淡山疏水隧道群


兵庫県

山田川疏水編

その14


  


                    2013年4月訪問


 第4隧道まで調査完了。残る隧道は3つです。
 しかしここから取水口まではまだ結構距離があります。
 さあどうなっているのか… 

 疎水の縁に上がってみると、つくはら湖の湖面の端が見えます。
 この湖面に沿って疎水は北向きに曲がっています。
 で、この湖面を振り返って追いかけると…

 見事に水路があります。
 結構大きいですね。切石の並びが美麗です。
 しかし湖側からは見に行けませんので、反対側に回ります。

 こちらは容易に下に降りれました。
 接近します。
 予想はしてましたが、やはりコンクリ天井です。
 しかしこれは後付け補修のようです。
 コンクリの上に石桁が残っているように感じます。
 戻って先に進みます。
 つくはら湖に吐きだされる水門跡。

 さらに湖面沿いに伸びる疎水。県道の橋梁が見えてきました。
 …と同時に水路にも変化が…あれは! 

 出ました!第3隧道です。これはまた短いですね〜。
 レポその1で出た初っ端の第12隧道に似ています。

 判で押したように全く同じのフォルム。
 ここの坑門は状態がかなり良いですな。
 第三隧道の扁額も無事ゲット。
 全部撮れそうですな。
 短い内部は全面コンクリ補修を受けている模様
です。
 ちょうど上部に県道を通しているため、補強され
たんでしょうか。

 振り返り。
 みっちりコンクリ補修です。
 ここまでベタベタな木枠支保工跡も珍しいです
な…
 ちょい雑…
 あっという間に反対側です。
 出た先は竹林の中です。
 で、振り返って坑門を…
 …んんんん!?
 何かおかしい…これは…

 こうなっておったか〜
 第3隧道の呑口上部に県道の基礎がずどーーーーんと乗っかってます。
 お陰で坑門の上部は扁額ごと潰されてしまいました…
 よくぞアーチ部分だけでも残っていたものです。扁額は吐口で拾えました。いやあラッキーっすね。
 水路はつくはら湖沿いに東へ。
 竹林などを潜り、今まで以上に鬱蒼としていま
す。
 蔦を振り払い前進、すると…
 土管に行きあたりました…
 ええ?ここにきて土管!?
 てな感じですが、どうやらここももう一度県道を
潜るようです。
 湖をやり過ごす後付け県道ですんで、当然疎水
よりも新しいです。
 ここは当初は土被りのない場所だったんでしょ
うねえ。新県道ができたお陰で土管に…
 幸い人は屈めば抜けられます。
 抜けてきました。
 呑口側です。
 すぐ上が県道になっております。
 かなり県道の下を走っていた疎水ですが、ここ
にきてあっさりと復帰できる高さにまで追いついて
きました。

 最早疎水の中を歩くのが困難になってきました。
 幸い県道に近いため、歩くスペースには困りません。

 荒れてはいるものの、しっかり疎水の原形を留めています。

 三度県道を潜る時がやって参りました。
 もう県道との高低差が殆どない現状、結果こうなってしまいます。
 第二隧道はいったいどこにあるんでしょうか。
 意外と長い3本目の県道アンダーパス土管。
 右へうねって、左へうねる。
 そこでようやく光が確認できました。
 また県道を潜って湖面側にやってきました。
 出てきた土管です。
 …なんだかな〜

 またまた竹林の中です。
 しかし、現役で使えそうですな〜
 そしてまたまた暗渠が。
 しかし今度は県道を潜るものではなさそうです。
 一瞬石桁かと期待しましたが、残念ながらコン
クリ桁の暗渠でした。
 暗渠の呑口側です。
 なかなか第二隧道が現れません。
 国土地理院の地図によると、この後4度目の
県道潜りがあります。
 次も土管なのか…?

 おおお!あのフォルムは!土管の水路橋の下にあるあのお口は…
 懐かしい匂いがします。

 土管を2つ挟んだだけでこんなにも懐かしくなるとは…
 そう考えると、この不動のフォルムがかえって心強く感じます。
 扁額もばっちりです。
 これで第12から第2まで全ての扁額を手に入れ
ることができました。
 坑門付近はコンクリ補修、内部は素掘りのまま
でした。
 疎水から隧道まで一直線です。のでこれは県道
を潜る隧道ではないですな。
 お馴染みの振り返り。
 完全に掘りっぱなしです。
 ちょうどつくはら湖と県道に挟まれた場所の
僅かな山肌に穿たれているようです。
 短めの隧道、すぐに呑口までやってきました。

 第二隧道の呑口です。ここは両坑門とも無事でした。

 引いて撮影。なかなか良い雰囲気です。
 ここで貴重な写真を。

 出典:淡山疎水博物館
 第二隧道呑口の竣功当時の写真が残っていました。
 坑門は色が褪せてはいるものの、全く同じ佇まいです。
 第二隧道を過ぎ、隧道はあと1本のみ!
 しかしこのあとまたまた県道を潜る予定です。
 やはりこれか〜
 県道潜りはやはり土管でした。
 左に折れて行く土管疎水…
 反対側にやってきました。
 呑口側です。
 上のガードレールの所が県道です。
 いやあ近いですなあ。
 その先にも暗渠が。
 蓋渠ですな。さすがにここは潜る気になりませ
ん。
 蓋渠出口。
 またも土管です。
 この辺りは県道に近いため、その都度水路が
影響を受けているようです。
 セントル巻きの土管を抜けると…

 遂に第一隧道に到達しました!いやあ、長かった…第12隧道から歩き続け、潜り続けようやく辿りつきました。

 第1隧道も全く同じフォルム!一貫してのこの統一フォーマットは秀逸ですな!
 もうコンクリート製でもいいです。

 出典:淡山疎水博物館
 設計図が残されていました。やはり統一フォーマットでしたね!
 「隧道坑門の圖(図) 縮尺十分ノ一」
 寸法、コンクリブロックのサイズなど、事細かに指定されています。
 第一隧道の扁額もゲット!
 これで1〜12までの扁額全てゲットできました。
 いやあ、奇跡的ですな。

 内部は…結構奥までコンクリブロック巻きですな!
 …ところが…結構水深がある!長靴履いてるんですが、まさかの長靴オーバー…
 水質もよろしくないし、帰りは県道をとぼとぼ引き返す予定なんで、ぼとぼとになるわけにはいきません。
 ので、即諦め!
 振り返りはこれが精いっぱいです。
 先には先程のセントル土管が見えます。

 という訳で地上から初の回り込み。
 呑口は…なんじゃこりゃ?どうやら水門が呑口の坑門に張り付いているようです。
 張り付いた水門の奥にコンクリのカベが。
 どうやら廃止した際に封印してしまった模様で
す。
 扁額は見えなくなっています。
 扁額が片側のみ生きている隧道は結構ありま
した。両側なくなった隧道がなくてよかった。

 折角なんで、取水口まで追いかけてみようと思います。

 つくはら湖はいつしか上流の山田川の流れに変わっています。
 その山田川と、山の斜面の僅かな隙間に疎水を穿っています。この地点から既に難工事であったのでは、と感じます。
 こういう所にも蓋渠があります。
 水門が2門。
 取水口から流れ込んだ水を堰き止め、山田川に
排出させる機能があったようです。
 ここは現役の疎水のような趣があります。
 で、この下に沢の水が潜っております。

 下に降りてみるとこのような状態に。
 やはり穴が開いてますね。
 そして現場ではあんまりちゃんと見てなかったんではっきりしませんが、左手に沢水を疎水に流し込む設備があります。
 しかも現役?
 肝心の暗渠ですが、残念ながらコンクリに改修
されています。
 かつては石桁であった可能性が高いです。
 すぐそばに山田川の流れがあるとは思えない
光景です。
 そんな廃化されてもなおその姿を維持していた
山田川疎水。
 それも遂に…
 あ…
 というくらいあっけなく終了します。
 取水口は消滅した、という前情報は知っていた
のでその点は驚きませんが、こうあっさりと終わっ
てるとは…
 ここからすぐに取水口があったはずです。
 しかしながら河川改修が進み、全くその面影を
見ることができません。

 出典:淡山疎水博物館
 そこでまたも貴重な写真が残されておりました。
 これこそ山田川疎水取水口の在りし日の姿です。煉瓦坑門楯状迫石の立派な取水口です。
 いやあ生で見たかったですねえ。

 築堤の高さは上がっていると思います。で、植樹の木のラインが疎水跡ではないかと。
 疎水の流れは、昔はなかったと思われる奥に写っている西下橋を通り越してやや左に折れたあたりと目されます。
 淡山疎水博物館の写真に写っている橋は現県道の新坂本橋では当然なく、現役で残る先代の坂本橋のご先祖と思われます。

 その13とその14をまとめた疎水の地図です。国土地理院には、この箇所に関してはかなり正確な水路表記がしてあります。
 見やすいのは第一隧道の吐口ですかね。停めるとこないですけど(笑)

 こちらが淡山疎水博物館に掲示してある地図の一部です。取入口前の閉塞地点から第12隧道先の閉塞地点までを今回レポ致しました。
 この区間はほぼ原形を留めておりました。しかしながら煉瓦アーチはおろか、石アーチすら発見には至りませんでした。
 ただ、この統一されたコンクリブロックのアーチもまた、別の観点から非常に興味深いものでした。
 第13隧道の呑口は恐らくは廃化して埋まっているものと思われます。しかし、途中から呑度ダムからの水を受け入れ、東播用水として第2の人生を歩んでいます。
 第13隧道の吐口から下流に向けては行ける限り調査を続行したいと思います。(第15の吐口から第17の呑口までは確認できております)