||||
55 | 第一興林通橋梁 | 半円 | 3? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 2連 | 3.03m (10尺) |
1875年(明治8年)3月竣工 鉄道庁の資料では「御興林」という名称 床面に煉瓦積みインバートあり |
||
56 | 第二興林通橋梁 | 半円 | 3? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 1.52m (5尺) |
1875年(明治8年)3月竣工 鉄道庁の資料では「御興林」という名称 アーチ両側から7段目14段目、合計4列に小口積みが ある |
||
57 | 金剛前橋梁 | 半円 | ? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 1.21m (4尺) |
1.56m | 1875年(明治8年)2月竣工 | |
- | no photo | 四丁目橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:低 1875年(明治8年)3月竣工 南西側では確認できず 北東側は工場の敷地内で視認不能 |
- | no photo | 六丁目橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 0.61m (2尺) |
- | 残存可能性:低 1875年(明治8年)1月竣工 南西側では確認できず 北東側は工場の敷地内で視認不能 |
- | no photo | 前田橋梁 | - | - | - | - | - | - | 2連 | 1.21m (4尺) |
- | 残存可能性:極低→消滅判定 1875年(明治8年)1月竣工 2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない |
岸部駅~吹田駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 前田橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 0.61m (2尺) |
- | 残存可能性:判定不能 1875年(明治8年)1月竣工 西側は遊歩道に改修。東側には痕跡を見いだせず 敷地内に暗渠があるようだが、明らかに2尺ではない どちらにしても現地捜索はお手上げ |
- | 小原橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:改修判定 1875年(明治8年)1月竣工 想定地の東側にBKを確認。西側端まで捜索したが 全てBKだった。100m超の中腰探索は地獄… BKも4尺だった感じがする 2022年6月訪問 |
|
58 | 張換橋梁 | 半円 | ? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 2連 | 1.21m (4尺) |
- | 1875年(明治8年)1月竣工 ↓2022年6月訪問 西側完全閉塞。東側からのみアプローチ可能、だが… 中腰で100m超辿らないと辿り着けない。並大抵の 精神力と根性では到達できない完全誰徳物件。生ま れ変わっても2度と行かないw 隅石がある |
|
- | no photo | 桜上橋梁 | - | - | - | - | - | - | 2連 | 1.21m (4尺) |
- | 残存可能性:極低→消滅判定 1874年(明治7年)12月竣工 2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない |
59 | 荒池橋梁 | 半円 | ? | 水路 | 不明 | 乱石 | 挟まれ | 1連 | 0.91m (3尺) |
1874年(明治7年)12月竣工 ↓2022年6月訪問 東側は痕跡を見いだせず(机上調査) 西側のコインパーキングに机上にて鉄板を確認。現地に て鉄板を開けてみると水路を確認。奥に煉瓦アーチを 発見した |
||
- | no photo | 原田橋梁 | - | - | - | - | - | - | 2連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:判定不能 1874年(明治7年)12月竣工 西側はキコーナJR吹田駅前店建設改修により現地改変 東側には痕跡を見いだせず(いずれも机上調査) |
吹田駅~東淀川駅~新大阪駅間 | ||||||||||||
※未調査 | ||||||||||||
新大阪駅~大阪駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 青場川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.82m (6尺) |
- | 残存可能性:極低→消滅判定 1875年(明治8年)5月竣工 2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない 想定地は完全に淀川の中。淀川拡幅に飲み込まれて 消滅したと思われる |
60 | 樋口橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 不明 | 整石 | 片出 | 1連 | 4.55m (15尺) |
坑門はコンクリ補修されている 一部鋼アーチ支保工で補強されている |
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- | no photo | 奥殿坊橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:極低 1875年(明治8年)2月竣工 想定地は車道BKと人道BKが隣合わさる所。法面コン クリ壁化の際に消滅したか、埋没したか… |
大阪駅~塚本駅~兵庫県境 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
JR環状線 | ||||||||||||
桜ノ宮駅~京橋駅間 | ||||||||||||
61 | 池下藤架道橋 | 欠円 | 4 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 挟まれ | 1連 | 改修が著しく、元の姿がよく分からない。 欠円アーチが暗渠内部に柱のように残る |
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京橋駅~新今宮駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
新今宮駅~今宮駅間 | ||||||||||||
62 | 今宮井路架道橋 | 半円 | ? | 人道 | ? | 煉瓦 | 挟まれ | 1連 | 隅石を備える 全体を白く塗られている。環状線内で現状唯一の まともな煉瓦アーチと思われる |
|||
今宮駅~桜ノ宮駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
JR片町線(学研都市線) | ||||||||||||
京橋駅~~~寝屋川公園駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
寝屋川公園駅~星田駅 | ||||||||||||
- | (仮)大谷橋梁 | 石桁 | - | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | - | この近辺では珍しく側壁が煉瓦積み 基礎煉瓦を迫り出させている 寝屋川公園側は暗渠化している 2024年4月訪問 |
||
星田駅~河内磐船駅間 | ||||||||||||
63 | (仮)星田北橋梁 | 半円 | 4? | 水路 | 煉瓦 | 不明 | 片出 | 1連 | 不明 | 不明 | 廃水路で片側は埋戻し。アーチ環4層まで視認可能 マンション側は完全消滅 2014年5月訪問 |
|
河内磐船駅~津田駅間 | ||||||||||||
- | (仮)寺橋梁 | 石桁 | - | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | - | 東側はBKにて拡幅されている 谷積みの切石擁壁の下部にある。小口積みの切石坑 門、江戸切りの太めの石桁を擁する 切石の翼壁も備える 2014年5月訪問。2024年4月再訪 |
||
64 | (仮)神宮寺橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
1.30m | 要石がある この規格で要石があるのは大変珍しい 2014年5月訪問 |
|
65 | (仮)東倉治橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 整石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
1.23m | 2014年5月訪問 | |
津田駅~藤阪駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
藤阪駅~長尾駅間 | ||||||||||||
66 | (仮)藤阪南町橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
2.85m | 要石がある かなりの縦長物件 |
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長尾駅~京都府境間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
阪急千里線(旧東海道本線区間) | ||||||||||||
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
吹田駅(厳密には過ぎてから)~下新庄駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 塚本橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.52m (5尺) |
- | 残存可能性:極低→消滅判定 1874年(明治7年)10月竣工 2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない 旧線は現行路線とは外れた位置にあった |
- | no photo | 足洗橋梁 | - | - | - | - | - | - | 2連 | 1.21m (4尺) |
- | 残存可能性:極低→消滅判定 1874年(明治7年)11月竣工 2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない 旧線は現行路線とは外れた位置にあった |
67 | 鴨沢橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 乱石 | 整石 | 両出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
1874年(明治7年)9月竣工 アーチ環に竪積みの技法が見られる 隅石あり 2022年6月現在、高架化工事が進行中で、既に工事 の囲いの中。残置の可能性は低い |
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下新庄駅~淡路駅間 | ||||||||||||
68 | 下久野橋梁 | 半円 | 2 | 元 水路 |
煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
1875年(明治8年)5月竣工 ↓2022年6月訪問 ここ何年も追い求めながら、条件が悪く出会えな かった物件。残存は東側のイメージだったが、西側 を確認。元々西側は見えなかったはずだが、高架 化工事の過程で露出したのではないか。東側の 方は現在も確認が取れない アーチ環の小口に楔形の煉瓦を使用し、交互に焼過 煉瓦を挟むなど、趣向を凝らしている 是非残置展示化をお願いしたい |
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阪急京都線(旧東海道本線区間) | ||||||||||||
淡路駅~崇禅寺駅~南方駅(厳密には手前まで)間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
南海本線 | ||||||||||||
南海難波駅~~~天下茶屋駅~~~鳥取ノ荘駅間 | ||||||||||||
※未探索未発見 | ||||||||||||
鳥取ノ荘駅~箱作駅間 | ||||||||||||
69 | 小原川橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 大阪湾に面している 天端が傾斜している 洞床に降りるのが困難 小口とアーチ環に焼過煉瓦を配している |
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70 | 花折川橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 大阪湾に面している 水深がそこそこある 煉瓦の色がまちまちで統一感がない |
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71 | (仮)貝掛西橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 細高い2層巻きアーチ 大阪湾に面している 煉瓦の色がまちまちで統一感がない |
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72 | 久堀川橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 大阪湾に面している 水深があって近寄れない 煉瓦の色がまちまちで統一感がない |
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箱作駅~淡輪駅間 | ||||||||||||
73 | (仮)箱作橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 拡幅なのか、内部アーチに整列した長手積み アーチが一列巻いてある。そのアーチ両側とも通常 の煉瓦アーチ |
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74 | 田山川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 煉瓦アーチ同士で拡幅の跡がある 片側はさらにコンクリアーチにて拡幅されている |
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淡輪駅~~~和歌山県境間 | ||||||||||||
※未探索未発見 | ||||||||||||
南海高野線 | ||||||||||||
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
天下茶屋駅(以北は南海本線に分類)~~~狭山駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
狭山駅~大阪狭山市駅間 | ||||||||||||
75 | 第40号橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | イギリス積み煉瓦の翼壁がある 片側はコンクリアーチにて拡幅されている |
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76 | 第41号橋梁 | 欠円 | 4 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | イギリス積み煉瓦の翼壁がある 片側はコンクリ欠円アーチにて拡幅されている 一応車両だが車種を選ぶ |
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77 | 狭山里道橋梁 | 半円 | 4 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | イギリス積み煉瓦の翼壁がある 片側はコンクリアーチにて拡幅されている |
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78 | 第42号橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | イギリス積み煉瓦の翼壁がある 片側はコンクリアーチにて拡幅されている |
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79 | 狭山里道架道橋 | 欠円 | 5 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | イギリス積み煉瓦の翼壁がある 迫受石がある |
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80 | 第43号橋梁 | 半円 | 4 | 人道 水路 |
煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | イギリス積み煉瓦の翼壁がある 片側はコンクリアーチにて拡幅されている |
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81 | 東除川橋梁 | 半円 | 不明 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 希少な関西私鉄のねじりまんぽ アーチ環がコンクリ補修されている |
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大阪狭山市駅~金剛駅~滝谷駅~千代田駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
千代田駅~河内長野駅間 | ||||||||||||
82 | 第47号橋梁 | 半円 | 5 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | ※1 | 1連 | ※1:西側未確認 床面に煉瓦積みインバートあり 内部側壁に床板を乗せられる煉瓦製の突起 がある |
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河内長野駅~~~和歌山県境間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
南海高野線(旧線) | ||||||||||||
天見駅~和歌山県境間 | ||||||||||||
83 | (仮)島の谷橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 旧線に残る現状唯一の煉瓦アーチ | |||
近鉄長野線 | ||||||||||||
古市駅~~~汐ノ宮駅間 | ||||||||||||
※未発見未探索 | ||||||||||||
汐ノ宮駅~河内長野駅間 | ||||||||||||
84 | (仮)桜橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | ||||
阪神なんば線(阪神西大阪線から改称) | ||||||||||||
大坂難波駅~~~伝法駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
伝法駅~福駅間 | ||||||||||||
85 | 溝橋第11号橋梁 | 半円? | 5 | 人道 | 不明 | 不明 | 両出 | 1連 | 当方訪問時には残念ながら既に煉瓦視認不能に | |||
福駅~~~大物駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
関西本線(旧線) | ||||||||||||
河内堅上駅~奈良県境間 | ||||||||||||
86 | (仮)峠橋梁 | 欠円 | 3 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | 1.52m (5尺) |
1.83m | 北側側壁はコンクリ補修されている。 アーチ形状が緩く、函渠に近い構造。 |