再訪編
2012年12月訪問
久しぶりも久しぶり、調べるとおよそ5年半振りの訪問 となりました、杉本隧道。またの名を丹生隧道。 前回訪問時は2007年4月。まだヘキサハンターとして 活動していた頃で、隧道に関してはまだまだ小童の 時代でした。 それ以来ご無沙汰でしたが、2012年12月!関東より 「トンネルコレクション」のまきき氏 「隧道道」のdoondoongoo氏 のご両名が遠路はるばるお越しくださいました。 そのご両名を招待する隧道の1つとして、クイック・ ニックさんがチョイスして下さいました。感謝! お蔭で5年半振りの再会が叶いました。当時は坑門 をチラ見、内部は車で一気に通過というあるまじき不逞 な行動をとってしまい、前回のようなまるで実のない レポとなってしまいました。 今回は少しでもこやつの細部を拾ってやろうと考えて おります。 |
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。。。いきなり前回未確認物体を発見。 「隧道 記念碑」 あるやないですか!!! うーむ、おバカさーん。。。(泣) |
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工費寄附 土倉鉱山経営者 田中 平八 殿 田中 銀之助殿 !!!です。なんと土倉鉱山の経営者から工費を 頂いていたようです。 土倉鉱山は明治43年に田中鉱業(株)が起ち上げた という話で、その経営者もこの隧道開削にメリットを感じ ていたのでしょう。 このあたりの詳細は「隧道倶楽部 杉本隧道」を ご覧下さい。 |
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右側面には隧道竣工年が刻まれております。 1918年(大正7年)6月 竣工 滋賀で穿たれた最初の本格的な山岳車道トンネル ということらしいです。 また、碑背面には「発起者」として、 杉野村長、丹生村長、余呉村長、土倉鉱山長、有志 者の名前が刻まれています。 隧道西側に丹生村、余呉村がありました。昭和29年 には片岡村と3村を合わせて余呉村に、昭和46年に 余呉町となりました。(2010年には余呉町も消滅して 長浜市に編入されました。) 一方隧道東側には杉野村がありました。昭和29年に 木之本町、伊香具村、高時村とともに合併して木之本 町になりました。(2010年に余呉町同様木之本町も長浜 市に編入されました。) 名前の由来である杉本は村の名前ではなく、杉野村 の大字として存在していました。 |
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5年前と変わったものが2つ。 余呉町→長浜市余呉 アテンザワゴン→レガシィアウトバック 。。。時代の流れですねえ(笑) |
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では5年ぶりの隧道鑑賞参りましょうか。 | |
高さ2.5m 幅員2.0mの標識とバーが狭さをますます 誇張させますが、実際はもう少し広いです。 しかし延長はかなりある!路面が凸凹しているため か、反対側の坑口の光は上半分しか見えていません。 |
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前回は苔むしを理由にはっきり撮影できませんでした が、今回はばっちり! 「丹生隧道」です。 西側が丹生村だったことからこの名前が付けられた のでしょう。現在だったら杉本丹生隧道とか、杉丹隧道 とか、両方の肩を持った名称にするでしょうねえ。 |
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銘板は以前も撮っていましたが再度。 この銘板では杉本隧道となっています。 「杉本隧道」 1951年(昭和26年)3月30日 竣工 延長310m 高さ4.0m 幅員3.5m 竣工年が違いますが、これは改修の年月日と思われ ます。当初、これが隧道開削年月日だと思ってたんで すが、大正物件だったんですねえ。 |
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さて内部へ。 全体がモルタルで覆われています。路面は濡れてお り、水漏れがどこかであるようです。 310mもの長さですが一応一直線なので反対側の光 は確認できます。 |
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これは排水管と思われますが、モルタルでまんま塗り 固められております。 |
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振り返り。 対向車確認には結構前まで来ないと分からないです ねえ。 |
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入洞後まもなく。。。 鋼製支保工が目に飛び込んできます。 これは昭和26年ぽくありませんねえ。もっと最近に なって成されたのではないでしょうか。 |
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久しぶりに支保工巻きの洞内を通りました。いつも素掘りか煉瓦ばっかりで。。。 室内用のような蛍光灯に照らし出される支保工、なかなかナイスです。 |
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モルタル、鋼製支保工の後はコンクリート巻きです。 ころころ表情を変える300m超の細長隧道。。。 |
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モルタルから鋼製支保工、コンクリートの3段コラボで す。 どうしてこうも統一感がないんでしょうか。 悪い所を年代ちょっとずつずらして補修した結果って ことでしょうかねえ。 |
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綺麗なコンクリート隧道。 路面はここまでやや登り勾配になっている模様で、 さっきまであった水っ気がなくなっています。 |
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モルタルに埋まりかけの鋼製支保工。 この辺りが路面のサミットのようです。ここから下りに 転じている感じがします。 |
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東側への下りに転じて間もなく。。。 !!!!!!!!?こ、これは!? 煉瓦だ!煉瓦巻きです。これはびっくり!って、え!?知らないのはおのれだけだって? そうなんです。隧道倶楽部さんでも思いっきり紹介されているのに、全く記憶にない。。。とんでもない野郎です。。。 |
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吹き付けコンクリートの間に遺るお馴染みの煉瓦色。。。ああ、素晴らしい。。。 煉瓦巻きを全く想像していなかっただけに、超テンションがあがります。 |
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すぐに支保工により視界は遮られてしまします。 そういえば側壁部分はコンクリートなんですよね。 置き換えられたんでしょうか。 |
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支保工過ぎた後。。。おおお、これはまたミステリアス。。。 結論から恐らくこれ、煉瓦アーチ抜き取られていますね。。。 そのあとぜーーーーんぶモルタルで覆ってしまったようです。なんちゅうことを。。。 |
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煉瓦アーチ抜き取り坑道に入って振り返り。 むむむむむ!なんだあのぼこぼこわあ! あれは1層目の煉瓦アーチの継ぎ目のようですな。2層目以降が見えないですが。。。 本当にこちら側は煉瓦アーチを抜き取ってしまったようです。なぜにこんなアンバランスな補修をするのだ。。。 |
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さらに前進。 東側坑口が迫って来ました。 煉瓦あれ以来見てないなあ。。。てな感じですが。 んん?モルタル総覆いの次はアーチ部分素掘りモル タル!? これも煉瓦抜き取った跡なのか。。。 |
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振り返って orz いやあ、絵文字通りの格好をしたくなりました。やっぱり煉瓦抜き取っとるがな。。。 なんちゅう無茶なことを。。。こんな補修をしている隧道を未だかつて見たことがありません。 補修業者解説にこんかーーーーーーい! |
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すったもんだの揚句、漸く東側坑口まで辿り着きます。 をを?ここは煉瓦残っとる! |
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ぐはっ。。。ここもやっとる。。。 今回は向こう側に総煉瓦を残し、ぎりぎり部分をモルタル吹いて終わらせている感じです。 うーむ、トリックアート。。。と言っていいのか。。。 |
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よくこんな中途半端で残したものです。 よくあの出っ張り落ちないな。。。って、落ちてる個所 もあるのか。。。 昨今の崩落事故を考えると、論外の状況な気が。。。 |
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しかしここだけは往時の姿を留めているようですな! 総煉瓦アーチ!いいですねえ。。。 ただ、民間主導だったようで、煉瓦の積み方は相当にいい加減のようです。当時主流のイギリス積み配列をしようと したが、途中で合わなくなったのか小口だらけ、長手だらけ、とか法則ばらばらの個所が散見されます。 他の名だたる湖北の隧道と比して格段にレベルが違うのは、致し方ないところでしょうか。 |
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一例です。 下3段くらいはなんとかイギリス積みにしていたよう ですが、そっから上はもうばらばら。4段連続小口一 直線の所もあれば、長手連続から小口連続になった り。。。 当時の四苦八苦さが目に浮かぶようです。 |
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それでも綺麗! 積み方なんてど−だっていいんです(をいw)今こうして現役車道隧道としてこの美麗なアーチを魅せてくれたら それでいーんです! 湖北の先陣を切る車道煉瓦隧道に敬礼! |
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で、杉本隧道東側坑口です。 これも全面モルタル覆いです。しかしそれを剥げば。。。煉瓦坑門のお出まし!なんですよねえ。。。 あまりにも勿体ない。。。 |
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杉本隧道の扁額は後付けくさいです。 4分割された盤を嵌め込んだ模様です。最後の道の字左手に「大正7年6月竣工」と記されています。 で、多分この坑門、帯石部分があったと思われます。扁額の下にラインが入ってますもんね〜 重ね重ね勿体ない。。。 |
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扁額の裏側に回ってみました。 するとこっち側にはしっかり煉瓦積みが残ってます! 。。。けど、ここもとんでもなく雑な造り。。。 長手で横並びに積み重ねただけ。。。みたいにしか 見えません。おかげで、がっちり煉瓦同士組み合わさる ことなく、浮き上がっている感じがします。 。。。やれやれ |
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ぼっこぼこ煉瓦にこれまた雑なモルタル吹き付け。。。 どうもこの隧道は施工者に恵まれないようです。 |
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最後にアウトバックくんを入れ込んで撮影。 おや?扁額の上に謎のばんざいくんが。(doondoondoo氏 茶目っ気たっぷり♪) |
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こうして見ると、結構制限バー狭いっすよねえ。 こんな所で煉瓦隧道とコラボ出来るとは思いませんでした♪ |
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最後にミラー越しで。 先代アテンザくんも近くの八草峠のミラーで同じことを してます。 いやあ、奇遇。 やりたいことをやり尽くして、何とかそれなりのレポに できたかな?と。。。 それにしても再訪できてよかった!皆様に感謝! |