船坂トンネル


JR山陽本線 兵庫県上郡駅〜岡山県三石駅間


 


                    2009年4月訪問


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
 およそ6年前のネタを投下します。
 当時の古いデジカメなんで画質はご容赦下さい。
 
 場所は兵庫県と岡山県の県境。
 上郡町と備前市に跨り、国道2号線と山陽本線が
船坂峠を潜ります。
 こちらは国道2号線の「船坂山隧道」です。
 総コンクリート隧道ですが屋根型が特徴的です。
 

 一方鉄道の方は「船坂トンネル」といいます。
 国道隧道は1本ですが、鉄道トンネルはこれまでに3本穿たれてきました。

 こちらは2代目船坂トンネルです。複線化に伴いまるまる1本新たに穿ったようです。うーむ、大変ですな。
 2代目の竣功は1910年(明治43年)。延長は1172mもあります。
 こちらは岡山側坑口。明治製とあって、2代目でも立派な煉瓦坑門です。
 イギリス積み煉瓦坑門、アーチ環は5層巻きの馬蹄型です。ただし、内部側壁部分はコンクリートになっています。
 後年改修した模様です。

 振り向けば彼方にもアーチ環が見えます。
 あれは(仮)船坂跨線水路橋です。7層巻きの立派な水路橋です。
 ズーム撮影。
 なんだか良い雰囲気です。
 ちょっと戻ってきました。
 真っ直ぐ行けば先程の2代目トンネル岡山側坑口。
 そして右手の階段…
 このような階段があり、容易に当時の線路敷きに
降り立つことができます。


 階段からすぐ。目線の先に初代の姿を捉えました!

 初代船坂トンネル岡山県側坑口です。事前情報でうっすら知っていましたが、廃止後なにやら転用されていた模様です。
 現在は明らかにその転用も終了している感じがします。
 何かを運搬する装置が備わっています。
 そういえば、上にこんな遺構が置いてありました。
 このトロッコでなにかしら運搬していた模様です。

 2代目が煉瓦製だったのに対し、初代は切石造りの重厚なものです。
 野太いピラスターが両脇を支え、窮屈な感じで帯石が挟まっています。坑門と胸壁の石積みも非常に窮屈ですねえ。
 それだけピラスターがごついんですね。加えてこの楯状迫石もインパクトがすごい!
 こんな狭い胸壁にもしっかり扁額がありました。
 
 「舩坂隧道 明治廿二年六月 起工」
 
 下段に竣功年月日があるみたいですが、当時は
知らずに確認できませんでした。
 初代は「船」の字が「舩」になってますね。

 隙間から内部撮影。
 煤で真っ黒ですな。光量不足で奥は確認できませ
ん。

 こちら側からでは内部の様子はあまり分かりません。ので兵庫県側に回りたいと思います。

 てなわけで、反対側に回ってきました。
 向かって左が2代目、右側が初代船坂トンネルです。2代目は現役線です。

 写りが最悪の2代目船坂トンネル。こちらも重厚な切石積みとなっています。
 ピラスター、笠石、要石、楯状迫石を備えます。帯石がないですな。

 こちらも写りが悪いすね〜。困ったもんです。
 岡山県側と同じフォルムです。2代目と比較するとやはり重厚感が違いますね〜

 初代と2代目が擁壁を挟んで一体化しています。うまく施工していますねえ。
 昭和34年に開通する3代目ができるまでの間、初代が上り線、2代目が下り線で使用されていたようです。
 こちらにもばっちり扁額があります。
 こちらの写真も上段に起工が、下段に竣功の記載
があるようですが、下段の方が確認できません。
 ローアングルから。切石の一つ一つが重厚で手が
こんでますね。

 内部です。坑門は切石積みでしたが、内部は全て煉瓦巻きとなっています。
 2代目が1172m。この初代も1000mオーバーの長大トンネルとなっています。さて奥はどうなっているのか…
 少し入って振り返り。
 現行線はここからでは見えません。

 もう少し入って振り返り。
 少々の緑と水溜まりに枕木が2本…

 6年前は装備も乏しく、デジカメもライトも頼りない中での突入です。この画像も明度を上げております。
 …うーむ。なかなかの禍々しさです。貧弱なライトで光が明らかに不足…目が闇に支配されます…
 遺構が残ります。
 退避坑です。
 …これは…混ぜ込みの多いコンクリートブロック
 で覆っています。内部もコンクリートのようです。
 改修したんでしょうか。このトンネルの竣功時期を
考えると後年改修だとは思いますが…
 えらいぞんざいな改修に感じます。
 しかし煤け具合が半端ではないですな。
 機関車の時代でしょうから当然ですが…
 2か所目の退避坑です。
 ここはしっかりとしたコンクリート補修がなされて
います。
 振り返り。
 ここまで進んできました。
 左側の側壁はコンクリ補修を受けています。
 …暗すぎて目が痛い…
 これも明度を上げています。当時のコンパクトデジ
カメでは全く歯が立ちません…
 それに湿度も上がってきたので、撮影がますます
困難になってきました…
 3か所目の退避坑。
 これもコンクリ補修を受けています。
 うぬぬぬぬ…これはイカン…
 閉塞トンネル特有のこの湿気が撮影をますます
困難なものにしていきます。
 しょうがないので路面を撮ってみたりします。
 なんか月面みたいですな(笑)
 4ヶ所目の退避坑。少し大きいです。
 これもコンクリ製ですな。
 お、これは碍子が3つとも残っています。
 煤けまくって煉瓦の色が全くありません。
 ???
 何でしょうね、コレ?

 ざく、ざく、ざく………遠い、暗い…
 それでも湿気が多少マシになってきました。しかし、ホンマ異空間です。
 振り返り。
 ここまで奥に入り込みました。
 なんか光の加減がおかしくなっています。
 うーむ、不気味な…
 ずっと明度を上げています。
 まだまだ奥は深そうです。
 この退避坑にはこうもりさんがお住まいです。
 これまた古い補修の跡です。
 混ぜ込みの多いコンクリートでの補修…
 戦前でしょうねえ。
 僅かに残る煉瓦色。
 もう何か所目の退避坑か分かりません。
 ここも深めですな。
 少し砂が溜まっている個所です。
 何でしょうかねえ。
 なにやら複雑な遺構です。
 ここで初めての現象が。
 今まで右にしか開いていなかった穴、というか窪み
ですが、ここにきて初めて左側に穴が出てきまし
た。これは?
 おおおお…
 以外に深い…これは退避坑ではありません。
 この方向は…そう、2代目トンネルの方向です。
 この辺はしっかり煉瓦アーチを見ることができ
ます。
 奥が見えてきましたね…
 閉塞です。
 この坑道は、恐らく2代目掘削時の横坑として利用
されていたんだと思われます。
 完全に埋まっています。
 恐らくすぐ向こうが2代目のトンネルではないで
しょうか。
 閉塞地点から振り返り。
 横坑も煤まみれですな。
 戻ってきました。
 ちょうどこの辺りが半分なんでしょうかねえ。
 500m地点くらい?
 明度上げてるんで変な色合いになっております。
 1000m級はやはり深い…
 僅かに残る煉瓦色。
 こんな奥深くに煉瓦の色を見られるとは思いませ
んでした。
 退避坑で初めて煉瓦を視認できました。
 アーチ部分は相変わらずコンクリートっぽいです
が…
 謎の流出物です。煉瓦の漆喰が流れ出たのか、
石灰性の物質なのか…
 竣功当時からの姿を留めている感じがする退避
坑。2層の半円アーチも薄っすら見える気がします。
 振り返り。
 …遂に脱出口の光も届かなくなりました…
 周囲は漆黒の闇に包まれ、ライトを消すと、目を
閉じても開いてても全く景色の変わらぬ真の闇が
支配します。
 もう頭がおかしくなりそうです…
 …何個あるんだ退避坑…
 コンクリブロックにて補修された退避坑です。
 入洞が13:46分。現在14:24分。
 入洞からおよそ40分。
 突然眼前にライトを反射する物体が現れ、ぎょっと
します。
 な、ななななんだ…あれは…???
 こんな漆黒の闇、何か分からない物がある恐怖。
 それは計り知れぬものがあります。

 なんじゃこりゃ!?
 遂にその姿を現した変な物体。これはいったい?
 直前の退避坑。
 これもコンクリブロックですな。

 おおおお…洞内目一杯使って建物が建っています。
 これは大阪市立大の三石宇宙線観測所だった模様です。現在(2009年4月段階)は使用されていないようですが。
 勝手口?のようなものがあります。
 中覗けるかな?

 内部確認成功。
 何か良くわからない構造になっています。
 見上げます。
 …うーむ、全く何のこっちゃ分かりません。
 とりあえず使われていないのは間違いありませ
んな。
 廃墟は専門外なんで、この辺にしときます。
 建物地点から振り返り。
 やはり光は全く届いておりません。
 1000m級の事実上閉塞トンネルは、実はこれが
初めてです。…いや、もう一件あったな…奈良の
未成トンネル…未レポですが…
 貫通トンネルに比べて段違いに恐怖を感じます。
 そそくさと撤退、撤退、と。

 14:55分、無事帰還しました。入洞からおよそ1時間と10分。特濃の闇世界でした。