第二部 由良地区編
赤松山伊張山軍道後半戦
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スタート地点の婦野川橋にて一旦別れた 婦野川が軍道と再会するポイント。 そこがやはり。。。軍道からいそいそと川 床に向かいます。 |
![]() やはり!!! こんな山中に似つかわしくない巨大な遺構を確認しました! |
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![]() 一言。。。圧巻 正直これ程の廃景が見られるとは思ってませんでした。しばし呆然です。 |
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![]() 少し接近。色褪せているものの、完全なる総煉瓦アーチの逸品です。 前後の軍道は石積みで嵩上げされており、その分橋梁も高くなってます。そんなに嵩上げする程の河川なの か。。。 この橋梁の名称は (仮)婦野谷1号橋 としたいと思います。 |
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![]() さて、この軍橋のアーチ環の配列ですが。。。長手、小口、長手になっています。 婦野川橋の配列とはまた異なります。小口換算で5層巻きってとこですな。 坑門はイギリス積み。笠石はイコール欄干として機能しており、切石でできています。 さあきましたよアーチ環長手仕様。ということは内部アーチは? |
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![]() んんんんん?あれれ?長手積みだ。。。そんな馬鹿な!! 長手が側面に出てるのに内部アーチが長手なわけがない!って思いましたが、よく見ると。。。 |
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おおお。。。なんということだ。。。 ご覧の通り、小口面が2層まで入り込み、 3層目からは長手と小口が交互に配列され ています。 要するに小口2個連なり、3個連なりを経由 して長手積みに持って行ってることが分かり ます。 こんな配列は見たことがありません。 |
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上流方面を望む。 瓦礫や倒木が確認できるものの、川の体 は失ってません。 |
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一方の下流方面。 それにしても瓦礫が多いですな。 大雨の際の増水の酷さを物語ります。 が、この煉瓦アーチには目立った損傷は ありません。 やはり嵩上げして施工した甲斐はあった 模様です。凄いですな。。。 |
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しかし欄干の低さが際立ちますな。 現在施工された橋では考え難い低さです。 その通りで、市街地にある明治製軍橋も 後年改修されて、欄干だけは改築されてい ます。ただ一例を除いては。。。 |
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市街地軍橋で唯一欄干が残る物件、 大谷川下軍橋です。 アーチ環の配列はまたまた異なりますが、 欄干の造りは同じです。 |
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その大谷川下軍橋を上から見ると。。。 欄干低っ これだけの広さがあるからそれ程ですが、 道幅が狭く、さらに川床との高低差がある 軍道であれば、かなり危ういのではないで しょうか。 |
![]() こちらは(仮)婦野谷一号橋です。 経年により欄干を越えて堆積物が覆いかぶさっております。 一つ悔やむ点は。。。欄干に橋梁名が記載されていたのではないか、ということ。 大谷川下軍橋が欄干に橋梁名を遺していたので、可能性はかなりあるかと。 ちょっと掘ってみようとしたんですが、手掘りではきついぐらいの覆いかぶさり&根張りで、断念しました。 スコップが要ります。。。 |
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![]() 気を取り直して上流側からの全景です。 周りの廃れ具合から不釣り合いなほどに完全な姿を晒しています。 往時から全く変わらずここにあるって感じです。見事としかいいようがありませんな。 しばらく思い思いにしゃぶり尽くした一行は、また次を求めて動き出しました。。。 |
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(仮)婦野谷一号橋を越えて。。。 特に周囲に変化は。。。ない、ような? |
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と思ったら両側に石垣が。 ここは大分往時を感じられる場所です。 ただし建物は戦後のものと思われます。 他に目立った物件は見当たりませんでし た。 もうちょっと周囲を探索してもよかったです ね。。。脇道に橋がないとは限りませんから ねえ。 |
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人が居なくなって久しいでしょうが、実は 成ります。って、戦後の木かもですが。 |
![]() おそらく居住区でもあったのか?の地帯を過ぎ、また軍道一本道に差し掛かった時。。。 さあ問題です。この光景に、あのブツを感じ取れますか? 。。。無理っしょ!何もないじゃん。 そうなんですよねえ。これで見つけられたら神です。 答えははみ男さんが写真を撮っている場所。。。 |
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ほら、こんな所に。。。 こりゃわからん! たまたま路肩付近で川筋の方に目をやっ たから見つけられただけでして。。。 |
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逆方向から撮影。 穴は右手の傾いた木の下にあります。 左手にあったはずの婦野川支流の谷筋 は瓦礫で完全に埋没してしまっています。 こりゃ気づかんわけだ。。。 |
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川床に降りました。 おおお。。。小振りながら見事に欠円 アーチになっております。 周囲は切石の空積みとなっています。 |
![]() やはり。。。反対側は完全に埋まっています。 そして、おそらくあったであろうアーチ上の石積み坑門もなくなっています。 なのに!アーチだけは微動だにしていません。どうですか!煉瓦の耐久力! で、今回のアーチは小口換算で3層巻き。実際は下段小口1、上段長手1の2層巻きとなっております。 意地でも小口のみで積みませんな。。。 この橋梁を (仮)婦野谷2号橋 と致します。 |
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下段が小口であるため、内部アーチは 通常の長手積みとなっています。 下段小口は28列、上段は端が切石で隠れ ているので、はっきり何列かは分かりませ ん。 |
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無理やりごそごそして振り返り。 やりたくなるんですよね〜ふふ |
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はみ男さんも同調。 やっぱり同じ穴のムジナですな(笑) |
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さてさらに前進します。 軍道は一本道で登っていきます。 |
![]() 程なくして。。。 これは初級問題!穴はどこにあるでしょう〜。。。て、怒られるな。すみません。 カーブしているので穴が軍道上からでもはっきり分かりました。 |
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おお!今度はいい感じですよ! |
![]() 今度はしっかり貫通しています。 高さも往時の姿に近いかもですね。石積み坑門は上部がちょっとなくなってる気はしますが。。。 欠円アーチ、アーチ環は婦野谷2号橋と同じ感じです。 こちらを、(仮)婦野谷3号橋 とします。 |
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ここは欠円アーチと側壁切石とを円滑に 支えるための迫受石を嵌め込んでいます。 |
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内部側壁は整然とした切石布積みです。 |
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谷川ぬ向けて。 すぐ岩の斜面が迫ります。 |
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川に向かって。 |
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ここの谷は瓦礫の流出が少ないようで、 安定した姿を維持していますな。 |
![]() 全体像を俯瞰で。 往時の道幅がくっきりと分かりますね。 |
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道すがら、 「由良要塞 第一地帯標」 の石柱がありました。 側面に明治32年の記載も。 |
![]() 立て続けに3本目を発見! 素晴らしい流れです。 |
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![]() 支流暗渠3兄弟の中では石組みも含めて最も往時の姿を維持していると思われます。 超美麗! これを(仮)婦野谷4号橋 とします。 2号から4号までは全く同じフォルムと思われます。 |
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内部アーチも通常通りの長手積みとなって います。 |
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谷筋に向かって。 やはり似たような構造ですな。 |
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うむ、かなり綺麗な状態です。 |
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谷筋側の状態です。 こちらもいい具合ですな。 |
![]() 谷側の構造もそのまま遺されている感じがします。 いちいち丁寧な造りです。 |
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軍道の谷側には側溝があり、暗渠に水が 流れるようにしてあります。 |
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ほぼ真っ直ぐ伸びていた軍道ですが、 十字路が現れました。 左は真っ直ぐ伸びる婦野川を渡って、 伊張山堡塁方面の案内が。 |
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向かって右は赤松山堡塁となっています。 由良方面というのは今登ってきた道のこと を指します。 真っ直ぐにも道はあるようですが、あまり 使われていないようです。 |
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伊張山堡塁は車で行けるため、そこに車 をデポしております。ので、徒歩でしか行け ない赤松山堡塁に先に行きます。 |
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赤松山堡塁に向かう軍道に入ってすぐ。 石桁の暗渠が登場しました。 かなり安定した姿を保ってますね。 |
![]() 赤松山堡塁は高い場所にあるためか、今までになかった線形が現れます。 昭和の車道ではなく明治期の軍道然とした道幅ですな。車ならターンできまへんな。 |
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![]() うねうね徐々に高度を上げる赤松山軍道。 そして。。。出た!赤松山専用の軍道としては初の煉瓦アーチ! |
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![]() これまでで最少口径です。 それでも尚!小口積みではありません。。。なんでやねん!なんでしょう、この意地の張り方は。。。 小口換算で2層巻き。実際はまさかの長手1層積みです。うーむ、あまのじゃく。。。 これを(仮)赤松山軍道1号橋 とします。 |
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内部は。。。奥は瓦礫で閉塞しています。 小さい暗渠ですからねえ。 で。。。あれ?内部アーチが長手積みで すよ??? アーチ環が長手なら内部アーチは小口に なるはずですが。。。どうやら婦野谷1号橋 と同じパターンで、長手なのは1層か2層ま でなんでしょうね。 |
![]() 人と一緒に写すといかに小さいかお分かりいただけると思います。 谷は瓦礫で埋まってしまってますね。 |
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赤松山軍道に入ってから石桁暗渠も散見 されるようになります。 |
![]() はい、これ。一番見落としそうになりました。 また石桁かな?と思ってましたがまさかの煉瓦アーチでした。危ない危ない。 |
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![]() 色が切石と同化しているのでますます見づらい。。。 幅は間違いなく今まで最少ですな。兎に角よく顔を出していてくれました。 これを(仮)赤松山2号橋 とします。 |
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入る入らないの問題ではない隙間しか 開いてません。 カメラだけ突っ込んで撮影。。。 。。。って、ぎゃああああ。。。いっぱい 住んでる。。。手を突っ込まなくてよかった。 ここも奥は閉塞。内部アーチは長手積み ですな。 |
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。。。しかしこのサイズだと石桁物件も出て きているのに、桁にしたり暗渠にしたり。。。 基準はなんなんでしょうねえ。 |
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おや?なんか谷間にありますよ? |
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なんと煉瓦製の井戸です。 初めて見ました。 内側はコンクリートなんでしょうかねえ。 |
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下部は石積みですな。 ちゃんと今でも水を湛えています。 往時は飲用水で使ってたんでしょうかね え。 |
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その後は石積み暗渠が数件出たのみで、 赤松山軍道には以降煉瓦アーチは出ませ んでした。 |
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赤松山軍道は結構長い。。。かなり疲労 が溜まります。 ここで分岐が現れました。 |
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左、松原林道。右、赤松山堡塁。来た 道が由良方面となってます。 ここからなら赤松山堡塁はもうちょっとで す。 実際はここから赤松山堡塁をたっぷり 堪能しに行ったのですが、そのレポはまた いつか独立して。。。 そこを端折って先ほどの共通軍道からの 丁字路からレポ再開します。 因みに柏原林道は車道林道で軍道では ないようです。コンクリ舗装されてます。 伊張山堡塁はこの柏原林道の傍を通り ます。そこに車を停めたわけですな。 |
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はい、戻ってきました。 簡単に戻りましたが、さっき登ってきた 赤松山軍道を只管戻ってきた訳です。 結構私も含めて皆さんへとへとです。 まあもうちょっと、頑張りましょう。。。 と言ってた矢先、宮川さんの足元に。。。 婦野川が。。。 |
![]() 慌てて上流側から下に降りてみると。。。でた!結構大き目! 婦野川本流にかかる暗渠だからかそこそこの大きさです。 石積みの高さが際立ちますな。 |
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![]() 大き目と書きましたが、婦野谷1号には遠く及ばないです。が、他の支流暗渠よりは大きいです。 ただ巻厚は婦野谷2〜4号と変わりません。 |
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![]() うむ。全く隙のない完璧な欠円アーチです。 内部アーチ長手積みはスタンダードですな。 |
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上流方面を向いて。 流路は右に折れています。 |
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下流方面を向いて。 ここまで上流に来ても水量はまあそれなり にあります。 |
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下流側坑門です。 切石の壁がすごいですな。 |
![]() 少し引いて。 こうして見ると、結構大きいのが分かると思います。 これを(仮)伊張山軍道1号橋梁 とします。 |
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その橋梁の真上。 ここも相当土が堆積しています。 婦野谷1号のように欄干の切石はこの 橋梁にはないようです。残念。 |
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この伊張山軍道にもやはり石桁は存在 しました。 またアーチと石桁が混在するんでしょう。 |
![]() 程なくして。。。むむむ!きたか! |
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![]() 出ました!煉瓦アーチ橋梁!やはりありますね〜。 これはなかなか原形を保ってませんか? これを(仮)伊張山軍道2号橋梁 とします。 |
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![]() 長手1層巻きのパターンですな。これは個別軍道になってからの仕様でしょうかねえ。 婦野川に架かる伊張山1号橋梁を除いて、長手1層巻きがパターンになってます。 その中では一番原形を留めてますな。ということは!長手オンリーのアーチ環の内部アーチの状態が分かり そうですな! |
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![]() おお!長手アーチは1層だけのようです。そこから先は通常の長手積みになってることから普通に小口アーチと 思われます。なんでわざわざ長手にするんだ。。。 。。。そして、反対側にはもっと悩ましい光景が。。。 |
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![]() 現場では気づかず撮影したため、「それ」にスポットが当たってませんが、これでもお分かりいただけますで しょう。。。 ナント。。。反対側は8層分長手のアーチ環になっているようです。その証拠に。。。内部アーチに小口が8列 並んでいます。 内部アーチに小口面がこれほど並ぶのは非常に珍しいことです。 それと同時に。。。どうも長手を何列並べるかの規則性がないことが分かります。。。 |
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谷筋側の坑口です。 この写真でも小口の群れを確認できるか と思います。なんか面白いですねえ。 |
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谷間側です。 やたら1層分小口列が目立ってます。 |
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谷筋側もまだなんとか開口しています。 この長手アーチがまさか8層も続いている とは。。。 |
![]() 共有軍道程ではありませんが、まだ線形を把握できるぐらいの地形を維持していますな。 |
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![]() そこから。。。結構いい廃景を魅せる場所もありつつ。。。さくさく進みます。 |
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途中にはこんな穴も。 |
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しかしすぐに終点に。 何のために掘ったんでしょうかねえ。 |
![]() お馴染みのこんなターンも。 うまく折れてますなあ。 |
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こんな消え去りそうな石桁暗渠が残り つつ。。。 |
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しっかり内部には空間が。。。 |
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そんなこんなでしたが。。。 意外!伊張山軍道の終点がもう来ました。 感覚的に赤松山の半分ぐらいです。 |
![]() 現役コンクリ舗装車道林道である柏原林道に横断されて、軍道消滅。ゴールです!長かった〜 この向こう側すぐに伊張山堡塁の遺構があります。そこはまた別枠で。。。 この林道に車をデポしてるので、さくっとスタート地点に止めたもう1台の車両に戻れます。デポ最高! 結局、婦野川橋梁からの発見は、婦野谷1号橋梁〜4号橋梁。赤松山軍道1号、2号橋梁、 伊張山軍道1号、2号橋梁の計8本と相成りました。 婦野川橋梁を含めた市街地7本と、小佐昆火薬庫の煉瓦アーチと石アーチを含めて、由良地区のアーチ橋は 合計17本(煉瓦16本、石1本)となりました! 期待以上の成果で終われました。しかし!まだどこかにきっとアーチは眠っているはず。。。 |