2013年11月17日
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いつか行こう行こうと思いつつ忘れていた 物件。。。 ピカさんとのメールやり取りの中、湊川隧道の 一般公開が土木の日と併せて実施されますよ、 という話を聞き、即食いつきました。 イベントは毎月行われているようですが、通り 抜けは年数回です。千載一遇とはこのこと!いざ 出陣! イベント日程はここをチェック下さい |
2013年11月17日イベント当日。 おろろんさん、ピカさん、アルプさん、私の4名は 前日新神戸の居酒屋で宴を開いた後、車中泊。 翌早朝から布引の土木遺産群を鑑賞した後、 湊川隧道にやって参りました。 これは現在の湊川の水路です。 完全なる改修が成されており、往時の面影は 一切ありません。 |
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新湊川隧道の呑口が見えてきました。 かなり巨大な坑口ですな! |
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大口を開けて待ち構える改修された新湊川隧道。上の茶色い坑口は旧湊川隧道への連絡坑口です。 初代湊川隧道は神戸市兵庫区に位置する標高85mの会下山(エゲヤマ)をくり抜く、我が国初の近代河川トンネルとして 1901年(明治34年)8月に竣工したそうです。創設時の延長は604m、断面形状は馬蹄型。幅7.3m、高さ7.6mで、当時と しては世界最大級の規模を誇っていました。 1928年(昭和3年)神戸電鉄の軌道が隧道呑口前を交差するため、隧道を延長。往時の坑門は埋没してしまいました。 増築後の延長は670mだそうで、電鉄通すだけで66mも延長されました。 そして1995年(平成7年)1月17日、阪神淡路大震災により湊川隧道も被災し、吐口側の坑門は崩壊、隧道本体にも損傷を 受け、応急補強工事が行われたそうです。 その後、新湊川の災害復旧助成工事により新湊川トンネルを建設するため、初代湊川隧道の両坑門は消滅することになりま したが、新湊川トンネルの両坑門に初代隧道の扁額を再利用し、坑門もイメージ復元することで、先人の偉業を後世に伝える ことになりました。新湊川トンネルは延長683.2m、幅12.8m、高さ10.2mと、さらに大口径となりました。 |
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これが初代湊川隧道の呑口側坑門です。 小松宮彰仁親王による揮毫のようです。 下の銘板には 「扁額之記 上ノ扁額ハ本 疏水隧道ヲ六 十六米突延長 築造ニ際シ● 隧道口ニ在リ シヲ此處ニ移 設セルモノナリ 昭和三年三月誌」 とあるそうです。●は検索で出ませんでした。 はみ男さんからの情報で 「舊」ではないかと。「旧」の旧字体だそうです。 「築造に際し旧隧道口に…」でしっくりきますね! 因みに「十六米」も「拾六米」ではないかと。こちら ももっともですね。 「在り」は説明板では「有り」だったのですが、転記 ミスで「在り」に。でもこっちが正しい のではないかというご指摘です。 |
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欄干のピラスター装飾や楯状迫石風など、細か い部分まで再現されています。 使用部材については分かりませんが、一応石 積みでしょうか?御影石とか? |
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これが初代湊川隧道呑口の坑門です。 やはり往時の風格は相当なものです。現存しな いのが非常に残念ですねえ。 |
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これは神戸電鉄交差に伴う延伸により誕生し た2代目呑口です。 初代坑門は埋没してしまいましたが、後年発掘 され、要石だけ展示保存されています。 3代目、新湊川トンネルの坑門はこちらのデザイ ンを踏襲していますねえ。 |
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こちらは明治43年、湊川隧道生誕からおよそ9年後の地図です。 旧来の湊川の河川ラインには湊川遊園とあります。まだ川筋がくっきりと確認できますねえ。 |
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こちらが今回のイベント入口でございます。 当然この坑門は湊川隧道のものではありません。ここから斜坑になっており、地中に眠る初代湊川隧道へ通じています。 因みに画面左の四角い石にお気づきでしょうか。これ、初代坑門の要石です。でかいですねえ。 |
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ちゃんと説明書きが掲示してありました。 | |
看板が常設されています。 | |
一般公開の簡易看板が出されています。 お馴染みのプレートも掲げられています。 因みに土木学会選近代土木遺産Aランク です。 |
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この連絡坑口もそれなりに拘ってます。 坑門は煉瓦イギリス積み。 他はコンクリートですが、隅石風、屋根型笠石 風になってます。 アーチ環はもうちょっと迫石風にしてもらいた かったですなあ。 |
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いい感じの扁額も埋め込まれています。 | |
さて、受け付けを済ませて中へ。 やっぱりちょっと下りになっているコンクリート 斜坑。その壁にパネル展示してあります。 これは。。。魚拓ならぬ扁拓ですな(笑) 昔、N冨氏が個人的にやっていたと聞いて衝撃 を受けましたが。。。 |
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初代湊川隧道と新湊川トンネルの経路図です。新トンネルがやや逸れて穿たれているのが分かります。 それが吐口付近になると融合しているのがわかります。 吐口坑門の位置は新旧変わりませんが、呑口坑門の方は新の方が延伸されており、坑門は埋没しているのが分かります。 そして。。。最も気になるものが。。。 それは。。。 |
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ここ! 煉瓦アーチ部分で唯一のコンクリート吹付補修 個所。。。そこに。。。 銘板が埋まってるとな!? 何でよりによってそこやね〜〜〜〜ん!!! せめて。。。そこだけ開けるとか、移設するとか 無かったんかいな。。。 |
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しかしそこはしっかりしてます。 ちゃんと写真が残ってます。 湊川隧道の細かいデータですな。 |
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銘板は2つあったようですな。 相当細かい文言が記されておるようです。 しかし!やっぱり現物が見たかった。。。 |
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連絡坑から本坑に至る所で講演会がありまし た。講師は神戸大学大学院非常勤講師の田中 輝彦氏。 兵庫県内の様々な土木遺産についてレクチャー 頂きました。 |
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講演会が終わるといよいよ通り抜けイベント です。 振り返れば大勢のファンが列をなして待っており ます。 通り抜け予約要らず無料ですよ〜 |
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いざ本坑! もうここでもゾクゾクします。 |
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ここは内巻補強部(内巻鉄板)、約40mの区間です。 ここでもかなり興奮できます。工事中のトンネル内にいる気分ですな。 |
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そして!ついに煉瓦部が姿を現しました! ここが往時の煉瓦水路隧道!(嬉々) |
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インバート部(床面)が見えています。 ここから木材舗装区間が約170m続きます。 毎月様々なイベントを洞内でやっているんで、 そのための舗装でしょう。 |
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側壁はイギリス積みです。 石材インバート部と煉瓦側壁を繋ぐ石材には かなり気を遣っているようです。 |
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インバート部に敷き詰められた石材は、常時は水の流れに、洪水時は土砂の流れにさらされて洗掘摩耗に耐えるという 目的を持っています。インバート部は、石畳が凹状湾曲したように切石が敷き詰められています。横断方向に25列あり、両端部 の3個の石材は、19個の切石を両側から挟み込むように配置されて側壁部の煉瓦積みの基礎石の役目を担っています。 その配置はA,B,Cの3タイプがあり、それぞれの重量は、Aタイプ=約270kg、Bタイプ=340kg、Cタイプ=約100kgです。 以上はパネル展示からの引用です。 うーむ、実に細かい。 |
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使用されている煉瓦の産地は、表面の刻印などから泉州地方とされ、当時は大阪湾を船で運び、湊川の川尻あたりから 陸送されたと推定されます。 覆工の厚みは煉瓦の長手方向に3個分(約70p)あり、全周の列数は239列。このことから隧道全体で少なくとも400万個 以上の煉瓦が使用されています。 以上もパネル展示より。 衝撃ですね。。。400万個!?因みに厚み長手3個分といえば、小口アーチ環換算では6層巻きの厚さです。 |
我ながらの傑作と自負した一枚。まあカメラ任せですが。この暖色系の照明のお蔭でもあります。 |
本当に大口径です。しかも煉瓦積み。一巻き239個総枚数400万個以上!? もうただただ圧倒的です。 |
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振り返り。 内巻補強部とは違う色遣いの照明を使っているのが分かります。 |
そして!こここそ正真正銘本来の坑道です。木製舗装がなくなり、インバート全体が姿を現しました。 すごい大迫力です!!!この部分が約60mあり、先ほどの木製舗装部と併せると約230mあります。 幅7.3m、高さはインバート底部から7.6mある大口径。。。 |
凄まじい湾曲です。あまり端っこを歩くと滑って転んでしまいそうなほどです。 |
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インバート敷き(C)の部分は一枚の重量が100kgです。 このインバート敷きの下にも煉瓦が敷いてあるそうです。 |
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そしてここが問題の場所、内巻補強部(吹き付けコンクリート)です。ここは40mあります。 |
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よりによって、のこの場所。。。そう!あの銘板2枚が埋もれているそうなんです。 内巻&吹付だと残すのは厳しいのか。。。何とか取り出せなかったんでしょうかねえ。 しかしよりによってここの40m足らずの補修区間に入ってしまうとは。。。不運ですな。 |
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振り返り。水面に映えるアーチリング。。。と言いたい所ですが、いまいちですな。 水が足らないし、左奥の補修跡がちょっと。。。配線は致し方なし。 まあ撮る人間の技量が一番足らないんですがね(苦笑) |
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リベンジ!うーむ、ちょっとましかな? |
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そして。残りの完全体区間。ここは90mあります。 煉瓦巻きを確認できる個所は合計320mもの長さです。素晴らしい! 内巻補強部は80mで、合わせても400m、延伸後の延長は670mですから270mほど足りませんな。 呑口側で少し斜坑で消えているのと、後は吐口側の新トンネルに吸収されている部分のようです。 |
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90mはあっという間で先に一回り小さい転流坑が見えてきました。 |
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多くの方々が思い思いのポジションから撮影しています。 本当にいい絵が撮れますもんね。 |
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最深部より振り返り。 本当に一直線ですね。斜坑の入口の明かりが見えています。 よくぞ戦禍、震災にも耐え忍んでくれました。 |
これも我ながらの一枚となりました。この煉瓦の質感は堪らないですな。 |
調子に乗って逆側からも撮影。フラッシュなしで撮影できるからこその仕上がりです。 |
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名残惜しいですが、煉瓦隧道から離脱します。 |
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転流坑に入りました。新トンネルを迂回するため にかなり屈曲して穿たれています。 なんか近未来的な雰囲気を感じます。 |
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振り返り。 茶色い光が奥から漏れています。 明治と平成の境目みたいな感じですな。 |
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おお?想定外の階段が現れました。 | |
おおお。。。SF映画に出てきそうな雰囲気で す。これはこれで結構好きですが。 |
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登ってみると、奥から光が。 何となく分かって来ました。どうやら新トンネル の脇腹に出てくるようです。 |
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仮設の階段が設置してあります。 通り抜けイベントならではですな! |
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新トンネルに降り立ちました。 うーーーーーーーーーむ。。。。。。。。。。でかい!!!!の一言に尽きますな。 圧倒的なでかさです。高速道路のトンネル!?というぐらいの超大口径です。 |
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吐口はすぐそこです。 そこも含めての通り抜けイベントです。 ありがたいです! |
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こういう感じで穴が開いています。 普段は仮設階段はなく、非常梯子と施錠された 扉があるのみ、なんでしょうね。 内部の階段の意味がここで分かりますな。 |
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吐口の坑門までやってきました。 なんという面白い断面でしょう。 現代ならではの曲線美って感じですかね。 |
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脱出後、振り返り。 そこには青空に聳え立つ吐口坑門の姿が!見事な面構えです。 |
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「天長地久」 「老子」を出典とし、天地が永久に変わらず物事 が永遠に続くことを意味しています。 これも呑口側の扁額と同様、 小松宮彰仁親王による揮毫のようです。 |
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素晴らしい坑門再現です。 呑口側と違い吐口は初代もこの位置だったと いいます。 |
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イギリス積みの煉瓦坑門と胸壁。楯状迫石に要石。胸壁までのピラスター2本に屋根型笠石。 よくここまで再現してくれたものです。 |
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これが初代坑門です。口径が変わった以外は殆ど変化なしです。(胸壁が少し広がったぐらいですかね) 見事な再現率です。 |
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通り抜けイベントはあの仮説橋を渡ってきてずっと下流、長田橋まで歩きます。 私は先まで行かずに隧道往復してしまいました。。。 先人の偉業を目の当たりにできてよかったです。まだの方も是非どうぞ!!! |