伊世賀美隧道


愛知県


 


                   2013年2月訪問

 およそ3年半前のネタを投下致します。
 場所は愛知県豊田市明川町。
 超絶有名物件ですが、ネットでは心霊スポット
としての側面が強い感じがします。
 当方は土木遺産的価値の側面から訪問させて
頂いておりますので、レポはそういった内容になり
ます。

 これが国道153号線現役の伊勢神隧道。この現役隧道でも格調の高さが窺えます。
 
 
伊勢神トンネル 
 全国道路トンネルリストでは、 
1960年(昭和35年)竣功 延長1245.0m 幅員6.8m 高さ3.7m

 となっております。このトンネルでも既に56年経過しております。
 要石と迫石、笠石には江戸切りの切石を使用、坑門は布積み切石調のパネル張りではないでしょうか。内部はコンクリだと
思われます。 


 西側の扁額です。伊勢神隧道 昭和35年春 岸 道三 書 とあります。
 
 岸 道三氏はwikipediaによると、実業家・財界人で、日本道路公団初代総裁だそうです。
 なるほど。
 因みに東側の扁額も岸道三氏の揮毫のようです。
 

 内部は昭和以降の隧道らしくコンクリート巻きです。
 しかしここもそろそろ手狭な感じがしますねえ。次世代トンネル案は出てないんでしょうか…と思ったら、出てました。
 伊勢神改良という名で、平成24年度事業化で10年後供用を目指している模様です。
 ここも3世代トンネルが生まれるわけですな。

 因みにこちらが東側坑門です。
 新トンネルができたらこの1kmオーバーの昭和トンネルはどうなるんでしょうねえ。 

 はい。で、こちらが明治伊勢神隧道です。初代ですな。立派ですねえ!素晴らしい!
 心霊スポットになっているのは少々残念ですが…。それ以上に落書きだけは勘弁して頂きたいですねえ。

 
伊世賀美隧道(伊勢神隧道)
 隧道データベースでは、
1901年(明治34年)竣功 延長310.0m 幅員3.1m 高さ3.2m
 全国道路トンネルリストでは、
1897年(明治30年)竣功 延長308.0m 幅員3.2m 高さ2.5m

 少々誤差があるようですが、竣功は1897年(明治30年)というのが一般的なようです。

 オール切石の超重厚な坑門。内部も全て切石積みということで大変貴重な土木遺産です。
 両脇のピラスター(柱)と笠石、帯石を有する典型的な冠木門タイプの坑門です。
 ピラスターの両脇一段下がった形で翼壁が存在します。
 で、注目すべきは迫石。これが2層になっています。これは車道隧道では大変珍しいです。
 今思い出せる2層の坑門はこれです。

 長野県は篠ノ井線の(仮)八幡峰橋梁です。ここ以外に見た事があるかどうかは思い出せません。

 西側坑門の扁額です。
 「伊勢神」ではなく、「伊世賀美」となっています。
 左側の文字は位階と人名なんでしょうか?西側では全く判別できませんでしたが、この後、東側でどなたか判明することに!
 さらに、当時は気が付かなかったんですが、扁額下の帯石部に起工年度と竣功年度が記載されている模様です。(しまった…)

 内部です。やはり落書きが…orz
 ここまで落書きの酷い石アーチ隧道にはなかなかお目に掛かれません。本当にやめて下さい〜(泣)
 照明設備ですな。つららが垂れています。
 明治隧道に照明設備が付いているのも結構珍しい
気がします。
 まあ、もう2度と付かない感じですが。

 西側坑門を振り返り。
 おろろんさんとエクストレイルです。降雪があったんですねえ〜(←覚えてないw)

 で、面白いのがこの伊世賀美隧道、途中から洞内が一回り広くなります。そう、恐らく迫石一個分広くなっているのではないで
しょうか。
 ということはこの2層の迫石の内、内側の1層は補修の為に増設したのではないでしょうか。
 石アーチに石アーチで巻き足すなんて、なかなかの発想です。(増設は当方の勝手な推測です)

 こうして見るとよく分かります。
 本当に迫石一個分の差ですよねえ。巻き足しやと思うんですがねえ。
 それか後年巻き足しではなく、建設時により強化したい場所限定で2層にしたのかもしれません。

 一層分広くなった洞内。凄いですねえ!果てしなく石積みアーチが続いています。
 路面は…未舗装でしょうか。水路の溝が走っているような形跡があります。
 広くなったとはいえ、これでは普通車のみ&交互通行がやっとですな。

 また一回り小さくなります。石積みに石積みの覆工…?

 ここでおろろん号が到着。長いので、ここでライドインです。

 ここはコンクリアーチで補強されているようです。
 ここは落書きが酷いです。石積みにも落書きはあったんでしょうが、そこだけは消しているようです。

 東側坑口です。外は積雪があり、反射がきつくなっております。

 東側坑口より振り返り。
 この延長で総石積みアーチは圧巻ですな!
 落書きを一生懸命消した跡があります。はあ…

 東側はまさかの接写なし…。少し引きの映像で…
 左側の坑門が少し欠けております。で…街灯と電柱、引っ付き過ぎっす!!

 さあ!東側の扁額です!
 西側に比べてややはっきりした字体で彫られているため、画質の荒さは変わらずも何とか判読できました!
 
 
正四位 時任 為基 と彫られているようです。
 
 時任為基氏はwikipediaによると、1842年(天保13年)5月−1905年(明治38年)9月1日、内務官僚、政治家です。
 なんとあの時任三郎さんは子孫だそうです。
 鹿児島藩出身で、1892年(明治25年)8月20日から1897年(明治30年)11月13日まで愛知県知事をされています。
 伊世賀美隧道は1897年(明治30年)11月竣功なんで、在任期間にぎりぎり間に合った感じですね!
 亡くなられた1905年(明治38年)9月1日に正三位となったそうです。生前のその時期は正四位だったんでしょうか。

 こちらも2層迫石の重厚なアーチです。
 重厚なピラスターが良い雰囲気です。 

 総切石造りの重厚な伊世賀美隧道は、100年以上経過しても変わらず車両を通し続けておりました。
 真冬の薄っすら雪化粧もまた美麗でした!