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2007年4月…この趣味を始めて初めての廃隧道レポ。
あれから早14年…時が経つのははやいですなあ…
この間にも何度か訪問はしていますが、レポには至ら
ず。一発目のレポにしてはかなり寂しい内容だったので、
ようやく再レポする気になりました。
しかし…未だに現役全としてガチ表記されています。
ちゃんと黄色く県道表記も…。うーむ… |
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画像に14年前の写真をロールオーバーしています。
やはり大分荒れてしまってます。しかしそれより、14年前
はこんなに道が綺麗だったのか、と驚いてしまいます。 |
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入り口には道しるべの石碑が。
右〇〇、左〇〇 この画像で分かる方おられますか…
右はなんとなく「ちはや口」かな?と… |
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観心寺楠公首塚へ 一里二十九町
一里二十九町は、およそ7091m、7km超ですね。
えらいところから道標を設置してますねえ。 |
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Googleさんでここから観心寺までの道のりを検索する
と、新千早隧道を通るルートで6.7kmでした。
千早洞のルートだと7㎞超になりそうですねえ。 |
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さて、と。のっけから脱線が過ぎますね…
隧道に向けて出発です。 |
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いきなり右に分岐道。
鉄塔への巡視路、ですが、登山道でもあるようです。 |
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仕事柄見ないと気が済まないので、ちょっと歩いて来ま
した。看板には198とありましたが、御坊幹線197でした。
…いや、どうでもいいっすよねwww
因みにまともに歩いても、千早洞の河内長野側には
行けません。地理院地図にも載っている点線道、その中
には、向こう側に行けそうな点線もありましたが、結局
試さずじまいです。 |
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鉄塔への道は左側。道はしっかりしておりました。
案内板によると千早口駅まで行けるみたいですね。
めっちゃ遠いけど…w |
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はよ進めって?はいー、すみません…
路面は荒れているものの、どうやら単車は入っている
感じがします。 |
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ところが…ありゃ、倒木がすごい…
こりゃあ単車もここまでやな。 |
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左側斜面には往時のものであろう石積みが。
未加工石を谷積みしてます。空積みなのによく持ち堪
えています。 |
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隧道はあのカーブを曲がった先すぐです。
しかし、この倒木は…このままどんどん廃化が進んで
いくのでしょうか…
14年前の画像と比較してみて下さい。
そして、彼は姿を現します… |
おおおお…あきらかに荒廃の一途をたどっている…
大阪府内唯一の煉瓦坑門を持つ車道隧道…あまりにも勿体ない…
金くれたら手入れするけどな…w |
…………うーむ…何度見ても、素晴らしい!!
典型的な冠木門タイプの坑門。江戸切りの楯状迫石と要石。笠石、帯石も同じく江戸切り。ピラスターにも江戸切りの切石を使い、
スパンドレル(三角小間)、パラペット(胸壁)部分にはイギリス積みの煉瓦を配しています。
そして何より扁額付き! |
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このセットで撮影するのが好きですねー。
要石の大きさが際立ちます。 |
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いいですねえ、「洞」
大久保利武 書 です。
この御仁はかの大久保利通の三男。
1912年(大正元年)12月30日から1917年(大正6年)
12月17日まで大阪府知事でした。
千早洞の竣工は大正6年ということで、一致しますね。 |
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楯状迫石の利点は、スパンドレルに使われる切石や
煉瓦を加工することなく配置出来るところですかね。
しかも煉瓦の小口〇列分に合わせて加工してます。
右上から2列分、3列分、4列分、3列分…
毎度違う加工で美観的にも秀逸なものに仕上げてい
ます。 |
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ピラスターの上部。笠石の上に一段飛び出しています。
しかし、他の江戸切りよりも掘りが深い&枠幅も広い気
がします。 |
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内部は…ああ、コンクリでしたね…
側壁は明らかに後年塗りたくられた雰囲気はあります
が、アーチはどうかな…?
それともう一つ違和感…14年前は反対側の光が漏れて
いたはずですが…??? |
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はい、特に突っ込みは不要ですw
しれっと話を進めます。 |
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歩を進めても状況は変わりません。
路面は未舗装、しかし側溝はあります。 |
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どうやら電灯はあったようですが、こんな小さな裸電球
とは… |
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天井アーチ部分のコンクリが剥離して、岩肌が見えて
います。
ということは元々素掘りなのか、このアーチのコンクリ
は古そうに見えるので往時から覆工はあったのか…
ちと判断しかねます。 |
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これは電線を這わせていたと思われる遺構ですね。
やはりこのコンクリアーチは往時のものかもしれませ
ん。 |
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そしてさらに歩を進めると…
あ…あれは…まさかの… |
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の、前に…電灯のソケットと…、碍子。
素朴ですねえ。 |
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何という事だ…。完全封鎖されています。
いつの間に…
水が溜まってしまってます。 |
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迫石と要石が見えているので、坑口直前であることは
間違いなさそうです。 |
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最深部より振り返り。
延長88mということですが、そんな感じですかね。 |
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戻ってきて、今一度坑口付近の状況を…
剥離が酷いですね。やはり地山の塑性圧が強いよう
です。 |
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要石の部分もがっつり空いています。
この辺をなんとかしないと、現役使用は厳しそうです。 |
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外に出ました。
この道は少し整備すれば使えそうなんですがねえ。
まあ、それは置いといて…、反対側に回りましょうかね。 |
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河内長野側に回ってきました。
以前は隧道前の工場?が稼働中で接近できなかった
のですが… |
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どうやら廃業?している雰囲気です。
ので気兼ねなく通過できました。 |
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この状態だと全くわかりませんが、あの白い所が旧道
となってます。
右側は工場で使われていたスペースが広がります。 |
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完全になかったことにされています。 |
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封鎖場所から外を見ます。
まあ、こんな感じです。 |
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さあ、河内長野側の坑門が見えてきました、が… |
河内長野側の坑口です。残念ながらの結果ですが、ブルーシートも大概でしたからね~
14年前からこちら側は通して不遇な扱いです… |
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同じ扁額ですが、コチラの写真の方が雰囲気は好き
ですね。 |
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こんな状態ですが、坑門の安定性はコチラの方がある
気がします。
つくづく勿体ないですねえ。 |
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こちら側で見つけたささやかなポイント。
ピラスターの頭頂部は四角錘となっておりました。 |
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そんなこんなで探索完了!
14年経ってようやくお膝元の隧道レポートを刷新する
ことができました。
やはりこの趣味はやめられませんね! |