愛知県 | ||||||||||||
JR東海道本線 | ||||||||||||
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
岐阜県境~木曽川駅間 | ||||||||||||
1 | 西本郷橋梁 | 半円 | 4 | 人道 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
1887年(明治20年)3月竣工。人道兼用の表記 | ||
2 | 第2勅使橋梁 | 欠円 | 5 | 車道 人道 |
整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 迫受石がある 鉄道庁の資料では勅使橋梁12尺 |
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木曽川駅~尾張一宮駅~稲沢駅~清洲駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
清洲駅~枇杷島駅間 | ||||||||||||
3 | 古城橋梁 | 半円 | 3? | 水路 | ? | 整石 |
挟まれ | 1連 | 1.82m (6尺) |
1886年(明治19年)3月竣工 深くて内部に入れなかった 東寄りの内部側壁はコンクリート、西寄りは石積みと 思われる |
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4 | 第2五畝割橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 「五畝割」は「ごせわり」と読む 鉄道庁の資料では五畝割避溢橋12尺というのが あるが、この橋梁に該当する物件の記載がない 片側はBK、もう一方は坑門、内部側壁がコンクリート 補修をうけている |
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5 | 第1五畝割架道橋 | 半円 | 4 | 車道 | 整石 | 整石 | 挟まれ | 1連 | 「五畝割」は「ごせわり」と読む 鉄道庁の資料では五畝割避溢橋12尺というのが あるが、この橋梁に該当する物件の記載がない 片側はBK、もう一方はCアーチにて拡幅されている |
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枇杷島駅~名古屋駅間 | ||||||||||||
6 | 川口橋梁 | 半円 | 3 | 人道 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 同名の橋梁が鉄道庁の資料に存在するが、それは 12尺の避溢橋。これは別物で、後年物と思われる 片側の坑門、内部側壁はコンクリート補修を受けて いる |
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名古屋駅~尾頭橋駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
尾頭橋駅~金山駅間 | ||||||||||||
7 | 江川架道橋 | 欠円 | ? | 人道 車道 |
不明 | 整石 | 挟まれ | 2連 | 3.64m (12尺) |
1886年(明治19年)3月竣工 両坑門ともに改修が著しい 迫受石がある |
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- | no photo | 宮街道橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 約 14尺 |
- | 残存可能性:極低→消滅判定 1886年(明治19年)3月竣工、跨線人道橋として鉄道 庁の資料に存在するが、消滅したと思われる |
金山駅~熱田駅~笠寺駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
笠寺駅~大高駅間 | ||||||||||||
8 | 乙下塩田橋梁 | 欠円 | 不明 | 水路 | 不明 | 整石 | 挟まれ | 1連 | 3.03m (10尺) |
西側は埋没している 迫受石がある 鉄道庁の資料では「下鹽田橋梁」10尺の表記あり 甲乙どちらの物件かあるいはそうではないのか不明 現行東海道本線と新幹線路線の真ん中に残ってい る印象 |
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9 | 甲下塩田橋梁 | 半円 | 不明 | 水路 | 不明 | 整石 | 挟まれ | 1連 | 3.03m (10尺) |
2.50m | 鉄道庁の資料では「下鹽田橋梁」10尺の表記あり 甲乙どちらの物件か、あるいはそうではないのか不明 現行東海道本線と新幹線路線の真ん中に残ってい る印象 |
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大高駅~南大高駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
南大高駅~共和駅 | ||||||||||||
10 | 雁波池橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 整石 | 整石 | 挟まれ | 1連 | 1.21m (4尺) |
- | 残存可能性:残存確定(宮川さんより報告) 現地未確認 航空写真でかなり怪しいポイントは確認できた 後はアプローチ方法だが… (2016年12月訪問) 1885年(明治18年)2月竣工 挟まれだが東側坑門の一部が視認できる |
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共和駅~大府駅 | ||||||||||||
- | no photo | 中根橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.21m (4尺) |
- | 残存可能性:中 1885年(明治18年)12月竣工 大府駅開発で電子地図上では確認不能 現地未確認 鞍流瀬川から路線に伸びそうな暗渠を地図で確認 |
大府駅~逢妻駅 | ||||||||||||
- | no photo | 横根川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 2.42m (8尺) |
- | 残存可能性:低 1887年(明治20年)9月竣工 北側は完全消滅。南側は未確認だが航空写真では 消滅しているように見える |
- | no photo | 四ヶ村川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 2連 | 3.64m (12尺) |
- | 残存可能性:極低 1887年(明治20年)11月竣工 電子地図では残存しているように見えるが、航空 写真では明らかに改修されている |
逢妻駅~刈谷駅 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
刈谷駅~野田新町駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 薬師川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 3.64m (12尺) |
- | 残存可能性:極低 1887年(明治20年)8月竣工 BKに改修済みと思われる。 |
- | no photo | 陣屋下橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.21m (4尺) |
- | 残存可能性:極低 1887年(明治20年)9月竣工 BKに改修済みと思われる。 |
野田新町駅~東刈谷駅間 | ||||||||||||
11 | 地蔵山橋梁 | 半円 欠円 |
3 不明 |
水路 | 整石 | 整石 | 方出 | 1連 | 1.21m (4尺) |
1887年(明治20年)8月竣工 北側:アーチ環頭頂部に竪積みあり。床面は石張り 南側:欠円アーチで迫受石がある。床面はインバートの ままで煉瓦積み |
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東刈谷駅~三河安城駅間 | ||||||||||||
12 | 時ヶ堀橋梁 | 半円 欠円 |
3 4 |
水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.21m (4尺) |
1887年(明治20年)9月竣工 北側:床面が石張り 南側:4尺の欠円アーチで4層巻は特異。床面は インバートのままで煉瓦積み |
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三河安城駅~安城駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
安城駅~西岡崎駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 小藪橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.21m (4尺) |
- | 残存可能性:低 1888年(明治21年)5月竣工 乙小藪橋梁がBKで存在するが、甲が見当たら ない |
- | no photo | 背戸田橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 1.82m (6尺) |
- | 残存可能性:低 1888年(明治21年)6月竣工 人道にて背戸田橋梁が石橋台で存在するが、 これがそうなのか定かでない 東側にBK水路と埋められた水路跡がある |
13 | (仮)天神橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.21m (4尺) |
1.65m | 鉄道庁の資料にない物件 | |
西岡崎駅~岡崎駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 愛宕川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 2.42m (8尺) |
- | 残存可能性:中 1888年(明治21年)6月竣工 両側とも真新しいコンクリで暗渠化している 水路を遠くから辿れば或は… |
14 | 宮前橋梁 | 半円 欠円 |
不明 | 廃 人道 |
不明 | 整石 | 挟まれ | 1連 | 1.82m (6尺) |
1888年(明治21年)4月竣工 北側:半円アーチ 南側:欠円アーチで迫受石がある 両側ともフェンス・鉄格子封鎖されている |
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- | no photo | 裏邊川橋梁 | - | - | - | - | - | - | 1連 | 3.64m (12尺) |
- | 残存可能性:極低 1888年(明治21年)3月竣工 現在のBK「六ッ名橋梁」の辺りか |
15 | 変更 池田橋梁 |
半円 | 3 | 廃 水路 |
整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
- | 残存可能性:低→確定(こばやしさん発見報告) 1887年(明治20年)11月竣工 当たりを付けて探ったがどこにあるのかさっぱり 分からない ↓2023年12月訪問 廃されてはいるが、辛うじて南側の坑門が視認でき た。内部も一応撮影に成功した |
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岡崎駅~相見駅間 | ||||||||||||
16 17 |
new 岡3下水橋梁 |
半円 | 2 | 水路 | 整石 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | m (尺) |
掲示板情報(どなたか失念)によりその存在を確認 ホームから確認した所、2つのホームの内側でそれぞれ 1基づつ確認できた。両方とも外側ではアーチが視認 できなかった 小さすぎる物件で、目測で2尺もない。接近は不能 鉄道庁の資料では岡崎停車場の傍に、下水で土取 橋梁というものが1尺6寸で記載があり、これのことの 可能性もある。土取もこの辺りの地名で残る (岡崎市柱町土取) 2023年12月訪問 |
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18 | 山田下橋梁 | 半円 | 4 | 人道 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
1.76m | 1887年(明治20年)8月竣工 東側坑口のアーチ環両斜め上に竪積みあり また、アーチ環の小口面に、○に「I」「B」「D」の刻印 あり 西側坑口のアーチ環頭頂部上部に、縦積みの切石が 5個並んでいる。アーチ環が白くペイントされている |
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19 | (仮)下丸池橋梁 | 半円 | 2 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 0.91m (3尺) |
1.40m | 鉄道庁の資料にない物件 | |
- | no photo | 変更 蒲橋梁 |
- | - | - | - | - | - | 1連 | 2.42m (8尺) |
- | 残存可能性:中 1888年(明治21年)5月竣工 相見駅新設に伴う周辺の開発が著しく、完全暗渠化 した模様。西側の貯水池から辿れそうだが… ↓2023年12月訪問 西側が潜入不能な為、東側の暗渠を辿ってみたが、 到着したのは北側の四十五間橋梁(石橋台開渠) だった。蒲橋梁は、相見川からの取水と判断したが、 潜入できない構造であった為、アプローチはお手上げ となった |
相見駅~幸田駅間 | ||||||||||||
- | new (仮)菱池前田橋梁 |
石桁 | - | 水路 | 整石 | 整石 | ? | 2連 | - | - | こばやしさん発見報告有! ↓2023年12月訪問 西側が露出。東側未確認 |
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- | (仮)芦谷橋梁 | 石桁 | - | 水路 | 整石 | 整石 | ? | 1連 | - | - | 西側は坑門が出ている。東側未確認 | |
- | (仮)幸田橋梁 | 石桁 | - | 水路 | ? | 整石 | ? | 1連 | - | - | 幸田駅直下にある 西側は土管で拡張。東側未確認 |
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幸田駅~三ヶ根駅~三河塩津駅~蒲郡駅~三河三谷駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
三河三谷駅~三河大塚駅間 | ||||||||||||
20 | 硯川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 方出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.85m | 1888年(明治21年)3月竣工 床面はインバートのままで煉瓦積み アーチ環の小口面に、○に「I」「F」「D」の刻印あり |
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21 | 宮川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
1.84m | 1888年(明治21年)6月竣工 床面はインバートのままで煉瓦積み 中央部にコンクリート歩道?あり |
|
22 | 神田川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 3.03m (10尺) |
3.20m | 1888年(明治21年)6月竣工 床面はインバートのままで煉瓦積み 南側坑門アーチ環頭頂部、及び両斜め上の計3か所 に竪積みあり |
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三河大塚駅~愛知御津駅間 | ||||||||||||
23 | 谷川橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 2.42m (8尺) |
2.57m | 1888年(明治21年)6月竣工 床面はインバートのままで煉瓦積み |
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24 | 廣畑橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 3.03m (10尺) |
3.01m | 1888年(明治21年)6月竣工 床面はインバートのままで煉瓦積み |
|
25 | 半合橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 3.64m (12尺) |
2.55m | 1888年(明治21年)6月竣工 南側坑門アーチ環頭頂部、及び両斜め上の計3か所 に竪積みあり |
|
26 | 大森橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
2.02m | 1888年(明治21年)5月竣工 内部側壁下半分がコンクリで補強されている |
|
愛知御津駅~西小坂井駅間 | ||||||||||||
27 | (仮)玉袋橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | C 改修 |
整石 | 方出 | 1連 | 1.21m (4尺) |
0.90m | 1888年(明治21年)5月竣工 鉄道庁の資料にあるものの名前がない特殊な物件 |
|
28 | 九作橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 1.82m (6尺) |
2.40m | 1888年(明治21年)5月竣工 北側坑門アーチ環頭頂部、及び両斜め上の計3か所 に竪積みあり |
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西小坂井駅~豊橋駅間 | ||||||||||||
- | no photo | 篠見原橋梁 | - | - | - | - | - | - | 2連 | 1.82m (6尺) |
- | 残存可能性:極低→消滅判定 1888年(明治21年)7月竣工 豊川放水路新設に伴い消滅の可能性大 新線側にBKで篠見原橋梁の名が残る |
29 | 横須賀橋梁 | 半円 | 不明 | 廃 人道 |
不明 | 整石 | 挟まれ | 1連 | 1.82m (6尺) |
1.70m | 1887年(明治20年)12月竣工 厳密には現在JR飯田線の直下にあるものと思われ る。旧東海道本線の路線を転用した模様 両側とも鉄格子封鎖されている |
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豊橋駅~二川駅間 | ||||||||||||
- | (仮)岩下橋梁 | 石桁 | - | 水路 | 整石 | 整石 | ? | 1連 | - | - | 北側未確認 | |
二川駅~静岡県境間 | ||||||||||||
- | (仮)二軒屋橋梁 | 石桁 | - | 水路 | - | 整石 | ? | 2連 | - | - | 南側未確認 | |
JR中央本線 ※名称は昭和8年中央本線各駅配線略図並線路縦断面図より |
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名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
金山駅~鶴舞駅~千草駅~大曽根駅間 | ||||||||||||
※未発見未探索 | ||||||||||||
大曽根駅~新守山駅間 | ||||||||||||
30 | 下流橋梁 | 半円 | 4 | 廃 人道 水路 |
煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | (仮)新守山橋梁 人道にも使用されていたようだがフェンス封鎖されて いる アーチ環、笠石部は焼過煉瓦を使用している 内部アーチと側壁結合部(スパンドレル)に焼過煉瓦を 使用している |
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31 | 第1守山架道橋 | 半円 | 5 | 車道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | 縦断面図では第一守山 アーチ環、笠石部は焼過煉瓦を使用している 内部アーチと側壁結合部(スパンドレル)に焼過煉瓦を 使用している |
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- | no photo | 第2守山架道橋 | - | - | - | - | - | - | - | m (尺) |
- | 縦断面図では第二守山 残存可能性:BKに改修済み 西側の翼壁はオリジナルと思われる |
- | no photo | 第3守山架道橋 | - | - | - | - | - | - | - | m (尺) |
- | 縦断面図では第三守山 残存可能性:桁橋に改修済み 西側の翼壁はオリジナルと思われる 縦断面図では元々開渠と拱渠複合であった ようだ |
新守山駅~勝川駅間 | ||||||||||||
32 | 堤下橋梁 | 半円 | 4 | 廃 ? |
煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | ホームレスのお屋敷化していて、元の使途は不明 一応小さなBKと接続しているようだ |
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33 | 長田橋梁 | 半円 | 4 | 人道 | 煉瓦 | 煉瓦 | 片出 | 1連 | (仮)長塚町橋梁 |
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勝川駅~春日井駅(旧鳥居松駅)~神領駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
神領駅~高蔵寺駅間 | ||||||||||||
- | no photo | NEW 高蔵寺橋梁 |
- | - | - | - | - | - | - | m (尺) |
- | 残存可能性:中 高蔵寺駅すぐ西側の水路が該当するものと 思われる。複数の線路が横断するが、一部 で残存の可能性あり |
高蔵寺駅~~~岐阜県境間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
JR武豊線 | ||||||||||||
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
大府駅~尾張森岡駅間 | ||||||||||||
34 | (仮)甲石ヶ瀬橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | C | 整石 | 不明 | 1連 | 西側確認できず 水深あり、内部の確認もできず 東側坑門はC改修されている |
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35 | (仮)乙石ヶ瀬橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | ||||
36 | 下田面橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | ||||
尾張森岡駅~緒川駅~石浜駅~東浦駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
東浦駅~亀崎駅間 | ||||||||||||
37 | 下丑新田橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | ||||
38 | 庵立橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 整石 | 整石 | 片出 | 1連 | 管理用の通路みたいなのがある | |||
亀崎駅~乙川駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
乙川駅~半田駅間 | ||||||||||||
- | 川向橋梁 | 半円 | - | 水路 | C | C 整石 |
両出 | 1連 | 西側坑口内部側壁に切石が見える 元々煉瓦アーチを改修し東側に拡張したのかどうかは 判然としない 鉄道庁の資料では木桁4尺 |
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39 | 上濱新田橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | ||||
40 | 南前橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | ||||
41 | 北濱田橋梁 | 半円 | 4 | 人道 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | 落書きが酷い | |||
半田駅~東成岩駅間 | ||||||||||||
42 | 前潟橋梁 | 半円 | 3 | 水路 | 整石 | 整石 | 両出 | 1連 | ||||
東成岩駅~武豊駅間 | ||||||||||||
※未発見 | ||||||||||||
名鉄津島線 | ||||||||||||
名称 | アーチ 形状 |
巻厚 | 利用 形態 |
坑門 | 側壁 | 状態 | 径間 数 |
径間 長 |
高さ (実測) |
特記 | ||
須ヶ口駅~~~七宝駅間 | ||||||||||||
※未探索 | ||||||||||||
七宝駅~木田駅間 | ||||||||||||
43 | (仮)蟹江川東橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | m (尺) |
m | オーソドックスな煉瓦アーチ 水深があって中に入れない |
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44 | (仮)蟹江川西橋梁 | 半円 | 4 | 水路 | 煉瓦 | 煉瓦 | 両出 | 1連 | m (尺) |
m | オーソドックスな煉瓦アーチ 内部の大部分をBK暗渠により占拠されている |
|
木田駅~~~津島駅間 | ||||||||||||
※未探索 |