後半東側光明編
2015年4月訪問
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さてさて。 場面が変わりまして、今度は東側。実際はこちら 側を最初に攻略に行っております。 |
時刻は午前10時半ごろ。 近くの福岡第一発電所と付属施設を確認した あと、おろろん教授の案内でやってきたのは ここ。集落の細い道を抜けた先の未舗装林道 です。この辺りは少し広場になっていますが、この 先は車両通行困難となるようです。 ちなみに同行は教授とピカさん、アルプさん です。 |
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ここからは徒歩行軍となります。 この道の先に一体何が待ち受けているのか… |
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川を渡ります。ここの河川は手取川水系の河合大谷というそうです。 |
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この橋を過ぎた後…林道の様子が一変します。 | |
まだ生きている?杉が横倒しに。 | |
日の当たる所はこんな状況です。路面の平面はよく残ってますが、若木の繁茂が著しい… こりゃあ先が思いやられます。まあこれで完全に廃道なのは明白です。 |
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そんな中、このような玉石積みの擁壁が見られます。 高木による日陰のお陰でこの辺りは歩きやすいです。 |
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右の川筋を左に移し、しばらく進むと… | |
川を再び渡り、今度はターンしていきます。 | |
ターンして方向が変わると、また日当たりが良くなり… あああ…よろしくない雰囲気がしてきました…激藪の前兆か…? |
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笹薮でないだけマシですが、それでもこの若木の繁茂はかなり鬱陶しいです。4月なのでこの程度ですが、 夏場はとても歩けたもんじゃないでしょう。 |
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ここにも玉石積みが。今度は路肩を固める石積みです。つまり右上が路面てことです。 |
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その路面ですが、大部分が土に覆われていま すが、よく見ると、コンクリート面が見えるところ がちらほらあります。 ちゃんとコンクリながら舗装されていた模様 です。 |
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ここからずっと日当たりの良い場所を進みます。 自ずと植生も濃くなり、ガレも出てきた上に登り 勾配です。かなりきつい! 進行速度はどんどん遅くなります。こうなりゃ 忍耐勝負です。 |
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そんな悪戦苦闘の中、このような遺構が出てきました。…これは…橋? |
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丸太橋!ですな!3本程脱落していますが、しっかり橋梁だった模様です。 |
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丸太の上に錆びた鉄材が乗ってます。 往時はどのような構造だったんでしょうか。 |
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中を覗き込むと奥行きはなく、金網が張られて 土砂の流失を防いでいる模様です。 |
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その丸太橋からそれ程離れていなかったと思いますが…おろろん教授が何かを発見します。 「あった!」…「え?何が?」…あったって、そりゃあ、あれですよ、あれ! おおお!まさかの…? |
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山肌に取り付いてきた道がいきなり、山肌方面に。その行く末は自ずと理解できるところです。 待ちに待った…ヤツが… |
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大 発 見 ! その存在を全く明かしてこなかった、服部鉱山の隧道。本当に存在したのか?との疑いがかかるほどの存在感の薄かった 鉱山隧道が、今、目の前に!!! 本当にありやがった…しばし呆然です…おろろん教授、素晴らしい成果ですぞ! |
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それにしてもえらい高い位置に穴があります。 崩落による路面の埋没にしても不自然です。当初からあの高さに感じます。 |
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隧道前の傾斜に謎の遺構が。何に使われていたんでしょうか。 |
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凄まじい様相です。右側の崩落が激しいですな。天井部もどこまで崩落しているのか分かりません。 一見してかなりやばい状況だということが分かります。 |
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隧道前から振り返り。文字通り見下ろす感じです。 こう見ると、トロッコが走っていたとはとても思えません。ここまでの道も傾斜はそこそこありましたし、何よりコンクリ舗装 されていました。かと言って、トラックが走っていた、というのも「?」です。隧道からのこの傾斜&カーブ、そこからの細い道 も考えて、トラック輸送も可能性は低いです。 …てことは…索道か?少なくともこの隧道からふもとまでは架線を張って荷卸していた可能性が高いです。とはおろろんさん の話。なるほど。この隧道内もひょっとしたら索道を張っていたのか?とも仰ってます。 まあ、何はともあれ、内部確認です。 |
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以外と綺麗な洞内!に木材が2本突き刺さっています。 …で、奥は…閉塞の予感… |
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視点変えて。正真正銘の列記とした隧道でございます。 本当に現存してました。素晴らしい! |
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内部へ。もう明らかに車両が通れる感じはしません。 それとやたら木材が残されています。しかし枕木感は全くありません。やはり隧道内架線搬出でしょうか。 |
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振り返り。こうしてみると結構天井が高いです。坑口付近だけみたいですが。 掘れ上がったのか、元々こうなのか…? |
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凄いことになってます。この隧道の寿命は尽きかけているのかもしれません。 |
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閉塞地点もおおガレです。 崩落した石の他に木片が多数混ざっています。支保工として使っていたのか、架線の支柱にしていたのか…? |
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完全崩落。上部の岩盤が崩れて完全に埋没しています。 |
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崩落して、天井部が随分掘れ上がってます。 これがまた絶妙の隙間が空いています。 が、大きな岩石が塞いでおり、人間の通る隙間 がありません。 蝙蝠さんが出てきたので多少の空間が奥に 広がっているのかもしれませんが、行く術はあり ません。 それと空気の流れは感じません。貫通は期待 できない感じがします。 |
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最深部より振り返り。延長は20mあるでしょうか。 洞内に一対残る木材が往時の状況を薄っすらと感じる事が出来ます。やはり落石除けの支保工だったのか、 あるいは架線を張っていたのか…?しかしここの洞内の高さを考えると、やはり洞内はトロッコで、出た所で架線に移し替え ていた、と考えるのが妥当でしょうか。 |
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脱出します。かなり崩落危険度の高い隧道のように感じます。長居は無用ですな。 |
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ネットでは見かけなかった服部鉱山の隧道。故に幻の隧道とされていましたが、東側に僅かに残存しておりました。 この状態をいつまで維持するのか、かなり不透明な所です。賞味期限は近いかも… |
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隧道からふもとへは結構開けています。ここに架線を張っていたのではないでしょうか。 途中、架線の橋台でも発見できれば確定なんですが、そこまでは追えません… |
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最後に。アルプさんから頂いた、GPSマッピングです。 徒歩での軌跡が一目瞭然です。東側(こちら側)の標高と、隧道の角度を正確に割り出せば、西側の想定坑口箇所が 絞れるかもしれません。フラット、直線の隧道に限りますが… 西側はもう一度行ってみてもよいかもしれません。 2016年9月 掲示板に重要なコメントを頂きました。 なんとその方は十数年前、手取川沿いを走っていた北陸鉄道金名線(廃線)の服部駅から、歩いてこの隧道を抜けて現役 当時の服部鉱山を見に行っていたそうです。その方の証言によると、やはりこの隧道は金名線に乗ってきた作業員が、通勤用 としてこの隧道を潜っていたようです。 十数年前ということで記憶も薄くなっているそうですが、現役当時の隧道を潜ってらっしゃるのでかなり現実性が高いです。 |