水路隧道



 


岐阜県
JR東海道本線
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
愛知県境~岐阜駅~西岐阜駅間
※未発見
西岐阜駅~穂積駅間
立野第二橋梁 半円 4 人道 整石 整石 両出 1連 2.42m
(8尺)
岐阜市今嶺と同市江崎南を跨ぐ付近
明細録に竣工年の記載がない
名称は現地銘板より
明細録での名称は「立野」。立野橋梁が二つあり、
第一だったと思われる木桁15尺の避溢橋は、市道
のアンダーパス建造時に消滅したと思われる
人道兼用の記載あり
水路にコンクリ桁を敷いて人道にしている
2 三の町下水橋梁 半円 4 水路
人道
整石 整石 両出 1連 2.42m
(8尺)
瑞穂市只越
401K885M70
明細録に竣工年の記載がない
名称は現地銘板より
明細録での名称は「三ノ町」
人道兼用の記載あり。現在は人道としては使われ
ていないようだ
北側坑門、内部側壁はコンクリ補修されている
3 一の町架道橋 半円 4 車道 煉瓦 不明 片出 1連 未計測 瑞穂市別府
402K282M40
明細録に記載のない物件
穂積駅が1906年(明治39年)8月1日に新設、1908
年(明治41年)の複線化に伴い盛土路盤となった
(Wikipediaより)ようで、その際の建造物と思われる
ペイント、鉄枠補強により坑門の視認が不良
内部も全体が補修されている
北側は拡幅されている
隅石がある
穂積駅~大垣駅間
4 三の町橋梁 半円 5 水路
人道
整石 整石 両出 1連 未計測 瑞穂市別府
402K973M42
明細録では錬鉄板桁12尺、竣工年の記載はない
名称は現地銘板より
明細録では「三ノ町」
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
明治24年6月に桁架換の記載あり
人道兼用の記載もある
5 甲二の町橋梁 半円 3 水路 整石 整石 両出 1連 1.21m
(4尺)
瑞穂市別府
403K073M2
名称は現地銘板より
明細録では「二ノ町」、竣工年の記載はない
泥濘が酷く、内部潜入不可
※因みに乙二の町は離れた位置に。名称の付け方
の法則が全く分からない
6 甲五の町橋梁 半円 4 水路 整石 整石 両出 1連 未計測 瑞穂市別府
403K301M92
名称は現地銘板より
明細録では「五ノ町」木桁15尺
竣工年の記載はない
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
古レールを組み合わせた橋脚に木桁を引いて人道
としていたようだが、現在は廃化。木桁も殆どなく
なっている
7 乙五の町橋梁 半円 4 水路 整石 整石 両出 1連 未計測 瑞穂市別府と同市稲里の境付近
403K512M55
名称は現地銘板より
明細録では「五ノ町」木桁8尺
1885年(明治18年)11月竣工
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
古レールを組み合わせた橋脚にコンクリ桁を引いて人道
としていたようだが、現在は廃化。コンクリ桁もなく
なりつつある
8 一の町下水橋梁 欠円 2 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連 未計測 瑞穂市稲里
こばやしさん発見報告有(2015.10訪問)
403K601M
名称は現地銘板より
明細録に記載にのない物件
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化の際
に新たに建造されたものと思われる
9 一の町橋梁 半円 4 人道 整石 整石 両出 1連 未計測 瑞穂市稲里
403K671M27
名称は現地銘板より
明細録では「一ノ町」木桁8尺
1885年(明治18年)11月竣工
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
元々水路だったのを後年人道化した模様
10 乙二の町橋梁 半円 4 水路 整石 整石 両出 1連 未計測 瑞穂市稲里
403K989M11
名称は現地銘板より
明細録では「二ノ町」木桁避溢橋15尺
1886年(明治19年)1月竣工
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
※因みに明細録では「二ノ町」橋梁は3基ある。3基
目は「乙」よりも東寄りに木桁15尺、竣工年同じで
あったようだ。現在は市道の「二ノ町架道橋」となっ
ている
11 宮東橋梁 半円 4 人道 整石 整石 両出 1連 未計測 瑞穂市野田新田
404K172M38
名称は現地銘板より
鉄道庁の資料では名称は同じだが、木桁の避溢橋
15尺
1886年(明治19年)1月竣工
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われるが、木桁の
時の場所よりも30m程西にずれている
元々水路だったのを後年改修した模様
12 雁ヶ坪橋梁 半円 4 車道 整石 整石 両出 1連 未計測 瑞穂市牛牧(ウシキ)
404K753M75
「ガンガツボ」と読む
名称は現地銘板より
鉄道庁の資料では名称は同じだが、木桁の避溢橋
15尺
竣工年の記載はない
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
※因みに明細録では「雁ヶ坪」橋梁は3基ある。残り
2基はそれぞれこの橋梁よりも東側に位置する
車道と水路の2径間の方が人道兼用の記載がある
15尺木桁の避溢橋で、現在は「乙雁ヶ坪橋梁」とい
う名称
もう1基は五六川西隣で、50尺錬鉄板桁の避溢橋、
現在は「甲雁ヶ坪橋梁」という名称(乙橋梁からの推
測)で残存している
13 (仮)牛牧橋梁 欠円 2 水路 煉瓦 不明 不明 1連 未計測 瑞穂市牛牧(ウシキ)
現地に銘板はない
明細録にも記載のない物件
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化の際
に新たに建造されたものと思われる
南側未確認
内部は土管に改修されており、視認は坑門のみ
no photo 宮前橋梁 1連 3.64m
(12尺)


直角径間長
3.36m
(11尺10寸)
瑞穂市牛牧(ウシキ)
残存可能性:極低→改修判定
犀川の東隣、県道171号線の橋梁が改修後の姿の
ようだ。名称は確認できなかった

明細録に傾斜80度人道兼用の記載あり
ねじりまんぽだった可能性もある
14 甲中吹橋梁 半円 4 車道 整石 整石 両出 1連 未計測 瑞穂市横屋
405K397M49
名称は現地銘板より
明細録では「中吹」錬鉄板桁15尺(直角径間長14尺
1と8分の1寸)
竣工年の記載はない
1891年(明治24年)6月桁架換、人道兼用、傾斜70
度の記載あり
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
ねじりまんぽ
一部鉄板補強あり
15 乙中吹橋梁 半円 4 車道 整石 整石 片出 1連 未計測 瑞穂市横屋
405K680M53
名称は現地銘板より
明細録では「中吹」木桁8尺
1885年(明治18年)8月竣工
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
人道兼用の記載あり
※因みに明細録では「中吹」橋梁は3基ある。残り
の1基は甲と乙の間にあり、車道と水路の2径間の
橋梁で、人道兼用の記載がある15尺木桁だったよ
うだ。現在の名称は「中吹橋梁」
16 (仮)横屋橋梁 欠円 2 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連 未計測 瑞穂市横屋
現地に銘板はない
明細録にも記載のない物件
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化の際
に新たに建造されたものと思われる
南側は確か土管だったかと…
17 上江崎橋梁 半円 4 水路 整石 整石 片出 1連 2.42m
(8尺)
安八町西結
406K053M30
名称は現地銘板と明細録より
竣工年の記載はない
明細録では人道兼用とあるが、現在は水路用
内部アーチに小口の列があるのを確認
しかしアーチ環に竪積みはない
18 宮東橋梁 半円 4 水路
人道
煉瓦 煉瓦 片出 2連 未計測 大垣市新開町
406K512M77
名称は現地銘板と明細録より
竣工年の記載はない
明細録では単アーチ12尺とあり、後年2連に改修した
のだろうか
坑門の一部がコンクリ補修を受けている
内部の一部に古レール補強あり
切石の水切りあり
19 喜内前橋梁 半円 4 人道 整石 整石 片出 1連 2.42m
(8尺)
大垣市新開町
406K719M96
「キナイマエ」と読む
名称は現地銘板と明細録より
1885年(明治18年)7月竣工
内部の一部に古レール補強あり
no photo (仮)新開橋梁 半円 2 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連 大垣市新開町
こばやしさん発見報告有!
20 甲大門西橋梁 半円 4 人道 煉瓦 煉瓦 両出 1連 未計測 大垣市新開町
407K062M76
名称は現地銘板より
明細録では「大門西」木桁6尺(直角径間長5尺2と4
分の1寸)傾斜60度の記載あり
1884年(明治17年)11月竣工
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
ねじりまんぽ
隅石あり
21 乙大門西橋梁 半円 4 人道 煉瓦 煉瓦 両出 1連 未計測 大垣市新開町
407K157M51
名称は現地銘板より
明細録では「大門西」木桁6尺
1884年(明治17年)10月竣工
1908年(明治41年)の複線化時の盛土路盤化によ
り煉瓦アーチに改修されたものと思われる
大垣駅~垂井駅間
22 室池橋梁 半円 4 水路 整石 整石 不明 1連 2.42m
(8尺)
大垣市高屋町と同市見取町の境付近
410K253M89
名称は現地銘板と明細録より
1884年(明治17年)4月竣工
明細録に複線の記載あり
北側未確認
現在養老線の直下にある模様。東海道線側は
未確認
no photo 甲宮村村内橋梁 1連 1.82m
(6尺)
大垣市見取町と同市室村町の境付近
残存可能性:極低
明細録では「宮村村内」通例から「甲」にした
1884年(明治17年)2月竣工

現地未確認だが航空写真ではそれらしき箇所は
確認できない
no photo 乙宮村村内橋梁 1連 1.21m
(4尺)
大垣市室村町
残存可能性:
明細録では「宮村村内」通例から「乙」にした
1884年(明治17年)2月竣工
北側確認したが確認できず。南側未確認
no photo 南長澤橋梁 1連 0.91m
(3尺)
大垣市室村町
残存可能性:
1884年(明治17年)2月竣工
北側確認したが確認できず。南側未確認
no photo 南中曽根橋梁 1連 0.91m
(3尺)
大垣市室村町
残存可能性:
1884年(明治17年)2月竣工
北側確認したが確認できず。南側未確認
23 (仮)笠縫橋梁 半円 2 水路 煉瓦 煉瓦 両出? 1連 未計測 大垣市笠縫町
2015.10新規発見
明細録に記録がなく、後年物と思われる
南側は未確認
24 長谷川橋梁 半円 2 水路 整石 整石 両出 1連 0.91m
(3尺)
大垣市福田町
名称は明細録より
1884年(明治17年)1月竣工
南側未確認
25 兵下橋梁 半円 3 水路 整石 整石 両出 1連 未計測 大垣市熊野町と同市福田町を跨ぐ付近
413K094M38
名称は現地銘板より
明細録では名称は同じだが、木桁3尺
後年煉瓦アーチに改修されたと推察する
1884年(明治17年)4月竣工
no photo 落合橋梁 1連 0.91m
(3尺)
大垣市長松町
残存可能性:
1884年(明治17年)4月竣工
26 甲永長橋梁 半円 3 水路 整石 整石 両出 1連 1.21m
(4尺)
垂井町
417K233M01
名称は現地銘板より
明細録では「永長」
1884年(明治17年)1月竣工
27 乙永長橋梁 半円 3 水路 整石 整石 片出 1連 1.21m
(4尺)
垂井町
417K670M95
名称は現地銘板より
明細録では「永長」
1883年(明治16年)12月竣工
28 甲梅ノ木原橋梁 半円 3 水路 整石 整石 片出 1連 1.21m
(4尺)
垂井町
現地に銘板がない。明細録では「梅ノ木原」が2基
あり、こちらを「甲」と判断した
明細録に竣工年度の記載がない
「複線」の記載がある
南側は土管にて拡幅している
垂井駅~関ケ原駅間
29
30
乙梅ノ木原橋梁 半円
欠円
3
3
水路 整石
不明
整石
整石
片出
挟まれ
1連 1.21m
(4尺)

未計測
垂井町
現地に銘板がない。明細録では「梅ノ木原」が2基
あり、こちらを「乙」と判断した
1884年(明治17年)1月竣工
「複線」の記載がある
北側の暗渠部に謎の欠円アーチ橋梁あり
往時には歩行者通路用、あるいはホームの橋梁
であった可能性がある
31 不帰川橋梁 半円 3 水路 整石 整石 両出 1連 1.21m
(4尺)
垂井町と関ヶ原町野上の境付近
420K304M04
名称は現地銘板と明細録より
1884年(明治17年)5月竣工
床面が石積み
32 石畑橋梁 半円 3 水路 整石 整石 両出 1連 1.21m
(4尺)
関ヶ原町野上
421K336M23
名称は現地銘板と明細録より
1884年(明治17年)5月竣工
床面インバートに煉瓦を使用
33 梨子谷橋梁 半円 2 水路 整石 整石 両出 1連 0.91m
(3尺)
関ヶ原町野上
名称は現地銘板より
明細録では「梨子谷川」
1884年(明治17年)5月竣工
床面インバートに煉瓦を使用
34 小田原川橋梁 半円 4 水路 整石 整石 両出 1連 2.67m
(8尺8寸)

直角径間長
2.42m
(8尺)
関ヶ原町野上
422K010M55
名称は現地銘板と明細録より
1884年(明治17年)5月竣工
ねじりまんぽ
35 穿屋川橋梁 半円 3 水路 整石 整石 両出 1連 3.33m
(11尺)

直角径間長
2.42m
(8尺)
関ヶ原町野上
422K442M86
名称は現地銘板と明細録より
1884年(明治17年)5月竣工
中央付近のみ
ねじりまんぽ
直角径間長は8尺。でも明らかに11尺はもとより
8尺もない。中央部のねじりまんぽ部がアーチ3層分
広いので8尺あるかもしれない
ちなみに「ウヤガワ」と読む
関ケ原駅~滋賀県境間 1899年(明治32年)10月15日開業(※Wikipediaより)の新線の為、鉄道線路各種建造物明細録第一篇に記録がない
36 藤古川橋梁 半円 5 水路 整石 整石 両出 3連 関ヶ原町関ヶ原と同町松尾、同町藤下の境付近
425K331M62
名称は現地銘板より
上流側に切石の水切りがある
37 了願寺橋梁 半円 3 水路 煉瓦 煉瓦 不明 1連 関ヶ原町山中
425K971M25
名称は現地銘板より
北側未確認
38 黒血川架道橋 半円 5 車道 煉瓦 煉瓦 両出 1連 関ヶ原町山中
426K052M20
名称は現地銘板より
笠石がある
両側とも鋼鉄の支えが2本ある
壬申の乱(672年)の激戦で、両軍の兵士の流血が
川底の岩石を黒く染めたことから、この名が付いた
現地の看板より
39 北谷川架道橋 半円 5 車道 整石 整石 両出 1連 関ヶ原町山中
426K289M47
名称は現地銘板より
笠石がある
40 向太郎川橋梁 半円 4 人道
水路
整石 整石 両出 1連 関ヶ原町山中
426K669M24
名称は現地銘板より
41 登里橋梁 半円 4 水路 整石 整石 両出 1連 関ヶ原町山中
426K759M75
名称は現地銘板より
笠石がある
内部及び北側未確認
42 門前町橋梁 半円 4 水路
人道
整石 整石 片出 1連 関ヶ原町今須
427K685M40
名称は現地銘板より
額の高い坑門はコンクリ製の支柱2本に支えられて
いる
43 妙応寺架道橋 半円 5 車道 煉瓦 煉瓦 片出 1連 関ヶ原町今須
427K831M07
名称は現地銘板より
坑門には大きな要石、隅石がある
スプリングラインに大小の切石を交互に配する
拡幅はコンクリアーチで、竣功は昭和29年12月18日
44 名称修正
中挟川橋梁
半円 5 水路 整石 整石 片出 1連 関ヶ原町今須
427K956M
名称は現地銘板なのだが…
現地のプレートでは「中挟川」となっているが、河川
名が「中狭川」なのでこちらが正解かと
ただ、「狭=せまい」なので、「ナカセバミ」とかになりそ
うだが、平成2年3月竣工の中狭川3号橋の振り仮
名は「ナカバサミ」。平成3年10月竣工の西御門橋も
「中狭川」表記。しかし!下流の昭和29年3月竣工
の今須橋では「中挟川」表記。よって現在、「中狭川
」表記で定着してしまっているのは、平成生まれの
橋達による誤植によるものと判断した
片出だが、BK側も坑門の視認は可能
45 一丁町橋梁 半円 4 水路 整石 整石 片出 1連 関ヶ原町今須
428K696M16
名称は現地銘板より
JR東海道本線(旧線)
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
関ケ原駅~滋賀県境間
46 枇杷掛谷橋梁 半円 4 水路 整石 整石 片出 1連 2.42m
(8尺)
2.45m 関ヶ原町玉
1883年(明治16年)4月竣工
現在は国道365号線の下にある
西側はコンクリアーチにて拡幅されている
床面は石畳
47 後洞橋梁 半円 2 水路 整石 整石 片出 1連 0.91m
(3尺)
1.60m 関ヶ原町玉
1883年(明治16年)4月竣工
現在は国道365号線の下にある
西側はBKにて拡幅されている
東側が埋まりかけている
JR中央本線
※名称は昭和8年中央本線各駅配線図並線路縦断面図より
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
愛知県境~古虎渓駅(旧線区間)
未発見
古虎渓駅~多治見駅(旧線区間)
  no photo  NEW
岩根洞橋梁 

(尺)
多治見市三の倉町大美山
残存可能性:
縦断面図に暗渠記載あり
48 NEW
二ノ沢橋梁 
半円 4 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連 3.03m
(10尺)
多治見市月見町
仮)多治見月見南橋梁
旧線区間である愛岐トンネル群北側に位置する
笠石のみ切石のスタンダードな煉瓦アーチ
※当初、これが第一悪水抜橋梁と思っていたが、位
置が異なっていることが判明、二ノ沢橋梁に修正
49 NEW
一ノ沢橋梁
半円 4 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連 3.03m
(10尺)
多治見市月見町
(仮)多治見月見北橋梁
旧線区間である愛岐トンネル群北側に位置する
笠石のみ切石のスタンダードな煉瓦アーチ
※当初、これが第二悪水抜橋梁と思っていたが、位
置が異なっていることが判明、一ノ沢橋梁に修正
no photo NEW
第一悪水抜橋梁

(尺)
多治見市前畑町と同市池田町の境付近
残存可能性:
縦断面図に暗渠記載あり
ストビューにて南側に少し見たい箇所有。北側に痕跡
見られず
no photo NEW
第二悪水抜橋梁

(尺)
多治見市前畑町と同市池田町の境付近
残存可能性:
縦断面図に暗渠記載あり
ストビューにて北側に柵で囲まれた暗渠を確認。南側
痕跡見られず
多治見駅~土岐市駅間
50 けっちくざわがわ 
欠築沢川橋梁
半円 5 車道 煉瓦 煉瓦 片出 1連 3.64m
(12尺)
2.92m 多治見市東栄町
車道の真下に欠築沢川の流れが潜っており、側壁
の煉瓦が視認できる
往時は車道が無く、川床までの背の高い橋梁だっ
た可能性がある
51 名称変更
入尻川橋梁
半円 4 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連 1.82m
(6尺)
多治見市東栄町
(仮)多治見東栄橋梁
下流側:史上稀に見る細高い物件。翼壁の巨大さ
も圧巻の一言。何故こんな所にこの仕様???
内部:自然の地形を利用して大きな段差が4段あ
り、その都度両隅の階段状の煉瓦積みを合わせて
造っている
上流側:階段状に上がって行った結果、スタンダード
な坑口に戻るが、胸壁がやたら広くなる
土岐市駅~瑞浪駅間
未発見
瑞浪駅~釜戸駅間(旧線区間含む)
52 名称変更
森前沢橋梁
半円 3 人道 整石 整石 両出 1連 1.82m
(6尺)
2.47m 瑞浪市釜戸町
(仮)白狐温泉橋梁
白狐温泉傍の旧線跡車道の真下で余生を過ごす
煉瓦アーチ
車道は下り坂になっており、旧線敷きの存在を知ら
ないと見つけるのは困難な物件
53 名称変更
大島川橋梁
半円 4 水路 整石 整石 両出 1連 3.03m
(10尺)
2.10m 瑞浪市釜戸町
(仮)御湯川橋梁
大島川橋梁として知られていたと思われる物件
←結果大島川が正解でしたw
内部アーチは比較的綺麗な赤茶色を残している
瑞浪駅~武並駅~恵那駅間
未発見
恵那駅~美乃坂本駅間
54 小路川橋梁 半円 不明 水路 不明 整石 挟まれ 1連 2.42m
(8尺)
恵那市大井町
明知鉄道との分岐近くに残る挟まれ暗渠
側壁最下部の基礎石を含めて9段あり、背が高い
55 市場田川橋梁 半円 3 水路 煉瓦 不明 片出 1連 恵那市大井町
市場田川架道橋の脇に眠るコンクリ詰めされたかつて
の水路暗渠
片側だけでもよく残ってくれていた物件
56 名称変更
広久手川橋梁
半円 4 水路 煉瓦 整石 片出 1連 3.03m
(10尺)
2.62m 恵那市大井町と中津川市茄子川の境付近
広久平橋梁←BK側銘板ではこの名称
北側の二軒屋池の水を通す
側壁の切石を越える喫水線跡が恐ろしい
57 名称変更
第二茄子川橋梁
半円 3 水路 煉瓦 整石 片出 1連 1.21m
(4尺)
1.20m 中津川市茄子川
(仮)茄子川中切橋梁
この近辺では小さい部類
美乃坂本駅~中津川駅間
58 後田川橋梁 半円 4 車道 煉瓦 整石 片出 1連 2.42m
(8尺)
中津川市駒場
車道にしては狭い方で、アーチ部の損傷が目立つ
が、車高制限の1.3mって…2.3mの間違い?
  no photo  NEW
稲荷川橋梁

(尺)
中津川市駒場
残存可能性:
縦断面図に暗渠記載あり
車窓からのチラ見しかしてないが…
59 名称変更
中ノ川橋梁
半円 5 車道 煉瓦 整石 片出 1連 3.03m
(10尺)
中津川市駒場と同市柳町の境付近
(仮)中津川駒場橋梁
下部に水路を通す車道
ここも車高制限1.9m…やっぱり2.9m?
60 曲川橋梁 半円 4 水路 煉瓦 整石 片出 1連 1.82m
(6尺)
中津川市桃山町と同市本町の境付近
名称は車道の銘板より(結果縦断面図の名称と一
致した)
昔は人道にも使われていたようで、水路と半々で
道が付いている。今は片側が完全暗渠
元人道の上に謎の棚受けがある。奥のコンクリBKに
まで続く…謎
61 名称変更
山半川橋梁
半円 3 水路 不明 整石 挟まれ 1連 1.21m
(4尺)
1.15m 中津川市太田町
(仮)中津川太田橋梁
中津川駅直下に潜む物件
低すぎて反対側まで行く根性がなかったが恐らく
挟まれ
駅下はこういうのが結構あるが、こぞって難易度
(いろんな意味で)が高い
中津川駅~落合川駅間
62 淀川橋梁 半円 5 水路 煉瓦 整石 片出 1連 3.03m
(10尺)
中津川市太田町
中津川駅直下に大きく口を開ける物件
先の暗渠とは明暗の差が大きいが、下水感が
強い
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小淀川橋梁

(尺)
中津川市太田町
残存可能性:
縦断面図に暗渠記載あり
中津川駅改札通路辺りか。航空写真ではちと気に
なる映像が…
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仲仙道橋梁

(尺)
中津川市栄町と同市宮前町の境付近?
残存可能性:極低
縦断面図に暗渠記載あり
63 名称変更
山越沢橋梁
半円 不明 水路 不明 整石 挟まれ 1連 1.82m
(6尺)
中津川市落合
仮)中津川落合橋梁
両側とも薄いコンクリアーチで補修を受けており、坑門は
視認できない
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馬場渡沢橋梁

(尺)
中津川市落合
残存可能性:極低
縦断面図に暗渠記載あり
BKに改修されたか
落合川駅~坂下駅
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高辺用水橋梁

(尺)
中津川市坂下
残存可能性:
縦断面図に暗渠記載あり
東側の坑口があるかも
坂下駅~長野県境間
未発見