再訪篇
2018年2月訪問
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約8年振りの再訪になりました。 なので、ほぼ初見並みの新鮮さで探索でき ます。何か嬉しいですねえ。 紀北町側です。 8年経った現在も変わらぬお姿を披露して 頂けます。 |
![]() 江戸切りの要石、楯状迫石、長手小口交互積みの隅石と、細部に渡って拘りを感じます。 切石の笠石にイギリス積みの坑門、そして扁額という仕様の尾鷲隧道。 |
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…全く読めません。 篆書体でしょうか。 |
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内部です。 天井部は鮮やかな煉瓦の色が出ております が、側壁部は白化が進んでいます。 |
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尾鷲隧道 「起工 明治44年10月 竣工 大正5年4月 設計者 三重県技師 岩井 藤太郎 施工者 三重県技師 天野 久 石工 藤田 六兵衛?」 石工のお名前は推測です。 |
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煉瓦巻きは坑口付近のみで、素掘りに変わり ます。 |
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内部は…いやあ、なかなかの雰囲気です。 モルタル補修もなしの完全素掘りです。 |
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照明用なんでしょうか…? ここまでしっかり残ってるのは珍しいかもしれ ません。 |
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振り返り。 素掘りと煉瓦の境界線です。 |
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おおお…これは…覆工跡、ですな。 あるあるですが、廃隧道では隧道本体よりも こういった構造物の方が危ないという… |
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一枚だけ残ってます。 これだけで全体が想像できますな。 |
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振り返り。 朽ち切っておりますな。 |
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少し先には… お…もうちょっとまともな覆工が。 |
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ふむふむ、なるほど。 すぐさま原型に近いものが確認できました。 |
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どうしても隧道本体より先に朽ちてしまう運命 にあります。 |
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おお!? 反対側の坑口はまだまだですが、煉瓦巻き が現れました。 金属製の覆工は後年補修でしょうが、この 煉瓦巻きは当初から少し脆弱な箇所を巻いた ものと思われます。 |
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羽根付き煉瓦巻き(笑) わざわざ、しかも意外ときっちりとした羽根で す。謎っすね~ |
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結構な延長で巻かれています。 |
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煉瓦巻きが途絶え、素掘りに戻ります。 |
![]() 綺麗に整形されていますねえ。両サイドに覆工の金具?が残っていますが、不要に感じますね。 |
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おお!?こんな所にマンホールが… 雨水を通しているんでしょうか。 開かずのマンホール… |
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またまた煉瓦巻き。 こっちは延長が短く、覆工感が出ています。 |
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短い煉瓦巻き。すぐに通り過ぎて振り返り。 天井の素掘りの状態に合わせて煉瓦積みを 増やしていっております。 大体は巻厚は変わらず、空いた空間をそのま まにするか、石を挟み込むだけで済ませている んですがねえ。 |
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反対側の光が近づいてきました。 |
![]() 尾鷲市側に到着しました。やたら肉厚の煉瓦アーチの脇に、この区間ではお馴染みの構造物が。 |
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8年前にあった自転車は撤去されています。 それにしても凝った造りです。 |
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3層の欠円アーチ、真ん中の列だけやや迫り 出しています。 |
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振り返り。 本当に一直線です。 |
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尾鷲側も綺麗な煉瓦アーチが堪能できます。 側壁は相変わらずですが… |
![]() 尾鷲側の坑口です。紀北町側と全く同じフォルムです。 坑門左上の煉瓦の端も隅石で保護する気合の入れようはさすがです。 |
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尾鷲隧道! …とは読めませんなあ。「鷲」はもうなんだか わかりませんな。 |
![]() 特に8年前と変わらずそこに在り続ける廃隧道。 遊歩道として再生されてもおかしくない程の保存状態ですが、それが叶わないのが… |
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この牛谷橋のこの有様のせいですよね… ここを再生するには莫大な予算が必要となり そうです。 いつの日かここを渡れる日が来ることを 願って… |