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。。。前半戦最後に目撃したもの。。。
いきなりそっちをレポすると後が続かないので、逆再生
でお送りさせて下さい。
写真は、上マピオンにある通り、行きしなに迷い込んだ
二本松林道の途中地点です。
「ある」ポイントを脱出すると、ここに出てきました。。。
さて、わかりにくいかも知れませんが、無理矢理ご了承
頂きまして、ここからスタート致します。 |
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二本松林道から見える堰堤。本当にただの堰堤です。
昭和62年の治山事業でできた堰堤のようです。
標高304mですって。。。意外と高いです。 |
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堰堤前まで来て振り返り(逆再生の予定なかったので、
ストーリー上振り返り画像多いです。。。)
とにかく、こちらから何かを求めて進入することは有り得
ない、道路遺構など何の痕跡も無い場所を進みます。 |
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堰堤の上から、奥を撮影。少し広い空間が広がり、堰堤
の先なら当然水の道がありそうなのに、水の気配は一切
ない、謎の空間が広がっています。
写真真ん中下の影は私だったりします。。。 |
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それなりの大きさを有する堰堤です。
そう、ただ、堰堤です。 |
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奥側より堰堤を望む。
長年堆積した土砂が水の道を断ち切ったような感じで
しょうか。堰堤と近い高さまで堆積しています。 |
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(これも振り返り撮影)
堰堤の奥になると谷筋はV字に収束し、急勾配と
なっていくケースが多いように見受けられますが、ここは
比較的なだらかな、フラットとも言えそうな、道筋とも捉え
られそうな空間が広がります。 |
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そのフラットな空間もさすがに長くは続かず、急勾配に
差し掛かります。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。
ここで異なものを目にします。。。
確かに急勾配で、道筋など存在し得ない場所なのです
が、明らかに人為的な石組みがあるのです。
ナンなんでしょう?これだけ自然に還っていると訳が
分かりません。
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石垣の右手から急勾配を登りました。
あの石垣から車道になり得そうな道筋はありませんで
したので、かつて道があったとしたなら人道ではないで
しょうか。 |
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!!!!!!
それは何の前触れもなく現れました。。。。
急勾配にあるすこしフラットな場所に忽然と口を開ける
その姿。。。なんなんだ。。。車道じゃないよ絶対。。。 |
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既に向こう側が見えている短い隧道ですが。。。
こんなところに穴が開いている情報は全く得られておら
ず、何者なのか。。。完全素掘りの隧道です。 |
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こ、これは。。。
直感的に相当に古いものではないか、と思わせる洞内
です。鑿(ノミ)の跡らしきものが洞内にびっしり残ってい
ます。
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振り返り撮影。
この先に道はなく、急傾斜で、先ほどの石垣のところに
辿り着きます。
車道、あるいは馬車道として掘られたのであれば、それ
なりの道筋があってもいいと思うのですが。。。
発見できませんでした。 |
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入洞してすぐ左手にある謎の切れ込み。。。
ナンでしょうかこの窪みは。。。
間違って掘ったのか、お地蔵様などを安置するために
掘ったのか。。。謎です。 |
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もう少し奥からのショット。
その洞内は明らかに手掘り感が、素人目にもはっきり
分かります。(本当の所は分かりませんが。。。)
この長さの隧道で、こういう火薬感のしない物件は関西
では少ないと思います。
京都府の「須川隧道」は完全手掘りと言われており、和
歌山の「細川柱本隧道」は火薬が使用されている可能性
がある、ぐらいで他には知りません。 |
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反対側は完全封鎖されています。それは何故か。。。
少し坑口は土砂が堆積したようで、盛り上がっていま
す。 |
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封鎖は木材を使用しています。えらい珍しい気がしま
す。ちゃんと中央は扉になっており、施錠されているもの
の、出入りが可能となっています。 |
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ここから出られないので、一旦戻ります。
本当に、道ないなあ。。。 |
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幸いこの隧道上の峰は相当に低く、10mない程度で
す。
直登すると峰上に見覚えのある標識が。。。
そう、七三峠から車道に降りる際に通った登山道であ
りました。
この隧道は七三峠に程近い位置に存在したのです。
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車道側に出ました。。。
実は車道から余裕で見える場所に反対側坑口がある
のでした。。。
前半戦の最後で驚愕したのはまさにこの光景を目撃し
たからに他なりません。
最初は、自然か人工かは別にして単に少し穴が開い
ている程度だと思っていました。 |
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それが良く見ると貫通しておるのですからびっくりで
す。周りは法面工事が行われているのに、何でここだけ
残っているのだろう。。。
神戸市森林設備事務所管理のようですが。。。 |
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中を初めて覗いて。。。言葉を失いました。。。
全くよく分からない隧道です。
行く先が不明であり、あるのは堰堤のみ。まさか、堰堤
工事の時に掘られた近代隧道なのでしょうか???
それはない、ないと思いたい。明治期に村民の手で掘
られた、などと思いたい。。。
実際分かりません。
どうですか?この隧道の掘り方は。。。?(すでに丸投
げ。。。) |
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一度は法面覆いが隧道上部にも為されていたようです
が、崩れています。
それでも埋め戻されずに残る理由は。。。 |
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謎が謎を呼んだ状態で帰路に着くしかありませんでし
た。
最後に、本来二本松林道から極楽谷林道に入らなけ
ればならなかった、分岐地点をご紹介します。
手前のダートが二本松林道で、右に道なりに流れてい
けば帰路につく道。手前側はそのまま二本松林道で、
散々迷ったルートです。
分岐は。。。ずばり、真ん中やや左に立つ案内ポール
の左手の獣道然としたルートになります。こりゃ気付か
ん。。。
ちなみに右手の赤いコーンの見える道は私有地への
道で、封鎖されています。 |
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よく見ると、七三峠方面を指し示しています。
しかしながら、まさか車道から外れるとは考えていな
かったので、完全スルーでした。。。 |
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マピオンでは車道指定された道。。。
こりゃむちゃっす。。。 |
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すぐに車両通行不能区間は終わり、右手にはかつて
施設があったであろう空間が広がっています。
ここが、「神戸学園」というところだったのでしょう。 |
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反対方面を見ますとちゃんと車道は存在し、あの最初
の七三峠トンネルに至ります。
とにかく謎だった後で発見した手掘り隧道。。。
七三峠旧隧道という立場で明治大正昭和初期に穿た
れた隧道であったのか、はたまた、昭和62年に行われ
た治山事業の関連で急遽穿たれた昭和後期トンネルで
あるのか。。。
謎は未だ闇の中。。。 |
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後半戦探索ルート載せときます。 |