旧中央本線 愛知県高蔵寺駅〜岐阜県多治見駅間
2017年5月訪問
前日に土岐川、小里川両発電所跡を堪能しまく り、夕方からは恒例の居酒屋!かなりの充実した 一日を送りました。 しかし!本来のメインイベントはこちら! 愛岐トンネル群の特別公開に初参加です。 参加者は前日の探索からご一緒の宮川さん、 居酒屋からご一緒のとのたまさん、今朝からご参 加のはみ男さんと、私の計4名…って、あれ?おろ ろんさんは? おろろんさんは諸事情(昨日の夜に原因あり 笑) により遅れて参戦予定です。 |
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3人が見ていた案内板です。 | |
現役中央本線沿いの細道を、定光寺駅に向け て歩きます。 |
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今回で19回目なんですねえ。 あ、ちなみに車を停める所は一切ございません。 私等はここから結構離れた定光寺公園の駐車場 に停め、歩きました。 |
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定光寺駅への階段。 ここから愛知高原国定公園のようです。 |
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階段は名古屋方面行きのようですね。 当然ここは素通りです。 |
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右側から県道15号、土岐川、玉野用水、細道、 中央本線と並びます。 と、土岐川と玉野用水の間に何かありますね。 |
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…??? 何でしょう、あれ? コンクリートの謎の函型構造物です。 上部には基礎の跡もあります。 元々ここで使用されていたんでしょうか。ちょっと 違う気もします。 |
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左手には石積みとコンクリート混合の擁壁が 続いてます。 |
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玉野堰堤 玉野堰堤は、大正10年に従来の灌漑の役割と ともに、水力発電所への導水路の役割を持つ取り 入れ口として改修が行われました。 取り入れられた水は玉野用水を経て、尾張地方 で唯一の水力発電所へと送られています。 現在も、水力発電と灌漑の二つの役割を併せ 持つ玉野用水の取り入れ口として、重要な役割を 担っています。 玉野用水(玉野水力発電所導水路) 玉野用水は、江戸時代の享保14年(1729年)に 当時の玉野村の加藤助左衛門氏が長年の水不足 を解消するため、同村へ庄内川の水を引くことを 提唱し、用水が開削され玉野村の20余町歩(約20 ha)の水田に灌漑したのが始まりです。 その後、大正2年に改修され、水力発電のための 導水路としても利用されることになり、玉野地区を はじめ近年までは高蔵寺地区へも灌漑するなど、 地域の生活環境に有益な影響を与えました。 |
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ああ、あれが玉野堰堤ですね。 | |
リンゴ携帯でズームアップ! ピントが… こうして見ると2つ吐口が確認できます。 うーん、行きて〜 |
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奥側のアーチは、愛岐トンネル帰りのルートで 確認可能です。 お〜、いいっすね。 立派に石アーチです。側壁部も切石っぽいです ね。 |
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これも帰りの映像ですが、玉野用水関連はここ で全部やっときます。 堰堤と、遡上するお魚さん用の魚道(ギョドウ)、 満水の玉野用水と、間にある…排砂門でしょうか。 因みに玉野用水に張り付くもう一か所の排砂門 ?はここからでは視認できません。 |
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これが堰堤から用水路に水を送る樋門です。 2連ですね! |
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坑門はコンクリですが、輪石はしっかり切石です。 要石もありますね。 内部のアーチはここからではどうなっているかは 分かりませんでした。 |
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ついでに玉野用水関連で一件ご紹介します。 場所はここからもう少し下流です。 |
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コンクリアーチなんですが、外側坑門に当たる 部分のみ切石になっています。 |
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こんな感じです。 恐らく元々切石アーチだったのをコンクリ補修 したのではないでしょうか。 近くに「玉野用水改路修記念碑」があり、そこに 昭和28年起工、昭和31年竣功とあります。 その時に補修されたんでしょうか。 |
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見るからにかなり古い補修ですね。 | |
振り返り。 道の下がBK、水路の下がアーチとなっていま す。 奥は…なんだかすごいことになって、ます? でもそっちから来たんですがね(笑) |
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うーむ。 やっぱり塗ってあるだけ、ですかね? |
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下流部の坑門も切石アーチですね。 | |
眼前は土岐川。 対岸の県道には車が見えています。 |
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土岐川沿いの坑門は… 残念ながらまともに撮れません。 輪石と、連なる側壁は切石ですが、坑門部が イマイチ把握できませんでした。 玉野用水ネタは以上です。 機会があれば発電所付近も訪ねたいと思いま す。 脱線しましたが、次は廃線跡ウォーキングです! 以降、その2 に続く! |